第十九話 私を求める旦那様が可愛すぎます。
メリーはフレアをアレクシスが使ってるのとは別の浴室に案内し、フレアに湯浴みをさせた。そしてその後はフレアの体に何やらすごくいい匂いのするクリームを塗り、身支度を手伝ってくれていた。
「このクリーム、どうしたの? すごくいい匂いだわ……」
「巷で大人気の美容クリームですよ。いつも奥様にはお世話になっているので、メイドたちでお金を集めて買ったんです」
「皆で……?」
「はい。お屋敷に旦那様しかいない頃、私たちは旦那様の顔色を窺って仕事をするだけでした。でも奥様がいらっしゃってからは、お屋敷は明るくなり、仕事にも張り合いがでて、毎日とても楽しいんです」
「メリー……」
「私だけじゃないですよ。メイドたち皆が思ってます。きっと男性陣も。私たち……奥様にとても感謝してるんです。だから、とっておきの日にこのクリームを使えるように用意しておきました。いかがですか……?」
「なんだかとても幸せな気分になる香りね。ありがとう、メリー。皆にも、後でひとりひとりにお礼を伝えるわ」
「それは皆も喜ぶと思います」
フレアはいい香りをまとったまま、ダイニングへ向かう。その廊下の途中も、自分の香りに頬が自然とほころんだ。
――でもそんなに強い匂いじゃないし、アレクシス様は分からないかも……。
たとえアレクシスには分からなくても、自分の気分がいいから良しだ。
「……君もダイニングへ向かうところか?」
そのとき、フレアの後ろからアレクシスの声がした。
「旦那様」
フレアが振り向くと、アレクシスが近づいてくる。湯上がりのため、アレクシスの髪は少ししっとりとしていた。そのせいでいつもよりアレクシスの色気が増して見えて、フレアはさっと視線を外す。
ところがアレクシスが屈んでずいっと顔を近づけてきて、フレアは驚きのあまり叫びそうになるのをぐっと堪えた。
「ど、どうしました……?」
「……いや、何でもない」
アレクシスはさっと上体を起こし、フレアの手を取った。
「食事に行くぞ」
「あ、はい……」
◇
夕食が始まると、アレクシスはあの白い魔獣のことを話し出した。
「あの魔獣の毛皮は国王陛下に献上されることになったが、国王陛下の計らいで俺と君の防寒着も作ってもらえることになった」
「え……あのとても貴重な毛皮で、私のものも……?」
「あぁ、あの魔獣を見つけたとき、この白い毛皮は君に似合うと思っていた。楽しみにしているといい」
――魔獣を見つけたときに、もう私のことを考えていたの?
「ありがとうございます……とても、楽しみです」
国王陛下の計らいで……とアレクシスは言っていたが、「妻に毛皮を贈りたい」と彼から言ったんじゃないかと思い、フレアは困ったように微笑む。
相変わらず険しい顔をしているのに、なんて可愛い人なのだろう。
そのギャップをしみじみ噛みしめていると、アレクシスがふと言った。
「……痩せたな」
「え?」
「俺が遠征に行く前より痩せただろう? 具合が悪かったのか?」
まさか気づかれると思っていなかったことに気づかれ、フレアは気まずくなり、視線を落とした。実際、自分でも少し痩せた自覚はあった。
「……具合が悪いというほどのことはなかったのですが、アレクシス様がご無事か考えると、どうも食事が進まなくて……」
「前に俺が遠征に行った時は、屋敷の者たちと楽しくやっていて元気そうだったじゃないか」
「そのときは……アレクシス様とは割り切った関係でいようと思ってましたので、気を紛らわせたと言いますか。でも今は、アレクシス様を特別大事に想うからこそ、そうもいかなくて……」
「…………」
フレアがそっと視線を上げると、アレクシスは不機嫌に見えるくらい眉根を寄せていた。でも少し、頬が赤い。
たぶんこれは照れた顔だと思い、フレアはドキッとした。
「……そういうものか?」
「そういうものなのです……」
「俺とは逆だな」
「え? 逆とは……?」
フレアが聞き返すと、アレクシスは小さく咳ばらいをした。そして、ますます険しくなった顔で話し出す。
「……以前は、討伐中に何があろうとそれが天命だと受け入れる気でいた。しかし今は……何があっても無事で帰らねばならないと思っていた。早く家に帰りたいと思ったのも、今回が初めてだ」
フレアはアレクシスを想うがゆえに、気持ちが弱っていた。しかしアレクシスはフレアを想い、気持ちを強くしていた。確かに……逆だったみたいだ。
「……もう、安心して食べられるか?」
アレクシスが気遣うようにフレアを見る。
その途端、フレアは胸がいっぱいになった。でも泣きそうになるのを堪え、笑顔を浮かべる。
「はい、もう……大丈夫です。アレクシス様が、ご無事で帰ってきてくださったのですから」
するとアレクシスは目を丸くし、続いて額を片手で押さえて項垂れ、ふぅ……と息を吐いた。
急に大きく息を吐くアレクシスを見て、フレアは不安になる。
「だ、大丈夫ですか? もしやどこか痛むところが……?」
「……心配するな。ほとんど怪我はしていない」
「……そうですか。良かった」
しかしそうなら、なぜ項垂れたのか。
その後も当たりさわりのない屋敷の話を聞いてもらいつつ、食事は進んだ。
けれど一度項垂れてから、アレクシスはあまりフレアの方を見ようとしなくなった。話は普通に聞いてくれているが、さりげなく自分の方を見ないようにしているように感じて、フレアは少し不満だった。
アレクシスのすることは、まだ分からないことが多い。
ようやく帰ってきて顔を合わせているのに、こんな態度じゃ離れている間に蓄積された寂しさも解消しない。
食事中は疲れているアレクシスが栄養を取れるように我慢したが、食事が終わって部屋に戻ろうというとき、フレアはアレクシスに詰め寄った。
「アレクシス様……食事中、なぜ急に私を見てくれなくなったのですか?」
フレアが聞くと、アレクシスは廊下の途中でパッとフレアの方を見た。
しかしすぐに視線が逸らされる。
「ほらまた……」
「…………」
「…………私、何か嫌なことしましたか?」
自分が悪かったのだろうかとフレアはシュンとする。
するとアレクシスがぐっとフレアの手を握ってきた。……顔を見ないまま。
「……いや、違う。君は悪くない。何も」
長年剣を握ってきたゴツゴツした手が、フレアの手をすっぽりと包み込む。手だけのことだけど、どこにも行かないように閉じ込められたみたいで、フレアはちょっとドキッとした。
「では……なぜ?」
「…………」
「言ってくれないと、やっぱり自分が悪かったんじゃないかと思ってしまいますが……」
「…………」
アレクシスはなかなか言い出せないのか、眉間の皺ばかりが深くなる。
しかしフレアだって譲れなかった。
「……私に愛されたいなら、ちゃんと言ってください」
少し意地悪な言い方だったが、アレクシスには的確に効いていた。
低くアレクシスが呻き、フレアの手を握る力がわずかに強くなる。
「……戦いに行くと」
「……はい?」
「騎士団には男しかいない」
一体何の話をし始めたのかとフレアはきょとんとした。そのくらいならフレアも知っている。
「……移動だけで、土と埃と木ばっかり見ているつまらん日もある」
「……はぁ」
ただこっちを見ない理由を聞こうとしていたはずなのに、ゴールがまったく見えない。
「毎日まともに水浴びもできず、魔獣を追いかける。野郎どもの汗臭い匂いも、魔獣の血の匂いも、だんだん麻痺して何も感じなくなる。それで……ようやく帰ってきたわけだ」
「お、お疲れ様です……」
「あぁ……それで帰ってきたら」
アレクシスのもう片方の手が、フレアの頬に触れてきた。
「めちゃくちゃいい匂いがする君がいて」
頬に触れた手が肌を滑り、フレアの耳を撫でる。
「俺の帰りを喜んで、眩しいくらい可愛く笑ってんだぞ」
赤い瞳はフレアをしっかり捕らえていて、目が離せない。
「これ以上君を見てたらどうにかなりそうだと思ったから、あえて見ないようにしてたんだ」
やっと……フレアにもアレクシスの言いたいことが分かった。
心臓の音がうるさくなる。
食事の前……廊下で顔を近づけてきたのは、いい匂いを感じていたから。食事中にこちらを見なくなったのは、可愛いくて堪らないと思ってくれていたから。
アレクシスが秘めていた想いが結びついて、フレアの心を絡めとる。
「じゃあ今は……?」
聞き返したフレアの声は、少し掠れていた。
「……どうにかなりそうだ」
答えるアレクシスの声も少し掠れていて、フレアはゾクッとした。
いつの間にかアレクシスから男らしい色気が迸っていて、触れられたところが熱くて堪らない。
自分の望むものなら何でも手に入れられるであろうアレクシスが、こんなにも自分を求めてくれるなんて……。
その顔は、戦場で数多の魔獣を討ち倒してきた英雄のものではない。ただ、自分の帰りを待っていた妻を愛したい一人の男の顔だ。
――可愛い。
剣技大会で圧倒的な強さを見せつけた騎士団長の頭の中が、フレアのことでいっぱいになっている。
とても雄々しくてかっこいいけど、これを可愛いと言わずして何と言うのか。
……そのとき、アレクシスはフレアの手を取り、自分の唇を押し当てた。
ちゅっと音を立てて唇が離れるものだから、フレアは耳まで真っ赤になる。
「帰ってきたら、今度はもっと夫婦らしいものしてくれるんだったよな?」
「あ……」
「さぁ、何をしてくれるんだ?」
全20話です。次がラストです。




