今までの俺を
「俺には――前世の記憶がある」
ユリアンは、静かに切り出した。
「別の世界の、別の人生の記憶だ。半年前、お前に罪をなすりつけようとした、あの瞬間に、突然、思い出した」
レオンは、しばらく黙り込んでいた。それから、何かに思い当たったように、目を見開いた。
「……以前も、同じようなことを、仰っていましたね」
「なに?」
「夜の街を歩いた日です。"前世じゃ、俺、ただの営業マンだったんだ"と。あのときは、たとえ話か、冗談だと思って、聞き流していました」
ユリアンは、息を呑んだ。あの夜、確かに口にした言葉だった。
「あれは……」
「冗談ではなく、本当だったのですか」
レオンの声には、戸惑いと、わずかな非難が混じっていた。
「……本当だ。悪かった、あの時は、よく考えて話していなかったんだ」
「前世の俺は、王子でも、貴族でもなかった。ただの営業マンっていう商人のようなことをしていたんだ。人前で話すことだけは、多少慣れていた。それが、今の演説に、活きている」
「……信じろと、仰るのですか」
「信じてもらえるとは、思っていない。だが、本当のことだ」
レオンは、しばらく沈黙していた。それから、静かに問うた。
「では――今まで殿下がなさってきたことは、すべて、その前世とやらの知識によるものだったと」
「演説の知識は、そうだ。だが、それだけじゃない」
ユリアンは、拳を握りしめた。ここからが、本当に話さなければならないことだった。
「暴君だったと言われている、これまでの俺の行い――それも、消えたわけじゃない。俺は、あの記憶が戻ってから、初めて、自分が何をしてきたのか、はっきりと自覚した」
「お前の手の傷も、使用人たちが怯える理由も、全部、俺がやったことだ。前世の記憶がどうであれ、それをやったのは、紛れもなく、俺自身だ」
レオンは、目を伏せた。長い沈黙が、部屋を支配した。
やがて、彼は、静かに口を開いた。
「では――あの方は、どこへ行ったのですか」
「……なに?」
「私が、これまで仕えてきた、あの傲慢で、身勝手な王子は。今、目の前にいる殿下と、同一人物なのですか。それとも――もう、どこにもいないのですか」
ユリアンは、答えに詰まった。
分からなかった、というのは、正確ではない。
前世の記憶を取り戻したことで、暴君だった頃の自我よりも、前世の自我の方が、確かに大きくなった。それは、間違いない事実だった。
だが、暴君だった自分が、どこかへ消えてなくなったわけではない。
あの傲慢さも、身勝手さも、人を人とも思わなかった振る舞いも――それもまた、紛れもなく、自分自身の一部だ。切り離して、なかったことにはできない。
「……消えては、いないと思う」
ユリアンは、言葉を選びながら答えた。
「あの傲慢さも、身勝手さも、今の俺の中に、確かにある。前世の記憶のおかげで、それに振り回されなくなっただけだ。なかったことには、できない」
レオンは、静かに立ち上がった。
「今夜は、これで失礼します」
「レオン」
「少し、時間をいただけますか。殿下のお話を、私なりに、受け止める時間を」
それだけ言うと、レオンは、部屋を出ていった。ユリアンは、閉じられた扉を、長い間、見つめていた。
その夜、ユリアンは、一睡もできなかった。
翌朝、レオンは、いつも通りの時間に、部屋を訪れた。表情は、昨夜と変わらず、硬いままだった。
「レオン」
「殿下」
レオンは、まっすぐに、ユリアンの前に立った。
「一晩、考えました。あの傲慢さも身勝手さも、今の殿下の中に、まだあるという話――正直、どう受け止めればいいのか、まだ分かりません」
「……そうか」
「ですが、どう受け止めればいいか分からないからといって、この半年、私が見てきた殿下まで、嘘になるわけではありません」
その言葉に、ユリアンは、息を呑んだ。
「東部への支援を、三日で実行した殿下。遺児の前で、綺麗事を言わなかった殿下。兵士の現実を、自分の足で確かめに行った殿下――それは、紛れもなく、この半年、私がこの目で見てきたものです」
レオンは、静かに、しかし、はっきりと言った。
「私は、あの方が誰であったかは、分かりません。ですが――今の、あなたを見ています」
その一言が、ユリアンの胸の奥に、静かに、しかし確かに、染み渡っていった。
「レオン」
声が、かすかに震えた。
「今のあなたを見ています。それで、十分ではありませんか」
ユリアンは、しばらく、何も言えなかった。ただ、目の前に立つ男の言葉を、噛み締めるように、受け止めていた。
「……ああ」
ようやく、絞り出すように答えた。
「それで、十分だ」
窓から差し込む朝日が、二人の間の空気を、静かに照らしていた。この日を境に、二人の関係は、もう誰かでは代替えできない、特別なものへとなった。




