第六話 割り切った妻なので、旦那様に愛情も感謝も求めません。
「奥様、メリーです。リドルさんも一緒なのですが……具合はいかがでしょうか?」
「どうぞ、入って」
扉が開き、メリーとリドルが姿を見せた。
「奥様……大丈夫ですか?」
メリーはフレアの姿を見るなり、心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫よ。少し寝たら良くなったから」
「本当ですか? まだお顔が少しお疲れのようですが……」
「心配してくれてありがとう。でも本当に体が軽くなったから」
フレアが微笑むと、メリーはほっと胸を撫で下ろした。
一方、リドルはどこか難しい顔をしている。
「まったく……こんなに奥様に心労をかけておきながら、旦那様は……」
ぶつぶつと呟かれた言葉に、フレアは首を傾げた。
「……リドルさん、何かあったの?」
「……いえ、その……」
リドルは言い淀み……やがて小さく溜め息をついた。
「実は先ほど、旦那様のお部屋へ伺ったのですが……遠征中の奥様のご様子について、事細かに聞かれまして」
「……私の?」
フレアは目を丸くした。
「はい。この一か月、奥様がどのようにお過ごしだったか、誰と話していたのか、屋敷の中で何をしていたのか……それはもう、随分と熱心に聞かれまして……」
――なぜそんなことをリドルさんに聞いたのかしら?
フレアは首を傾げた。
部屋で休む前、アレクシスには使用人たちと仲良くなったと話したばかりだ。それ以外に何が知りたかったのか。
するとメリーがふふっと笑い出した。
「……もしかして旦那様ったら、奥様がこの一か月の間に屋敷の皆とすっかり打ち解けてて驚いたんじゃないですか?」
「えぇまさに、そのように見受けられましたね。たった一か月でなぜそんなに親しくなれたのか分かっていない様子でした。……しかし奥様にご興味があるなら、直接お聞きになればよろしいものを……」
リドルは苦々しい表情で続けた。
「それにこの数日、旦那様の看病を献身的に続けてきた奥様に対する感謝も感じられなかったので、このリドルもさすがに腹が立ちまして――『奥様は旦那様がご不在の間も、この屋敷の者たちを気遣い、皆に分け隔てなく接してくださっていました。そして此度は、ご自身の休息を削って旦那様の看病をなさっていたんです。それほど尽くしてくださった奥様に、もう少し思いやりを持って接していただけませんか』と言わせていただきました」
「えっ!?」
フレアは驚いて、思わず少し大きな声を出してしまった。
長年仕えてきているリドルさんでさえ、下手なことを言えば厳しく叱責されてもおかしくない。
「リドルさん……大丈夫だったのですか?」
フレアが恐る恐る尋ねると、リドルは苦笑いして頷いた。
「はい。旦那様は黙ってお聞きになっていましたよ」
「さすがリドルさん! 屋敷の皆が思ってることをよく言ってくださいました!」
メリーはリドルに拍手を送る。しかしフレアはリドルのことが心配でならなかった。
「本当に……怒ってはいらっしゃらなかったの?」
「少々お顔は険しくなっておられましたが、いつものことでございます。旦那様には、ご自身の行動を考え直していただきたいのです。こんなに素晴らしい奥様と結婚できたというのに、旦那様は何も分かっていらっしゃらない」
「はい、リドルさん! 私もそう思います! 奥様がどんなに心配していらしたか、旦那様にも知っていただきたいです!」
隣で話を聞いていたメリーが、勢いよく頷いた。
「メリーまで……」
フレアは困ったように笑った。
二人が自分を大切に思ってくれているのは嬉しい。けれど……。
「……ありがとう、二人とも。でも、あまりアレクシス様を責めないであげて」
「奥様……?」
「きっと、あの方は人より多くの重いものを背負っていて……他のことにまで気を配る余裕がないんだと思うわ」
フレアは今回の看病を通じて、アレクシスを見る目が少しだけ変わっていた。
鍛え上げられた体に刻まれた無数の傷跡。
強い毒に苦しみながらも、他人の助けを拒もうとする姿。
いつ敵が現れるかも分からない場所で、常に気を張り詰め、少しの判断ミスが命取りになるような状況に身を置いているせいだろうか……他人に気を許すことも、誰かに甘えることも、難しくなってしまうのかもしれない。
しかしそれも、国を守り、民を守り、部下たちの命を背負うため……。
――『俺に何も期待するな』
結婚当初の告げられた言葉も、単にフレアを拒絶するための言葉ではなかったのかもしれない。
自分には夫として妻を大切にする余裕などない。だから、初めから何も期待するなと告げたのではないだろうか。
優しい言葉で期待を持たせておきながら、結局は妻を顧みない……そんな男性だって、世の中にはいるだろう。最初から一貫しているアレクシスは、ある意味、誠実に思えてきた。
もちろん、これは全部フレアにとって都合のいい解釈で、本当のところは分からないけれど。
単純にフレアのことが気に入らず、顔も見たくないと思っている可能性だってある。
けれど、それならそれで構わなかった。こう考えていれば、少なくとも冷たい態度を取られるたびに、自分が大きく傷つかずに済む。
――私は、この国の大事な『英雄』を支える、お世話係の代表みたいなものだと思っておけばいいのよね。
アレクシスが戦場で存分に力を発揮できるよう、屋敷の環境を整える。疲れて帰ってきたら、ゆっくり休めるようにする。怪我や病気になったときには、使用人たちと協力して看病する。それが自分の役割だと思えば、何も難しいことはない。
相手から愛情を返してもらう必要もなければ、感謝の言葉を求める必要もない。
それくらいの距離感でいたほうが、きっとお互い気楽だろう。
そんなことを考えていると、リドルが静かに口を開いた。
「……奥様。本当に、それでよろしいのですか?」
「え?」
「奥様ばかりが旦那様を思いやり、我慢なさる必要はないのですよ」
リドルは真剣な表情をしていた。隣のメリーも、心配そうにフレアを見つめている。
だからフレアは二人の顔を交互に見て、それからふわりと微笑んだ。
「……大丈夫よ。私は私で、ここでの暮らしを楽しんでいるもの」
「奥様……」
「それに、アレクシス様を支えるのも大切だけれど、それだけが私の人生ではないわ。やりたいことも、楽しいことも、これからたくさん見つけるつもりよ」
そう言って笑うと、メリーの表情がぱっと明るくなった。
「はい! ぜひ、私たちにもお手伝いさせてください!」
「ふふっ。もちろんよ」
一方、リドルは小さく息を吐き、深々と頭を下げた。
「……承知いたしました。私どもは、これからも奥様が心穏やかにお過ごしになれるよう、精一杯お仕えいたします」
「ありがとう、リドルさん」
フレアは嬉しくて微笑んだ。
今の自分には、気遣ってくれる使用人たちがいる。衣食住に困ることもなく、日々の暮らしも快適だ。実家も助けられている。それだけで十分、恵まれていると思う。
夫の愛情が得られないのなら、それはそれで仕方のないこと。必要以上に期待せず、適度な距離を保ちながら、穏やかに暮らしていけばいい。
結婚して一か月後少し……フレアはアレクシスとの関係を、綺麗に割り切って考えられるようになっていた。
*****
夕方になり、窓の外が茜色に染まり始めた頃――フレアは夕食を載せたワゴンを押し、アレクシスの寝室へと向かっていた。
今夜の献立は、柔らかく煮込んだ鶏肉と野菜のスープに、焼きたてのパン。それから、すりおろした果物を使った甘いデザートだ。まだ病み上がりのアレクシスでも食べやすいよう、料理人たちが工夫してくれたものである。
今朝はずいぶんしっかりしていたし、そろそろ普通の食事もできるはず。
フレアは部屋の前に着くと、ドアをノックした。
「アレクシス様、フレアです。お食事をお持ちしました」
「……入れ」
部屋の中から、低い声が返ってくる。
その声には、まだ少し掠れたところがあるものの、今朝よりずっと力が戻っているように感じられ、フレアはほっとしながら扉を開けた。
アレクシスはすでに上半身を起こし、背中に大きな枕を当てて座っていた。寝間着の襟元からは包帯の巻かれた肩が覗き、顔にはまだ病人らしい疲労の色が残っている。それでも、数日前の姿に比べれば見違えるほど回復していた。
きっと、日々鍛えて生命力に溢れるアレクシスじゃなければ、こうはいかなかっただろう。
「お待たせしました。お食事です」
フレアが微笑みかけると、アレクシスはわずかに顎を引いた。そして、フレアをじっと見つめてくる。
「……体調はもういいのか?」
「……え?」
思いがけない質問に、フレアはきょとんとした。
全20話です。続きます。




