エピローグ
「うんと昔の話ですがねえ。あの家には三人の家族が住んでいたんですよ。ご夫婦と、娘さんが一人。ええ、旦那さんと娘さんが行方不明になってしまって。奥さん心の病気になってしまって。娘さんの好きだった人形を娘さんだと思い込んでしまうようになったそうで。公園に遊びに連れて行ったり、ご飯を食べさせようとしたり。ええ、周りも心配してたんですがねえ」
床下に埋まっていた小さな頭蓋骨。
あれは娘のものだったのではないか。
根拠はないがそう思う。
ならば何故行方不明になった娘が床下に埋められる事となったのか。
私は重要な事実を知らない。
帰宅の途中背後から、おい、という声がした。こういう時決まって首筋がひやっとする。振り返ると猫が一匹、歩道橋の手すりの上からこっちを見ている。
しかし案の定、猫ではない。顔面は赤く焼けただれ腫れ上がっており目が八つある。その形相は激しい怒気を帯びて、視線からは私を射殺そうとする意思が感じられる。そいつが、存外にかん高い女のような声で言うのだ。
「ライターもってねえか」
私は無視したが、途中思い直してコンビニで使い捨てライターを買った。引き返すと待ちかねたようにひんやりがくる。猫はまだそこにいた。
わざとらしくポケットからライターを取り出した。猫の八つの目玉が忙しくその動きを追った。
鼻先でライターをちらつかせると猫は機敏に反応する。手を伸ばそうとする気配を悟って素早くライターを引っ込めた。猫じゃらしをちらつかせているような感じだなと思う。
恐ろしい幻覚も同じものを何度も目撃するとどうも素直に怖がれない。そうして私が余裕を見せると幻覚の方も狼狽してしまい、なかなか、からかいがいがある。
「何をしているんだい」
声がした方へ振り向いた。
若そうな男が立っていた。整った顔立ちにスラッとした体型。スーツのよく似合う男。
「桐島五郎くんじゃないか」
男が私の名を読んだ。見覚えのない男だ。私はいぶかんだ。
「そうですが……?」
「丁度君の家に行くところだったんだ。僕の事覚えてる?入院中一度、話を聞きに行ったのだけれど」
男が警察手帳らしいものを見せてきてた。言われてみると、入院中事情聴取しにきた刑事の中にこんな顔が居たような気がしないでもない。
「例の件でまたちょっと聞きたい事があるんだ。よければ今、少し、時間大丈夫かな」
幻覚症状の最中にある時、なるべく他人との会話は避けたいところである。いつ悪化して我慢が利かなくなるかしれない。しかし私も後ろめたいところがあるので断りにくい。相手が刑事というなら尚更。
少しだけなら、と予防線を張って承諾した。刑事はにっこり笑って、ありがとう、と言った。歩きながら話そうか、と私の家の方角を確認する。
と言っても、話すような事があるのだろうか。
妄想にかられて例の家に忍び込み、あらぬ幻覚をみて、骨を暴いた。それだけが真実で、それ以上の事はない。とはいえ警察がいぶかむ気も分かる。偶然で片付けるには不可解なところは残る。彼等が一番懸念しているのは、私が、骨の在処を最初から知っていたのではないか、という事だ。無論そんな事はないにせよ、身の潔白の証明もしようがない。
「例の骨が誰のものか分かったよ」
ふと、刑事が言った。
「荒川美弥。死亡当時6歳だった。あの家の長女で、25年前に行方不明になった子だ」
例の番組を思い出す。
幽霊の女が可愛がっていた人形。娘と思い込んでいた。その娘の事だろう。
「例の家には24年ほど前まで荒川広子という女性が1人で住んでいた。自殺してしまったんだがね。その前は旦那と娘と3人で暮らしていたそうだが、広子が自殺する1年前に、旦那さんと娘さんは行方不明になってね」
「……」
「行方不明になった原因については、未だ分かっていない。でも、調べていて、気になる事を聞いたんだ」
「何です」
ふと、首筋がひんやりし続けている事に気付く。いぶかんで後ろを見た。例の猫が後ろからついてきていた。私のライターが目当てなのだろうか。ずっとついてこられても困るので、この場で捨てていこうかと思ったが、刑事が横にいるのにポケットからライターを取り出すのは気がひけた。
「2人の失踪前から、荒川広子は幻覚症状に悩んでいたらしい」
私は眉を潜めた。
「幻覚?」
「病院に記録は残ってなかったけど、当時の医師に話を聞く事が出来た。医師には、誰かに見られているような気がしたり、命を狙われているとうったえていたらしい」
殺しにくるわ――。
「……」
「五郎くんもそういう幻覚、見たことあるかい」
私は黙っていた。
「答えてくれないか。これは事情徴収だよ」
「……あります」
「幻覚と現実の区別がつかなくなる、ってこともあるのかい」
「はい」
「誰かに殺されそうになったことも?」
「あります」
「誰かを殺そうと思った事はある?」
この段階で一つだけ残った、根本的な疑問をぬぐいされず、私は口を挟んだ。
「刑事さん、俺からも一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「よく分からないんですけど、例の骨が25年前のものなら、とっくに時効とかになってるんじゃないんですか。本当に、警察はそんなに詳しく調べる必要があるんですか」
「賢いね」
刑事は少し躊躇ったが、重い口を開いた。
「荒川美弥は僕の幼なじみだったんだ」
「……」
「とても可愛らしい、良い子だったよ。大人からも周りの子からも好かれていた。ある日、突然いなくなってしまったんだ。僕も探した。あれからもう25年……」
「……」
「……君のいう通りこれは警察で調べてる事件じゃない。僕が、個人で調べている事だ」
だったら事情徴収だとかいう表現は的確ではないわけだ。私はその言葉を飲み込んだ。いずれにせよ、刑事の顔付きは真剣そのものである。
「桐島五郎くん、さっきの質問に答えてくれるかな」
刑事は私の方をみた。
「誰かを殺そうと思った事はある?」
「……」
私は、ない、と答えた。
「そうか」
「どういう意味ですか」
「……」
「荒川美弥と旦那を殺したのが、荒川広子だと思っているって事ですか」
「……」
「幻覚をみるような頭のおかしい奴は、何をやってもおかしくないと」
「僕は真実が知りたいだけだ」
「貴方の欲しい真実は、もうありません。少なくとも俺と話して得られるものは」
「かもな」
刑事は苦笑して、きびすを返した。
「しかし桐島五郎くん。もし君が頭のおかしな奴で、荒川広子と同じ病気を患っているとしても、くれぐれも、君は間違えるなよ」
「何をです」
「現実と幻覚を、さ。荒川広子のようにはなるな」
「……」
「また、来るよ」
そう言って刑事は私と別れ歩いていった。彼が遠退くにつれ首筋のひんやりが薄れていく。
私は違和感を覚えて後ろを振り返った。猫はいつの間にかいなくなっていた。
どうしてもっと早く気づかなかったのか。
猫がいないというのに首筋がひんやりし続けている理由。そんなの一つしかない。
私は、あっ!と言った。
刑事が道の角を曲がる。私は慌ててその後を追った。見失うわけのない距離だというのに、刑事は何処にもいなかった。
「くそっ!」
私は毒づいて電柱を殴った。
連中は様々な手段を用いて、私を怖がらせにくる。
やがて現実と幻覚の境界はなくなるだろう。
その時は私も、荒川広子のようなモンスターになるのだろう。
また、来るよ。
よく考えれば、その言葉は存外、不吉な因子を含んでいた。




