第十七話 旦那様が剣技大会に特別参加されるようです。
巨大な狐に似た姿。何より目を引くのが、全身を覆う真っ白な毛並みだ。雪のように白く、光を受けると銀色にも見える美しい毛。
「あれ……珍しい白毛の魔狐じゃないか!」
「白毛の魔狐だと!?」
「毛皮がものすごく高額で取り引きされるという、あの!?」
「まぁ……なんて美しい毛並みでしょう!」
観客席のあちこちから、驚きの声が上がる。
白毛の魔狐は、滅多に姿を現さないうえに非常に獰猛で討伐も難しい魔獣として知られていた。しかしその毛皮は美しいだけでなく、保温に優れ、王侯貴族の間でも高値で取り引きされている。
「すごい……あれほど巨大な個体は見たことがないぞ」
「帰還途中に現れたという魔物はあれか……! あんなものと戦ってしかも仕留めるとは……!」
会場に驚嘆の声が広がる。
やがて、ガブリアスが演武場の中央へ進み出た。
「アレクシス! 見事な手土産だな!」
「総指揮官」
アレクシスはその前で足を止め、敬礼する。ガブリアスが何かを尋ねると、アレクシスは短く答えた。続いて、背後の騎士たちへ視線を向ける。ガブリアスは報告を聞きながら何度も頷き、最後には満足そうにアレクシスの肩を叩いた。
――無事にお帰りになったのね。でも、お怪我は大丈夫かしら……?
フレアは必死で目を凝らし、アレクシスの様子を観察する。
するとふいに、ガブリアスが観客席を指さした。その指が向けられたのは、ちょうどフレアのいる方向だ。アレクシスがその指に導かれるように顔を上げ――その赤い目がフレアを捉えた。
距離があるのに、目が合ってるのが分かる。
「アレクシス様!」
思わず声が漏れる。大勢の観客がいるから、騒がしくて声など届かない。
でもアレクシスは、ほんの少しだけ目を細めた。
それだけで、胸の奥に溜まっていた不安が一気にほどけていく。フレアも自然と笑顔になった。
しかしその一方で――。
「……まったく、タイミングが悪いですわね」
少し離れた席から、エミリーの不満げな声が聞こえてきた。
決勝戦前に席に戻ってきた彼女は、扇を握りしめて演武場に集まった第一騎士団を睨むように見つめている。
「今からフォクシー様の試合が始まるというときに……わざとでしょうか」
アレクシスに嫌味を言われているように感じ、フレアは眉をひそめた。
わざとなんて……そんなことがあるはずがない。
任務を終え、王城へ報告に来たところ、たまたま大会の決勝戦と重なってしまっただけだろう。実際、アレクシスは総指揮官への報告を終えるとすぐに部下たちへ指示を出し、巨大な魔狐を載せた台車は観客の邪魔にならないよう、会場の端へ移動させている。騎士たちもぞくぞくと演武場から退き、観戦の体勢に入った。
予定より少しおくれたものの、再び決勝戦の舞台が整う。
「――それでは、決勝戦を再開する!」
審判の声が響き、フォクシーとリオンが向かい合う。
互いに剣を構え――。
「始め!」
合図と同時に二人が動いた。
先に踏み込んだのはフォクシーだった。鋭い一撃がリオンの肩口へ振り下ろされる。
リオンは即座に剣を合わせ、金属音を響かせながら受け流した。そのまま一歩踏み込み、今度はリオンが反撃する。
フォクシーが身を捻り、剣先をかわす。間髪入れずに剣を振り上げ、リオンの脇腹を狙った。
だが、リオンも簡単には崩れない。互いの剣が激しくぶつかり合う。
「おおおっ!」
「すごいぞ!」
「どちらも一歩も引かない!」
観客席から歓声が上がった。
――すごいわ。あんな速さで剣を振るえるなんて……。
これまでにも多くの試合を見てきたが、決勝戦は一段と激しかった。
フォクシーの剣は力強く、相手を圧倒するような攻撃が多い。一方、リオンは冷静に攻撃を受け流し、隙を見つけて反撃する。
何度も剣が交わされ、そのたびに観客席が沸き立った。
両者の額には汗が浮かび、呼吸も荒くなっていく。それでも、互いに譲ろうとはしない。
しかしやがて――。
「……はぁっ!」
フォクシーが大きく踏み込んだ。
リオンが剣を振り上げて受けようとした瞬間、フォクシーは素早く体勢を変え、逆方向から剣を振り抜く。
「……っ!」
リオンの防御がわずかに遅れた。
次の瞬間、フォクシーの剣先がリオンの胸元を捉える。
「――そこまで!」
審判が大きく手を上げた。
「勝者、第二騎士団長フォクシー!」
その声と同時に、会場が歓声に包まれた。
「うおおおおっ!」
「フォクシー団長!」
「見事な勝利だ!」
フォクシーは剣を高く掲げ、満足げな笑みを浮かべた。
その姿を見たエミリーが、勢いよく立ち上がる。
「きゃ~! フォクシー様! 素敵~!」
周囲の令嬢たちも拍手を送り、祝福の声を上げた。
フォクシーは観客へ向かって優雅に一礼する。それから、ガブリアスの待つ中央へ進んでいった。
「フォクシー、優勝おめでとう」
「ありがとうございます、総指揮官」
フォクシーは胸に手を当て、恭しく頭を下げた。その顔には、隠しきれない得意げな笑みが浮かんでいる。
「見事な剣技だった。リオンもよく戦ったな」
「はい。ありがとうございます」
リオンも礼を述べ、二人は互いの健闘を称え合う。
しかし、フォクシーはそこで終わらなかった。
「……ただ、少々残念ではありますね」
「ん?」
ガブリアスが眉を上げる。
フォクシーはちらりと、少し離れた場所に立つアレクシスへ視線を向けた。
「第一騎士団が参加できなかったことです。今年は私も万全を期しておりましたので、叶うことなら、全力でアレクシス団長と剣を交わしたかったのですがね……。この大会で、彼と決着をつけられなかったことだけが心残りです」
その言葉に、周囲の騎士たちが顔を見合わせる。
アレクシスは、昨年も一昨年も剣技大会で優勝していた。いや、もはや今までの大会で、アレクシスが参加していて優勝しなかった大会はない。優勝しなかった年は、アレクシスが他の仕事で参加できなかったものだけ。
「よく言うよな……フォクシー様が優勝できたのはアレクシス様がいなかったからなのに」
誰かがぼそっと言う声がフレアには聞こえてきた。
しかし、彼はさらに調子よく続けた。
「もっとも……最近の彼は、結婚して少々浮かれていると聞きます。以前より剣の腕が鈍っているのではないか、という噂も耳にしましてね。もしかすると、今年の大会で己の実力が露呈しなかったことに、本人もほっとしているかもしれませんね。はっはっは」
その瞬間、周囲の空気が変わった。魔獣討伐のために命懸けで遠征し、ようやく帰還したばかりの団長に対して、あまりにも無礼な発言だったから。
「……何だと?」
「ふざけたことを……!」
観戦していた第一騎士団の騎士たちが、何人か立ち上がった。
会場は静まり返り、騎士たちが騒ぐ声まで観客席に聞こえてくる。
ガブリアスも、厳しい顔でフォクシーを見据えた。
「フォクシー。その発言は――」
「――だったら今から勝負するか?」
ガブリアスの言葉を遮り、立ち上がったのはアレクシス。
彼はゆっくりと歩み出て、フォクシーの前に立った。静かな表情のアレクシスと対峙し、フォクシーの顔が強張る。
「……え? い、いや……君は今、魔獣をあれだけ倒したあとだろう? ゆっくりしたほうがいい」
「貴殿も、決勝まで何戦もした後だ。条件で言えば同じだろう」
「し、しかし、そうは言ってもだな……」
「俺が不利だというのなら、貴殿には好都合なはずだが……まさか怖じ気づいたのか?」
「……っ」
フォクシーの頬が引きつる。
アレクシスは腰に下げた剣へ、静かに手を添えた。
「結婚して浮かれている自覚はなかった。腕が鈍っているかどうか……貴殿で試させてくれ」
その声には、少しの怒気も感じられなかった。しかし、だからこそ恐ろしい。
フォクシーは思わず半歩後ずさった。
「む、無理をするなよ。君が疲れていることは分かっているんだ」
「心配は無用だ。剣を交えれば、すぐに分かる」
アレクシスはまっすぐフォクシーを見据えている。今にも剣を抜きそうな緊張感を持って。
フォクシーは慌ててガブリアスへ顔を向けた。
「そ、総指揮官! 優勝は私ですよね!?」
ガブリアスは腕を組み、少し考えた。
「……そうだな。アレクシスはトーナメントに最初から参加しているわけではない。正式な優勝者はフォクシー、おまえだ」
「そ、そうでしょう!」
フォクシーが安堵しかけたそのとき――総指揮官は低い声で続けた。
「だが――おまえはアレクシスの実力を疑う発言をした。それも、大勢の騎士や貴族たちの前でな。アレクシスが望むのであれば、追加試合を行うべきだと判断する。フォクシーも先ほどは、全力でアレクシスと剣を交えたかったと言っていただろう。望みが叶うんだ。遠慮することはない」
第一騎士団の騎士たちから、低い笑い声が漏れる。
フォクシーは明らかに顔色を悪くしていた。それでも……彼にもプライドがあるようで、大勢の観客の前で断るわけにはいかなかくなっていた。
「……分かりました」
フォクシーはぎこちなく頷いた。
「――これより、特別試合を行う!」
審判が声を上げると、観客席が大きくどよめいた。
「アレクシス団長とフォクシー団長が戦うのか!?」
「なんということだ!」
「今年の優勝者と、昨年までの連覇者の対決だぞ!」
「フォクシー様! 勝ってくださいまし~! アレクシス様に負けないで~!」
歓声が次々に広がり、フレアも緊張した面持ちで演武場を見つめた。
全20話です。続きます。




