血の通う政策
三度目の演説の儀は、騎士団の間に漂う冷ややかな空気の中で迎えることになった。
「今度は、何を語るおつもりですか」
準備を手伝いながら、レオンが尋ねた。
「兵士のことだ」
ユリアンは、帳面を開いた。市場と兵舎を回った日に書き留めた言葉、そして、あの遺児との対話。すべてが、そこに詰まっていた。
「英雄と呼ぶかどうかは、もういい。俺は、今この国境を守ってる人間の、現実の話をする」
壇上に立った日、広場には、これまで以上に多くの騎士たちが詰めかけていた。ユリアンへの反感が、かえって彼らの関心を引いていたのかもしれない。
「先日、国境で命を落とした四名の兵士のうち、一名の家を、私は訪ねました」
ユリアンは、静かに切り出した。
「その家には、六歳になる息子がいました。父親を、英雄だったかと聞かれ、私は――名誉ある犠牲、とは言いませんでした」
ざわめきが起きる。騎士団の間から、鋭い視線が向けられた。
「なぜなら、名誉や英雄という言葉は、遺された家族の生活を、一つも支えないからです」
ユリアンは、一拍おいた。
「今、この国境防衛に携わる兵士は、二千三百人。そのうち、装備の更新が五年以上滞っている部隊が、四割を超えています」
具体的な数字に、騎士団の空気が、わずかに変わった。
「負傷後、現場を離れざるを得なくなった兵士への保障は、この十年、見直されていません。傷を負って国を守った者が、その後の生活に困窮する。それが、この国の現実です」
「今日から、これを変えます」
声を強めた。
「まず、殉職者の遺族への支援金を、現行の三倍に引き上げます。財源は、来年度予定していた城の装飾費から回します」
「次に、老朽化した装備の更新を、二年以内にすべて完了させます」
「そして、負傷により前線を退いた兵士には、城内の文官職への優先登用を保証します。剣を握れなくなっても、この国を支える道を、失わせません」
広場が、静まり返っていた。だが、それは失望の沈黙ではなかった。
「私は、皆さんを、"英雄"という言葉で美化して終わらせるつもりはありません」
ユリアンは、まっすぐに騎士団を見た。
「英雄と呼ぶことは簡単です。でも、それだけでは、誰の生活も守れない。私は、皆さんの生活を、守ります」
沈黙のあと、一人の古参兵士が、ぽつりと呟いた。
「……あの子供の家に、本当に、行かれたのか」
「行った」
「なぜ」
「知りたかったからだ。俺の言葉が、誰かの生活に届くのか、届かないのか」
古参兵士は、しばらくユリアンを見つめたあと、小さく頷いた。
「……悪くない話だ」
その一言をきっかけに、拍手が、まばらに広がり始めた。前回のような熱狂ではない。だが、確かな、静かな支持だった。
壇を降りたユリアンに、マクシミリアンが近づいてきた。
「兄上」
「なんだ」
「あの演説は――俺には、できなかった」
意外な言葉だった。ユリアンは、少し驚いてマクシミリアンを見た。
「俺は、士気を上げることしか考えていなかった。だが、兄上は」
マクシミリアンは、言葉を選ぶように続けた。
「あの子供に、会いに行ったのか」
「ああ」
「……そうか」
それだけ言うと、マクシミリアンは、短く頷いて去っていった。まだ、雪解けと呼べるほどのものではない。だが、何かが、確かに動いた気がした。
レオンが、静かに隣に立った。
「支持を、奪ったわけではありませんね」
「ああ」
ユリアンは、騎士団の方を見た。まだ半信半疑の顔をした兵士たちの中に、いくつかの、頷きが混じっていた。
「兵士の現実を、見た結果だ。それだけだ」




