第十四話 旦那様が可愛く見えてきました。
最初に失礼極まりない態度を取った男性を、一生許せない女性もいるだろう。許さないこともできるだろう。
でも彼は、謝れる人だと知ってる。自分に非があると分かったら、謝ってちゃんと改められる人。
だから……。
「許してくれ。愚かな俺を」
「……いいですよ。アレクシス様が私との関係を改めたいとおっしゃるなら、許します」
フレアが微笑むと、アレクシスがまたぐっと抱きしめてきた。
彼の体がさっきより熱く感じる。
「感謝する……そして俺も良き夫になると誓おう」
「……楽しみにしてます」
許されたのがよほど嬉しかったのか、アレクシスはフレアを抱きしめてしばらく離さなかった。自分より大きな体で遥かに強い力を持つ人が、縋るように抱き着いているのが、本当に可愛い。
今までドライな関係だったから、そのギャップもあってフレアは落ち着かなかった。
――初めて知った……。私って、こういう男の人が好きだったのね。
*****
アレクシスとフレアが屋敷に戻ったとき、すでに日付が変わっていた。しかしいつまでも戻らない主を心配して、リドルたちは屋敷の灯りをつけてエントランスで待っていた。
「――旦那様! 奥様! ようやくお戻りになりましたか!」
「リドルさん、ただいま帰りました。遅くなってすみません」
「何も、問題はございませんでしたか……?」
リドルさんをはじめ、使用人たちは不安そうにフレアを見る。横目でちらちらとアレクシスを気にしながら。
「……アレクシス様が夜光蝶を見せてくださったんです。とても綺麗でした」
「夜光蝶を……?」
「行き先も戻る時間も告げず、心配をかけましたね。もう皆、休んでください」
フレアが使用人ひとりひとりを安心させるように目配せしていくと、ほっとしたような微笑みが返ってきた。
「奥様、軽くお湯浴みをされますか?」
「ありがとう。メリー、手伝ってくれる?」
「はい」
「……それではアレクシス様、おやすみなさい」
「…………あぁ」
少し間があって、アレクシスが頷いた。
何か言いたげに見えたが、これ以上遅くなっては湯浴みを手伝ってくれるメリーの寝る時間がさらに遅くなってしまう。フレアは明日聞こうと思って、湯浴みに向かった。
*****
初めて馬に乗り、夜道を駆けた。
夜光蝶の泉を見た。
アレクシスから想いを告げられた。
すべてがフレアの精神を高揚させ、湯を浴びてもなかなか落ち着かない。
そして何より――あのアレクシスの可愛い姿。
――君を愛したいとか、良き夫になるからとか、可愛すぎでしょう。
「ふぁぁぁ」と変な声を上げそうになって、フレアはお湯の中に顔をつけた。
そしてふと、母を思い出す。
不甲斐ないところも多い父に寄り添い、献身的に支える母。何があっても腐らず常に良き妻であろうとしていたと聞いていたけど、なんだかんだ父を見放さず愛している理由が、分かったかもしれない。
きっと母も、父が可愛いのだ。
ちょっと難のある男性を可愛いと思ってしまうのは、血筋なのかもしれない。
湯浴みを終えて部屋に戻ろうとすると、フレアの部屋の前にアレクシスが立っていた。別の浴室で湯浴みをしてきたのか、ガウン姿だ。
もう今夜は会わないと思っていたフレアは、予想外の逢瀬に少し緊張した。
「こ、こんなところでどうされました?」
「君が戻るのを待っていた」
「何かあったのですか?」
「まずリドルに怒られた」
「え?」
「こんな夜遅くに君を馬に乗せて走るなんて、女性の扱いがなっていないと言われてしまった。重ね重ねすまない」
「だ、大丈夫ですよ。最初は驚きましたけど……いい夜でした」
フレアの言葉を聞いて、アレクシスの目元が緩む。ホッとしたみたいだ。
「それをわざわざ謝るために、待っていてくれたんですか?」
聞くと、アレクシスは「それだけじゃない」と切り出す。
「君に許されてどうも浮かれている。嫌でなければ、俺の部屋で眠らないか?」
「あ……アレクシス様のお部屋で?」
「離れがたいんだ」
自分より遥かに体の大きい男性が、いつも通りの低い声で甘えた言葉を口にする。
そのギャップに、フレアは息を呑んだ。妙に喉が渇く。
――離れがたいって……これはもしや、子作りに誘われているの?
自分に許されたくらいで浮かれているアレクシスは可愛い。一緒に寝たいと言いたくてわざわざここで待っていたのも堪らない。
でも……今夜、これ以上の出来事があれば許容オーバーになってしまう。
断りたい。だけど良き妻なら、ここで断らないだろう。今日は勘弁してほしい。しかし良き妻として、いつ何時でも夫の要望には応えなければいけないはず。
自分の正直な気持ちと、良き妻の務めが脳内を駆け巡り……。
「……分かりました。アレクシス様が、そう仰るのでしたら……」
……良き妻の務めに軍配が上がった。
フレアがアレクシスの部屋に入るのは、結婚式の夜以来だ。
部屋に入ってすぐドアの前で立ち尽くしていると、アレクシスがそっとフレアの背中を押した。
「疲れただろ。寝よう」
――眠るって、本当に寝るの? それとも?
ベッドが近づくだけで緊張が増していく。前回はちゃんと覚悟を決められたのに、今日は気持ちを切り替えられない。
アレクシスがフレアを好きだという事実を知ったから、つい自分がどんなふうに愛されるのか想像してしまう。しかし想像しきれないあれやこれやにひとりでパニックになりそうだった。
とりあえずベッドの淵に座ると、アレクシスはベッドに迷わず上がった。
「……座ったままで寝る気か? ほら……こっちで寝ろ」
「え?」
腕を取られ、誘導されるままにベッドに横になる。
いつも上にあるアレクシスの顔が近くて、フレアはきゅっと唇を引き結んだ。
「緊張しているのか?」
「そ、それは……はい」
「……そんなに緊張してたら眠れないぞ。力を抜け」
「こ……このまま本当に眠って、よろしいのですか?」
言いながら、頬が熱くなるのを感じた。顔が赤いのはきっとアレクシスにもバレているだろう。
熱くなった頬にかかる髪を、アレクシスがそっと指で払ってくれる。
「……さすがの俺も今から君に無体を働くほど落ちぶれちゃいない。安心して眠れ。今宵はただ……共に眠れるだけでいい」
「ほ、本当にしないんですね……?」
「……したいのか?」
「い、いえ、今日はこのまま寝たい気持ちです……」
「なら寝ろ」
アレクシスが望めば、フレアは断ることなどできない。どんな抵抗もアレクシスの前では無意味だろうから、アレクシスはいつでもフレアを抱けるはずだ。
それが分かっているから、大事にされているのが伝わってきてフレアの胸の奥がぎゅっとなった。
「……で、でしたら……おやすみなさい」
「……おやすみ」
……本当に本当に、何もしないらしい。
気づけばアレクシスの寝ているほうから規則正しい息遣いが聞こえてきて、フレアはゆっくりと体の力を抜いた。
――寝ちゃってるわ。緊張して眠れないとか、ないんですね。……私と違って。
慣れないアレクシスの香りがする。男らしいけど清潔感のある香りに惹かれて、フレアは少しだけアレクシスに近づいてみた。
アレクシスは動かない。
フレアは思い切って、アレクシスの腕のあたりをきゅっと握ってみた。
かすかに体温が伝わってくる。それだけでなんとも言えない甘酸っぱい気持ちになった。
これからもっとこの人を好きになってしまう予感がする。ドキドキしながらフレアも眠った。
*****
翌日、目を覚ますと昼前で、アレクシスは既に屋敷にいなかった。
「奥様は疲れているだろうから起きるまで寝かせておくようにと旦那様が……」
「そう。気遣ってくださったのね」
遅い朝食をとっているフレアに、アレクシスからの伝言を伝えてくれたメリーだったが、その後なぜか心配そうに言葉を続けた。
「差し出がましいことでしたら申し訳ございませんが……お体は大丈夫ですか?」
「え?」
「あんな夜遅くに奥様を連れ出しておいてそのまま寝室に引きずりこむなんて、旦那様もあんまりだと思います……」
――寝室に引きずり込む? もしやメリーは私が旦那様のお部屋に入るのを見ていた……?
メリーの心配そうな視線と言葉から、何を勘違いされているのかフレアはすぐに理解した
「ち、違うのよ! 一緒に普通に寝ただけ! アレクシス様は私がゆっくり休めるように気を遣ってくださってたわ」
「た……ただ寝るだけで、旦那様が奥様を寝室にお連れに……?」
信じてもらえていないようだ。このままではアレクシスにあらぬ疑いがかかったままになってしまう。
――メリーやお屋敷の人たちになら、話してもいいかしら。
フレアは思い切って、昨日のことをメリーに伝えることにした。お屋敷で働いてくれている人たちなら、アレクシスの心の変化を知っていてもらっても問題ないはず。
「……実は、馬に乗って出かけたときに、アレクシスとお話をしたのよ。それで……アレクシス様が、ずっと私を邪険にしていたことを謝罪してくださったの」
「だ、旦那様がですか!?」
「そう、私も驚いたわ。でも……私との関わり合いをアレクシス様が変えたいとおっしゃるのなら、信じてみようと思って。同じ部屋で寝るようにアレクシス様が誘ってくださったのも、私と仲良くなりたいからみたい」
「す……すごいです! つまり、奥様の無償の愛が旦那様の冷たい心を溶かしたということですね!? 本当に、本当にすごいです!」
メリーは感動したようで涙ぐんでいた。
「そして旦那様のことを許せる奥様はなんて懐の深い御方なのでしょう……。お許しになることに、迷いはなかったのですか?」
「あまり迷わなかったわ……だって、可愛かったのよ」
「え?」
「アレクシス様が可愛かったの」
「あ……あの旦那様が、可愛い……ですか?」
「分かるわよ……あんな大きな体の男の人を可愛いって思うのは変よね。でもね、そんな人が自分に甘えてくれるギャップが、可愛かったの」
「つまり……奥様も旦那様を心から好きになったんですね!」
「……!」
ハッキリ言われて、恥ずかしくなる。
分かっていた。自覚はあった。でも、改めて言葉にされると戸惑う。
「そうね……好き、になっちゃった」
「……でしたら、よかったです。奥様が旦那様を好きになれて、旦那様の想いに応えたいと思われてるのでしたら、これ以上に素晴らしいことはありません」
「ありがとう……」
自分とアレクシスがうまくいくことを喜んでくれる人がいる。それだけでフレアは温かい気持ちになれた。
全20話です。続きます。




