東を歩く人
旅を始めて三年になる。
旅の理由を聞かれても、いつも曖昧な返事しかできない。
「撮りたいものがあるんです」
そう言えば、たいていの人は納得する。写真家が旅をするのは珍しくない。
けれど、本当は景色や現地の人々の笑顔とかを撮りたいわけではない。
“あの背中”を追っている。
最初に見たのは、冬の海沿いの道だった。
朝焼けの中、一人の人物が東へ向かって歩いていた。
顔は見えない。背中だけ。なのに胸の奥がざわついた。
シャッターを切った瞬間、胸の奥が痛むような懐かしさが走った。
それからだ。
どこへ行っても、どんな国でも、必ず同じ背中を見つけるようになった。
距離はいつも遠い。服装も季節で変わる。
それでも、同じ人だとしか思えない。
歩き方の癖、肩の傾き、背中の線。
どれも、何となく見知っているような気がするのに、思い出せない。
今日もまた、トルコの小さな村でその背中を見つけた。
朝の光の中、ゆっくりと東へ歩いていく。
僕は無意識にカメラを構えた。
シャッターを切ると、胸の奥がまたざわつく。
……懐かしさに似ている。
村の老人に話しかけられ、話の流れで写真を見せると、彼は眉をひそめた。
「この道を東へ行く者は、昔から決まっている」
「決まっている?」
「呼ばれた者だけだよ。戻ってきた者は見たことがない」
戻ってきた者はいない。
その言葉が妙に胸に引っかかった。
その言葉の後、老人が僕の顔をちらりと見たのは気のせいか。
宿に戻り、今日の写真を確認する。
背中の人物はやはり遠い。
ふと、写真の端に細い光が写っていることに気づいた。
過去の写真にも、同じ光がある。
まるで、背中の人物が通った跡のように。
胸が強く脈打つ。
何かを思い出しそうで、でも霧がかかったように掴めない。
ふと、旅の記録を見返した。
三年前に新しくしたパスポートと、地図。
パスポートはそこそこ使っているから、それなりにくたびれ始めている。
地図には、僕が歩いたルートが線で残っている。
日本から中国へ渡り、中央アジアを抜け、トルコへ。
……?
どう見ても“西”へ進んでいる。
なのに、僕の記憶では――
一度も、西へ向かった覚えがない。
いつも東へ歩いていたはずだ。
朝日を追うように。
あの背中の向きに合わせるように。
窓の外を見ると、薄闇の中に細い道が伸びている。
その先に、かすかに人影が揺れた気がした。
東の方角だ。
胸の奥が、またざわつく。
懐かしさとも、痛みともつかない感覚。
――あの背中を、僕は知っている。
そう思った瞬間、理由のわからない涙がこぼれた。
失ったものを、思い出せないまま見ているような痛みがあった。
荷物をまとめ、カメラを肩にかける。
扉を開けると、冷たい夜風が頬を撫でた。
東の空には、細い光がひとつ瞬いている。
まるで道しるべのように。
僕は歩き出した。
あの背中に追いつくために。
あるいは――
自分がどこから来たのかを、思い出すために。
いて座は旅人




