第九話 旦那様が私を褒めていたというのは本当ですか?
しばらくすると、アレクシスは軍務に関する話をするため数人の騎士に呼ばれていき、フレアは邪魔にならないよう、少し離れた場所で過ごすことにした。
飲み物を片手に、近くの貴婦人たちと談笑していると――。
「……少し、よろしいかしら?」
背後から、涼やかな声がかかった。
フレアが振り返ると、そこには華やかな女性が立っていた。艶やかな金髪を美しく結い上げ、首元には大粒の宝石が輝き、深紅のドレスに身を包んでいる。フレアより小柄な女性だが、立ち姿には自信が満ちていた。
「初めまして。ご挨拶させてください。エミリー・プリンシーでございます」
その名前には聞き覚えがあった。確か、以前からアレクシスに熱心に求婚していたという令嬢だ。アレクシスに何度断られても諦めず、舞踏会や晩餐会のたびに接近していたらしい。
しかし結局アレクシスが選んだのはフレアだったため、彼女は第二騎士団長と婚約したと聞いていた。
「まぁ、エミリー様。初めまして。フレア・ブレンダムでございます。お会いできて嬉しいです」
「……ええ。わたくしも、ぜひ一度お話ししてみたいと思っておりましたの」
フレアは丁寧に一礼すると、エミリーはにっこりと微笑んだ。しかしその眼差しはどこか冷たい。
「あのアレクシス様がご結婚なさる方とはどんな女性なのかと思っていましたが……案外、普通ですのね。見た目も冴えないし、何も取り柄がなさそう……。くじ引きで結婚相手をお選びになったのかしらね」
面と向かってわざとらしく溜め息をついて言うので、フレアと話していた貴婦人たちはギョッとしている。それが伝わってきたため、フレアは場の空気を悪くしないようにあえて柔らかく微笑んだ。取り繕って笑うのはわりと得意なほうだ。
「ではくじ引きで当てていただいた私は幸運ですね」
エミリーの笑みがわずかに引きつる。
フレアが何も気にしていないような返事をしたのが面白くないらしい。扇で口元を隠し、フレアに口撃を続けてきた。
「それにしても、新婚早々、奥様を残して遠征に出られたとか」
「はい。大切なお役目でしたから」
「お寂しかったでしょう? わたくしなら、せっかく結婚したのに放っておかれるなんて、とても耐えられませんわ。お優しい言葉のひとつでもかけていただけまして?」
言葉には明らかな棘が含まれていた。近くの貴婦人たちが、微妙な表情で顔を見合わせる。
しかし、フレアは少しも表情を変えなかった。
「……アレクシス様は戦場で多くの方の命を預かっていらっしゃるのですから、そのご苦労に比べれば私の寂しさなど取るに足りません。私への気遣いも無用だと思っております。私はただ、アレクシス様がお屋敷でできるだけ心穏やかに過ごしていただければ、それでよいのです」
フレアの言葉に、貴婦人たちが「まぁフレア様はご立派ね~」と微笑んでくれた。
しかしフレアの態度も、周りの反応もますます気に入らなかったようで、エミリーは黙っていれば人形のように可愛らしい顔を歪めた。
「……まぁ、随分と物分かりのよい奥様ですこと」
「ありがとうございます」
「…………」
エミリーは一瞬、言葉を失った。褒めたつもりなどなかったのだろう。
けれどフレアは平穏な結婚生活を送るために、あえて物わかりのいい妻として振る舞っている。嫌味として受け取る理由がなかった。
皮肉を投げかけても嫌味を口にしても、フレアは少しも傷ついた様子を見せないため、かえって癪に障ったみたいだ。エミリーは「……そろそろ、婚約者のところへ参りませんと。御機嫌よう」と言うとくるりと背を向けた。そして来たときよりずっと速い足取りで去っていった。
――そんなにアレクシス様が私と結婚してしまったのが悔しかったのね……。でもアレクシス様が妻を愛することはないというスタンスでエミリー様を選んでしまったら、きっとエミリー様は辛い想いをしたでしょう……。
ある意味では、アレクシスがフレアを選んだのは大正解だったかもしれない。なんせフレアはそこのところを割り切って考えられる性質だったから。
そんなことを考えながらふと周囲を見ると、先ほどまで会話を聞いていた貴婦人たちが、感心したようにこちらを見つめていた。
「……フレア様、見事なお振る舞いでしたわ」
「え?」
「さすがブレンダム公爵がお選びになった方。今までどんな女性からのアプローチにもなびかなかったのが不思議でしたが、フレア様のような御方がいらっしゃったのなら当然ですわね」
「素晴らしい奥様がいて、ブレンダム公爵も幸せですね。公爵を支えられるのはフレア様のほかにいらっしゃいませんわ」
「あ……あはは。ありがとうございます」
貴婦人たちは意味ありげに微笑み合い、フレアは苦笑した。
いつの間にかフレアとアレクシスが深い愛情で結ばれた夫婦のように語られだしている。
まさか結婚初夜に「君を愛するつもりはない」と言われた関係とは、誰も思っていないだろう。
「……おまえ、いい嫁さん選んだな」
不意に、豪快な声が響いた。
声のほうを見ると、体格のよい壮年の男性とアレクシスが近づいてくる。
壮年の男性は、白髪交じりの髪を短く整え、立派な口髭を蓄えている。胸元には数多くの勲章が並び、その堂々たる佇まいからも、かなり高い地位にある人物だと分かった。
「……総指揮官だわ」
「フレア様、私たちはこれで……」
周りにいた貴婦人たちが、空気を読んで離れていく。
フレアは彼女たちに会釈すると、騎士団総指揮官ガブリアス・デンジェンに向かって礼を取った。
「初めまして。フレア・ブレンダムでございます」
「あ~そう畏まらなくていい。俺は堅苦しい挨拶が苦手でな!」
ガブリアスは豪快に笑った。
「それにしても、噂どおりの奥方だ。さっきから少し様子を見ていたが、見事な立ち振る舞いだったぞ」
「まぁ……ありがとうございます」
エミリーとのやり取りを見られていたらしい。フレアは苦笑した。
「いやいや……それより、俺からまずひとつ謝らせてほしい」
ガブリアスが真剣な顔になり、フレアに頭を下げた。
「新婚さんなのにアレクシスを遠征に行かせてすまなかった……。こいつが第一騎士団を連れていくって言った時には少し迷ったんだが、実際、こいつを行かせて良かったと思ってる。他のじゃ……全滅してもおかしくなかった。それから……フレアさん、毒を喰らって帰ってきたアレクシスの看病、ありがとうな」
「あ……」
「こいつのことだ。具合が悪くても、なかなか人の世話になろうとしなかっただろう? まったく、昔から頑固な男でな。怪我をしても熱を出しても、誰にも頼ろうとせん。しかし今回は怪我が怪我だったからな……一人だったら死んでてだろう」
ガブリアスがバンバンとアレクシスの背中を叩きながら笑う。それに怒ることはせず、アレクシスはただ目を閉じて黙っていた。
それを見てフレアは少し驚いていた。誰もが恐れるアレクシスにも、こんな風に接する人がいるのかと。
ガブリアスは彼をまるで息子か弟のように扱っている。そしてアレクシスも、不機嫌そうにはしているものの、強く言い返すことはなかった。長年の信頼関係があるのだろう。
「……しかし私だけでなく、屋敷の使用人たちも協力してくれましたので……」
「うむ。それでも、献身的で助かったって、こいつが珍しく人を褒めてたよ」
「……え?」
――アレクシス様が、私を褒めていた? 本当に?
ガブリアスの言葉を聞いて、反射的にアレクシスの方を見てしまった。アレクシスはいつものように眉間に皺を寄せていたが、その表情はどこか気まずそうにも見える。
さらにフレアに見られてるのが分かって居心地が悪くなったのか、低い声で「総指揮官、余計なことを言わないでください」と釘を刺した。
だが、ガブリアスはまるで気にしていない。
「何が余計だ。事実だろうが。おまえが他人を褒めるなんて滅多にないことだからな……俺だって驚いたんだぞ。だがこんなに可愛くて優しい嫁さんがいたら、自慢したくなるよなぁ……はっはっは。おまえにも可愛いところがあって安心したよ」
「総指揮官……」
ガブリアスは愉快そうに笑った。その隣で、アレクシスがますます険しい顔になる。
フレアはガブリアスに釣られてちょっと笑ってしまった。
あの看病の間、アレクシスは冷たい言葉ばかり口にしていた。それにようやく元気になったと思えば、気に入られたいのかと疑われたこともある。
それなのに、自分の知らないところでは感謝してくれていたらしい。
――素直じゃない御方。
胸の奥が、少しくすぐったくなる。
フレアが笑っているのに気づいて、アレクシスが不機嫌そうな視線を向けてきた。「別に君に気を許したわけじゃない」と言いたげな目を、フレアは優しく見つめ返す。
「アレクシス様は、お国のために日々力を尽くしてくださっていますので……そのアレクシス様を支えるのが、私の役目だと思っております。少しでもお役に立てたなら、光栄です」
全部分かってますから大丈夫ですよ。私は私のやりたいことをしてるだけです。
そんな想いを込めて。
しかしフレアとアレクシスの姿を見て、ガブリアスは一瞬、きょとんとした。
それから、まじまじとフレアを見つめる。
「…………」
「……あの?」
フレアが首を傾げると、ガブリアスはゆっくりとアレクシスへ顔を向けた。
「……アレクシス」
「……何でしょうか?」
「おまえ……女を見る目はあったんだな」
「……はい?」
全20話です。続きます。




