第2王子との雪解け
演説から五日後――マクシミリアンにとって、その五日間は、思いのほか長かった。
あの日、ユリアンの演説を聞いた直後は、素直に「兄上にしかできなかった」と思った。それは、嘘偽りのない感情だった。
だが、部隊に戻ってからが、いけなかった。
「マクシミリアン様の演説も、悪くはなかったですが……」
「やはり、現場を見ているかどうかの差でしょうか」
兵士たちの何気ない会話が、耳に入るたびに、胸の奥がざらついた。自分の演説が、間違っていたとは思わない。だが、比べられるたびに、何かを否定されている気がしてならなかった。
夜、一人で酒を呷りながら、マクシミリアンは、ユリアンの言葉を何度も反芻していた。
(名誉ある犠牲では片付けない、か)
正しい。正しいことは、分かっている。だからこそ、腹立たしかった。
自分は、あの日、兵士たちの前で必死に声を張り上げた。それしかできなかった自分と、遺族の家まで足を運んだ兄。比べられれば、負けているのは、自分の方だ。
その苛立ちが、行き場を失ったまま、五日間、腹の底で燻り続けていた。
そして五日後、執務室で顔を合わせた瞬間、抑えていたものが、堰を切ったように溢れ出した。
「兄上。少し、いいか」
その声には、いつもの覇気がなかった。ユリアンは、頷いて応じた。
人払いをした部屋で、マクシミリアンは、しばらく黙って窓の外を見ていた。拳が、白くなるほど握りしめられている。それから、突然、振り返った。
「兄上は、兵士の死を利用して、人気を取っているだけではないのか」
自分でも、驚くほど刺々しい声が出た。五日分の燻りが、一気に言葉になって噴き出していた。
「どういう意味だ」
「遺族の家を訪ねる。子供に優しい言葉をかける。美談としては、出来すぎているだろう」
マクシミリアンの声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。
「俺は、あの日、兵士たちの士気を保つために、必死で言葉を選んだ。それを、兄上は横から――」
「待て」
ユリアンは、思わず声を荒げた。
「俺が、あの子供に会いに行ったのは、演説のネタを探すためじゃない」
「ならば、なぜ」
「知りたかったからだ。俺の言葉のせいで、誰がどう傷つくのか。それを知らずに、演説なんてできるか」
「詭弁だ」
マクシミリアンも、譲らなかった。
「兄上は、結局、俺の演説を否定したんだ。"英雄"なんて言葉で片付けるなと、遠回しに、俺を批判した」
「否定なんかしてない」
「していただろう!」
二人の声が、部屋に響いた。
「じゃあ聞くが」
ユリアンは、真正面からマクシミリアンを見据えた。
「お前こそ、英雄という言葉で、死を正当化してるんじゃないのか」
マクシミリアンの表情が、凍りついた。
「あの日、お前が兵士たちに言った言葉は、確かに彼らの士気を支えた。だが、それは同時に――遺された家族の悲しみを、置き去りにしてはいないか」
「……」
「英雄と呼べば、みんなが納得すると思ったのか。でも、あの子供は、父親が英雄だったかどうかより、父親が生きて帰ってきてほしかったはずだ」
沈黙が落ちた。マクシミリアンは、拳を握りしめたまま、何も言わなかった。
しばらくして、絞り出すように、声が漏れた。
「……分かってる」
「マクシミリアン」
「分かってるんだ、兄上。俺だって、本当は――あの言葉で、何かを誤魔化してることぐらい」
その声は、これまでのマクシミリアンからは想像できないほど、弱々しかった。
「兵士たちの前で、弱音は吐けない。だから、強い言葉で、自分自身を奮い立たせるしかなかった」
ユリアンは、しばらく黙って、弟を見ていた。怒りは、いつの間にか、消えていた。
「悪かった。お前の演説を、否定するつもりはなかった」
「……いや。兄上の言う通りだ。俺は、遺族のことを、ちゃんと見ていなかった」
その日を境に、二人の間の空気は、少しずつ変わっていった。
数日後、南部国境の防衛体制を巡って、実務的な問題が持ち上がった。物資輸送の経路と、巡回の人員配置が、うまく噛み合っていないという報告だった。
「兄上。この件、一緒に見てもらえないか」
マクシミリアンから、そう声をかけられたとき、ユリアンは少し驚いた。
「俺に、か」
「兄上は、現場の話を聞くのが上手い。俺は、指揮は得意だが、細かい調整は苦手だ」
二人は、地図を広げ、夜遅くまで、輸送経路の見直しに取り組んだ。ユリアンが市場や兵舎で聞いた声が、思いがけない形で役に立った。
「ここの街道、確かに、朝の検問で渋滞するらしいな」
「兄上、詳しいな」
「市場の婆さんに、聞いた」
マクシミリアンは、驚いた顔をしたあと、小さく笑った。
「兄上、変わったな」
「お前もな」
夜が更ける頃には、経路の見直し案が、ほぼ固まっていた。
書類を片付けながら、マクシミリアンがぽつりと言った。
「兄弟は敵だと、ずっと思ってた」
「俺もだ」
「……悪くないな。こういうのも」
窓の外には、夜空が広がっていた。演説の儀での対立とは違う、もう一つの形の距離の縮め方を、ユリアンは知った夜だった。




