掌を返す民衆
刷り紙が出回ってから、三日が経っていた。
ユリアンは、レオンと共に、市場へ向かった。逃げ隠れするつもりはなかった。だが、その決意は、想像以上の現実に、すぐに打ち砕かれることになる。
「見ろ、あの王子だ」
「扇動者が、よく顔を出せたもんだな」
市場に足を踏み入れた瞬間、周囲の視線が、一斉に突き刺さった。数日前までとは、まるで別の場所のようだった。
「王になるために、内乱を起こしたんだろう!」
「兵士まで利用して、人気取りしてただけだったんだ!」
罵声が、次々と飛んできた。ユリアンは、その一つひとつを、黙って受け止めるしかなかった。反論の言葉は、今は、何の意味も持たない。
「殿下」
レオンが、庇うように、一歩前に出た。
「いい。下がってくれ」
「ですが」
「今、俺が言い返しても、誰も聞かない。それが、今の現実だ」
石が一つ、足元に投げつけられた。当たりはしなかったが、周囲の敵意は、さらに強まっていった。
「みんな、いい加減にしな!」
その時、市場の喧騒を割るように、しわがれた声が響いた。
「グレタ婆さん……」
ユリアンが振り返ると、いつもの店先で、グレタが、腰に手を当てて立っていた。
「あんたら、証拠も見ずに、噂だけで石を投げるのかい」
「だって、婆さん、偽造書簡やら送金記録やら、証拠はあるんだろう?」
一人の男が、言い返した。
「証拠なんざ、いくらでも作れるさ。あたしゃ、この王子が、市場に足を運んで、あたしらの愚痴に耳を傾けてた姿を、この目で見てきたんだよ」
グレタは、まっすぐに、周囲を見渡した。
「一度会っただけの噂話と、この目で見た半年と、どっちを信じるかは、あたしが決めることさ」
「あたしは、信じるよ。この王子のことを」
その一言に、周囲が、一瞬、静まり返った。だが、すぐに、また野次が飛び始める。
「婆さん一人が言ったって……」
「私も、信じます」
別の声が、割って入った。振り返ると、そこには、あの兵士の遺族――幼い息子を連れた女性の姿があった。
「殿下は、うちの子に、嘘をつきませんでした。"死んでよかったとは言わない"と、はっきり仰ってくださいました。あんな言葉を言える人が、内乱を裏で操るとは、思えません」
女性の隣で、幼い息子が、じっとユリアンを見つめていた。あの日、涙を流していた瞳が、今は、まっすぐに、こちらを見ていた。
罵声は、まだ、やまなかった。市場のほとんどは、依然として、ユリアンへの疑念と怒りに満ちていた。
だが、その中で、確かに、二つの声が、残っていた。
ユリアンは、その場に立ち尽くしたまま、しばらく、動けなかった。
(救われた、わけじゃない)
大半の人間が、自分を扇動者だと信じている。その事実は、変わらない。
だが――
(俺がやってきたことは、全部、消えたわけじゃなかったんだ)
グレタの言葉、遺族の言葉。それは、これまでの半年間、ユリアンが積み重ねてきたものが、噂一つで、すべて無に帰したわけではないことの、確かな証だった。
「殿下」
レオンが、静かに、隣に立った。
「戻りましょう。今は、これ以上、ここにいても」
「ああ」
市場を後にしながら、ユリアンは、グレタと遺族の女性に、深く一礼した。二人は、何も言わず、ただ、小さく頷き返してくれた。
城への道すがら、ユリアンは、拳を強く握りしめていた。
すべてが崩れたわけではない。まだ、戦える。
だが、この状況を覆すには、もう、時間が残されていなかった。




