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第十話 旦那様に「愛されたいか」と聞かれたのでちゃんと否定しました。

 アレクシスの眉がぴくりと動いた。


 ガブリアスは感心したように腕を組む。


「おまえ、昔から恋愛だの結婚だのには興味がない、結婚なんかしないとごちゃごちゃ言っていただろう。それが急に結婚相手を決めたというから、正直、少し心配していたんだ――俺に結婚しろと口うるさく言われるのが面倒になって、適当に相手を探したんじゃないかとな!」


「…………」


 アレクシスは無言になった。その隣で、フレアは内心ぎくりとする。


 さすが軍の総指揮官。鋭い。実際、その推測は当たっている。


「だが、どうやら俺の取り越し苦労だったようだ。ちゃんと自分を支えてくれる嫁さんを選んでいたんだな! 偉いぞ、アレクシス!」


「……子ども扱いしないでください」


 ガブリアスは上機嫌で話し続け、アレクシスの肩を豪快に叩いた。アレクシスは心底面倒くさそうに顔を背ける。


「ははは! 結婚したくらいで一人前の男になったつもりか? いやぁ、よかったよかった! これで俺も一安心だ! となると、あとは子どもだな!」


「…………」


 子ども、という言葉が出た瞬間、ピシッとアレクシスとフレアの間に緊張感が走った気がする。


 しかしガブリアスは何も気づいていないようで満面の笑みを浮かべていた。


「家の跡取りも必要だろうしな。フレアさんは女の子も欲しいかもしれんし、賑やかな家庭になるといい! まぁ、二人とも若いんだ。これから大いに励むんだな! はははは!」


 ――そういえば、子どもはどうするんだろう……? 私たち、まだ初夜も迎えていないのだけれど……。


 結婚式の夜、アレクシスから愛するつもりはないと宣言され、それきり寝室も別々。当然、夫婦らしい触れ合いなど一度もない。


 けれど、貴族の結婚には跡継ぎの問題がつきものだ。アレクシスほどの家柄であれば、なおさらだろう。愛情と子どもをもうけることは、貴族社会では必ずしも同じ話ではない。夫婦としての愛情がなくても、家の存続のために子をもうける夫婦は珍しくないのだ。


 しかしアレクシスなら、子どもを作ること自体、望んでいない可能性もある。別の方法で跡継ぎを用意するつもりということも……。


 ――どんなお考えであれ、私はアレクシス様に従う以外ないのだけど。


 アレクシスの考えが気になったが、今この場で話すことじゃない。


 フレアはひとまず考えるのをやめ、いつもの穏やかな笑みを顔に張り付けた。


 隣では、アレクシスがガブリアスに向かって低い声を発していた。


「……その話はもう結構です」


「なんだ、照れているのか?」


「違います」


「ははは! そう怒るな!」


 相変わらず楽しそうなガブリアスと、眉間に深い皺を寄せるアレクシス。


 そのやり取りを見ながら、フレアは心の中で小さく笑った。


 そして、その後も無難に挨拶や歓談をこなし、夜会は何事もなく終わったのだった。


*****


 夜会の帰り道。城を出た馬車は、静かな夜の街を進んでいた。


 ――無事に終わって良かったわ。


 初めての夫婦同伴の夜会。すごく緊張したが、大きな失敗もなく、何とか役目を果たせたと思う。アレクシスの迷惑になるようなことも、特になかったはずだ。


 フレアは少しだけ達成感を覚えていた。


 一方、向かいの座席に座るアレクシスは、先ほどから一言も発していない。長い脚を組み、窓の外へ視線を向けている。いつものように眉間には皺が寄っているものの、不機嫌というより、何か考え込んでいるように見えた。


 だが……。


「……おい」


 不意に、アレクシスが口を開いた。


「……はい?」


 フレアは顔を上げ姿勢を正す。アレクシスから話しかけてくるなんて珍しいと思いつつ。


 するとアレクシスはゆっくりとこちらへ顔を向けた。


「……ひとつ、聞きたいことがある」


「はい。何でしょう?」


「…………」


 アレクシスはすぐに言葉を続けなかった。何かを言いかけては口を閉ざし、言葉を選んでいるように見える。


 そしてややあって……アレクシスは低い声で話し始めた。


「……俺は結婚式の夜、君に言ったな。君を愛するつもりはない、と」


 フレアは小さく頷いた。


「はい。覚えております」


 忘れるはずもない。あの言葉は、これから始まる結婚生活の在り方を決める、最も重要な宣言だったのだから。


 でも今さらなぜその話を持ち出したのだろう。フレアが不思議に思っていると、アレクシスは静かに続けた。


「……あれは、君を傷つけるために言ったつもりはない」


「…………」


「俺は今まで、誰かを好きになったことがなかった。戦いのことばかり考えていて、恋愛にも興味がなかったし、これから先、誰かを好きになれるとも思わない。……だから、期待を持たせるべきではないと思った」


 フレアは黙って話を聞いていた。おおむね、予想していた通りだったから。


 やっぱりそうだったのねと、静かに受け止める以外、他に何の感情も芽生えなかった。


「……そうですか」


 ただそっと相槌を打つと、アレクシスは再び口を開いた。彼の視線がまっすぐフレアへ向けられる。


「だが、君はそれでも、俺の妻として完璧に振る舞ってくれている。屋敷のことも、使用人たちのことも……俺の体調まで気にかけている。今日の夜会でも、俺の立場を考えて行動し、立派に妻としての役目を果たしてくれた」


 フレアは少し驚いた。まさかアレクシスに「妻として完璧」だと思ってもらえていたとは。


 頑張った甲斐があったわね、とフレアはちょっと微笑んだ。


 しかしアレクシスは真剣なまなざしでフレアを見つめ続ける。


「なぜ、そこまでする?」


「え?」


「俺は、君に何も与えるつもりがないと言った。それなのに、なぜ君はそこまでしてくれるんだ?」


 ――なぜって……。


 フレアは少し考え、すぐに答えを口にした。


「……アレクシス様の妻だからです」


「どういう意味だ?」


 アレクシスが眉を寄せる。まるで意味が分かっていないようなので、フレアは優しく自分なりの考えを伝える。


「……理由はともあれせっかく家族になったのですから、私は私なりにいい妻になりたいと思っただけです。もちろん、アレクシス様が私を愛してくださらないことは承知しています。ですが、だからといって自暴自棄になっていても、人生がつまらなくなるだけでしょう?」


 最初は母の受け売りだったが、今ではフレアの矜持になっている。


 夫に愛されないからといって、毎日泣いて暮らしたり、ふてくされて何もしなくなったり……そんな生活はフレア自身が嫌だと思う。


 どうせ同じ時間を過ごすのなら、できるだけ楽しく、気持ちよく暮らしたい。


 アレクシスが戦場で頑張っているのなら、私も私のできることを頑張りたい。

 

 自分でもなかなか前向きな考え方だと思っているし、気に入っている。


「夫婦の形はいろいろあると思うんです。必ずしも、愛し合っていなければ成り立たないわけではないでしょう? お互いの役割を果たし、必要なときには助け合う。それだけでも、十分いい関係を築けると思いますから」


「…………」


 アレクシスは何も言わなかった。

 怒っているようには見えない。むしろ、どこか戸惑っているようだった。


「……君は俺に、愛されたいか?」


 その眼差しには、いつものような威圧感がなかった。鋭く冷たいはずの赤い瞳が、今はどこか頼りなげに揺れている。


 フレアは思わず見入ってしまった。……初めて見る、真剣で、切なげな顔だった。


 ――もしもここで「愛されたい」と答えたら、応えて、くださるのかしら……?


 そんな考えが、不意に頭をよぎった。


 自分をじっと見つめるその目が、その答えを待っているように見える。少なくとも、突き放そうとしているようには思えなかった。


 もしかしたら、結婚してからの振る舞いや、看病を通して、彼はフレアに何かを感じてくれたのではないだろうか。


 そう……期待しそうになって、ハッとした。


 ――いけない。思い上がっちゃダメよ。


 ガブリアスから「褒めていた」と聞いたくらいで、調子に乗ってはいけない。


 アレクシスは、誰かを好きになったことがないと言っていた。これから先も好きになれるとは思わないって、つい先ほど本人の口から聞いたばかりだ。それなのに、少し優しい目を向けられたからと勝手に期待するなんて……こんなの絶対にアレクシスが望むところじゃない。


 切なげに見えるのは、自分がそうだったらいいなと無意識に思ってしまったからだ。


 アレクシス様は、きっとただ自分の気持ちを確認したいだけ。愛されたいと思っているのなら、今のうちにはっきり諦めさせよう。そういう意図だろう。


 せっかく、今の関係でうまくやっていけているのだ。ここで余計な期待を口にして、アレクシスを困らせたくない――。


「……いいえ、愛されることなど望みません。アレクシス様には何も期待しませんので、ご安心ください」


 アレクシスが望む妻の形であるのが、私の望み。


 彼の気持ちをきちんと理解していると伝えたかった。


 なのに――。


 アレクシスはなぜか、苦々しい顔で俯いた。眉間に刻まれていた皺が深くなり、唇が固く引き結ばれる。


「…………そうか」


 長い沈黙の後、かすかな声が漏れた。それきり、アレクシスは何も言わなくなってしまう。


 その沈黙が妙に重苦しい。


 行きの馬車のほうが会話はなかったが、それでも今の空気よりはマシだった。


 ――私、また良くないこと言った……?


 フレアは膝の上でそっと指を組み直し、困ったように眉を下げた。


 街灯の明かりが、次々と流れていく。


 早く……早く屋敷に着いてくれないかと、それだけを考えるしかなかった。

全20話です。続きます。

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