第二十話 私を溺愛したがる旦那様を可愛がりましょうか。
こっちはアレクシスにいつ何をされてもおかしくないってくらい迫られている気持ちなのに、行動を催促されてフレアはもう限界寸前だ。
――な、何をすればいいと? そりゃ、あのときは……唇にキスとか、考えてたけど……。
少し背伸びをすればすぐに届きそうなくらい近くにアレクシスの唇がある。早くしろ、とでも言いたげにアレクシスの目が据わった。
でも……。
「こ、ここ、廊下ですよ! こんなところじゃ何もできませんっ!」
とりあえず何でもいいから現状を変えたくて言ってみたら、アレクシスはあっさりと「そうか」と言って手を離した。
少しアレクシスの体と距離ができて、ホッとしたが……。
次の瞬間には、フレアの体が宙に浮いた。
「きゃっ」
正確に言うと、フレアは片腕でアレクシスに抱き上げられていた。
人一人を片腕で抱えられるってどういうことなのか、何も鍛えていない細腕しか持たないフレアには理解できない。しかもどうしてこんな安定感があるのか。魔獣を討伐して、剣技大会で戦って、それでもなお力は衰えないのか……。
初めての体験に変なことで頭を悩ませていると、その間にアレクシスは自分の部屋に入り――フレアをベッドに置いた。
「……ここなら、何でもできるな」
背中に感じる冷たいシーツ。上から覆いかぶさるようにして見下ろしてくる、うっすら笑ったアレクシス。
完全に逃げ場がなくて、フレアは赤い顔を手で覆って「うぅ……」と呻いた。
「観念しろ。泣いても逃がす気はない」
容赦ない騎士団長みたいなことを言われて、フレアは「あぁぁ……」と悶えた。
――ダメだわ。みたいな……っていうか、この御方は本当に容赦ない騎士団長だし……。私のこと、絶対に逃がす気ないわ……。
こうなったら、覚悟を決めるしかない。
フレアはきゅっと唇を引き結んで、そろそろと顔を隠していた手をどかした。
「……名前、呼んでください」
フレアがぼそっと言うと、アレクシスの目がわずかに揺らいだ。
「まだ……私、名前で呼ばれてないです。名前呼んでくれたら……キスしてあげます……」
いつもアレクシスはフレアを「君」と呼ぶ。アレクシスが呼ぶなら「君」でも嬉しいけど、本当は……いつ名前で呼んでくれるんだろうと待っていた。
アレクシスが名前で呼んでくれたら、もっと彼に近づける気がするから――。
「……フレア」
低いけど、とびきり甘い声が降ってきた。
たったひとりの、妻の名前を乗せて。
「フレア」
じわっと体にしみ込む音が、フレアの胸を締め付ける。
呼んでと言ったのは自分なのに、そう言ったのを後悔しそうになるほど、ドキドキして苦しい。
「フレア……」
「も、いいです……よく、聞こえました」
「……こんなにいい反応をするなら、もっと早く呼んでやれば良かったな」
何を言って……と思ったが、言葉にはならなかった。
アレクシスの唇がフレアの唇に重なったから。
しっとりと熱を帯びた唇の感触に、フレアは息を止めた。
数秒のことで、もうアレクシスの唇は離れた後。でもフレアは呼吸を思い出すまでさらに数秒を要した。
そして……我に返った。なんでどうしてアレクシスのほうからキスされたのか。
「き……キスしてあげますって、話だったのに……っ」
フレアが顔を真っ赤にして抗議すると、アレクシスはふっと笑った。
「待ちきれなかった」
「ま、待ちきれなかったって……んっ」
喋ってる途中なのに、またアレクシスがキスしてきた。
「も、もう……! アレクシス様が上にいるから、私からキスできないんです! ちょっと退いてください」
アレクシスを押しのけようとするが、フレアの力で動かせるはずもなく……またアレクシスが口づけてきた。今度は、さっきより深く。
初めての感覚に驚いて、アレクシスを押しのけようとしていた手は、いつの間にか縋るようにアレクシスのシャツを握っていた。
「アレクシス……様……」
ようやく自由になった唇で恨めしそうに名前を呼ぶと、アレクシスはまったく悪びれていない顔をしていて……。
「……悪いな、フレア。もう、どうにかなっちまって……何も我慢できない」
フレアの胸に、結婚したばかりの頃には想像もできなかった気持ちが満ちた。
愛したい。この人を可愛がりたい。そして、愛されたい。求められたい。
愛されていなくても仕方ない。妻だから……と体を差し出そうとしたときとは、まったく違う気持ちだった。
アレクシスにしか抱かない気持ち。アレクシスじゃないと駄目だ。
アレクシスだから……。
「フレア」
乞うように名前を呼ばれる。この先の許可をねだられているのが、何となく伝わってきた。
でも、どうしてもアレクシスの体が心配になってしまう。
「遠征から帰ってきたばかりですよ。それに剣技大会で特別試合までして……絶対にお疲れだし、今日はゆっくり休んだ方がいいと思うのですが……」
「このままじゃ眠れない。ゆっくり休むために必要なことだ」
――あぁもう……そんな風に食い下がるの、可愛すぎるわよ……。
「もう……それなら、仕方ないですね」
許可をすると、アレクシスはうっそりと笑ってフレアに口づけた。
こんなに自分を愛したがっている可愛い彼に、お預けなんてできない。
可愛い。可愛い。可愛がりたい。
…………。
――しかしそんな風に思えていたのは最初だけ。途中からフレアはとても可愛いとは言えないアレクシスの猛愛を受け、結果的に可愛がられてしまったのだった。
◇
アレクシスと過ごす時間は、これからもっと増えていく。
かつて「愛するつもりはない」と言った彼は、今でもその過去の発言を悔いていて、その姿すらフレアは愛しく感じている。
人を寄せ付けないような険しい顔は今もあまり変わらないけど、フレアを見つめる眼差しは優しくて甘い。
そんなアレクシスの変化に気づいている騎士団の人たちは今、とても結婚願望が強まっているらしい。
……ちなみに剣技大会でアレクシスに負けたフォクシーとその婚約者のエミリーの婚約は破談になっていた。
試合の後、エミリーはアレクシスに負けたフォクシーを「恥ずかしかった」と責め、負けたことを気にしていたフォクシーと大喧嘩。プロポーズどころか、フォクシーから婚約破棄の話が出て、エミリーと両親がかなり焦っていたとか。
当然、謝罪をしたようだが、砕かれたフォクシーのプライドは元通りにはならず、エミリーにとって散々な結末となったということだ。
「あれはフォクシー様も悪かったと思いますけどね。あのまま優勝で良かったところを、わざわざアレクシス様を貶めるような言い方をして、自分の力を誇示しようとしたのですから」
社交界でエミリーの事を聞いた日、フレアが剣技大会のことを思い出して言うと、アレクシスは隣に座ったフレアを抱き寄せて小さく笑った。
「……そう言うな。男っていうのは、好いた女にいいところを見せたがる生き物だ」
「……え?」
――それって、もしかしてアレクシス様も……?
こんなに強い人が力を誇示するのに巻き込まれたフォクシーは、ただただ不運だったのかもしれない。
――ちゅっ。
考え事をしていたフレアの耳元に、アレクシスが突然吸い付いてきた。
「なっ……いきなり何をっ」
「あいつのことを考えるのはもう終わりだ」
じゃれるように何度か口づけられる。この大きな肉食獣に懐かれているような感じが、フレアは堪らなく好きだ。
「ふふ……アレクシス様のことを考えていてほしいんですか? 可愛い人」
黒くて短い髪をわしゃわしゃ撫でていると、じろっと赤い瞳に睨まれた。
「……そんな犬みたいな可愛がり方で、俺が満足すると思っているのか?」
「え?」
「フレア」
甘く名前を呼ばれたら、今度はアレクシスがフレアを可愛がるターン。
かつて「君を愛することはない」と言った痛々しい旦那様が、妻を愛でて愛でて愛でまくる時間が始まる。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
次は新しい作品(全31話)を連載しますので、良かったらまた読みに来てください('ω')♪




