第123話 ウォーター・キャリアー
「退くな!」イカロスはこちらに向かってくる職員たちに銃を向けた。「勝手に後退する者は撃つ!」
そう叫んだが、彼らは聞く耳を持たない。銃口を向けられていることにすら気づいていないかもしれない。その意識の向くところのキーワードは後方。自分の後方から迫りくる敵から逃れるために味方を押しのけてでも自軍後方へ。イカロスはその泥まみれの白い制服に銃撃した――アイアンサイトの中の味方はすぐさま倒れる――が、その事実に気づく者は誰一人としていない。武器さえ持っていない者もいる。少しでも軽くしようと捨ててきたのだろう。
「クソッ」イカロスは悪態を吐いた。「司令部が崩壊した程度で、こうまで戦えなくなるものか⁉」
味方だと思っていた舞台に背後から突然襲われた右翼があっという間に瓦解したのは、まあいい。
理屈として理解できる。いきなり後頭部を鈍器で殴られたようなものだ。昏倒するのもむべなるかな。
だが、それでも中央の群が奮戦したならば、いくらネリマの「戦争博物館」といえども突破はできず、全体としては理路整然と撤退することができただろう。ここにいる戦力全体を統括する最先任職員がリーダーシップを発揮すれば、あるいはそれぞれの群がしっかりと指揮能力を維持していれば、それは可能だったはずだ。
つまり現状というのはそのどちらも起こらなかったということだ。恐らくあの人の好さそうなだけの最先任職員は何もできなかったに違いない。麾下の群が多すぎて、全体の状況を把握するのに精一杯だったはずだ。その状態で襲われたのだろう。一方で他の群は各自の判断で行動をしたのだろうが――逆に言えば統一的な行動は取れなかった。各個に行動し、各個に撃破されたのだ。
(つまり、この敗北はある意味必然だったわけだ)
各個人の力で言えば、当然国民団結局職員が勝るだろう。
各群の力で言えば、これも国民団結局職員が勝るかもしれない。
だが、敵より優れたそれらが集まったとき――その統括をする組織は、こちらには存在しない。
この組織としての完成度の差。
それが、国民団結局を破滅に追い込んだ。
だが、それだけではない。
その上で、彼らは決定的な戦力を、決定的なタイミングで投入したのだ。
「戦争博物館」が保有する展示品たち。
旧時代の遺物。
戦争が日常茶飯事だった時代の過剰な力。
「『戦車』め……!」
その象徴を、イカロスは睨みつける。まだ遠くで動くそれは、子供が誇張して描いた職員支援車両を現実の世界にそのまま縫い付けたような見た目をしている。
はっきり言えば不細工だ。最新の車両に見られるスマートさというものがない。不格好で無骨。剥き出しの鉄骨を思わせる。
だが、その実情というものは、それだけ無駄がないということなのだ。
不必要なほど長く太い主砲に、その火力でさえ貫けない装甲。
車体から零れ落ちんばかりに巨大な砲塔は、戦闘で掘り起こされた大地であっても進める無限軌道に支えられている。
言わば、黒鉄の城。
その鋼鉄の怪物が見渡す限り数十両。
それを用意するだけの政治力が、ダイモンにはあったということだ。
「ポンペイア二中職!」後ろからミージュの声。「ここにいましたか。もう大勢は決しました。早くしないと取り残されます!」
「分かっている。だが……」
だが、こんな敗北を喫しては、どうやって革命を抑え込めるというのだ?
ここにいるのはチュウキョウの中核戦力だ。それがこうも簡単に、これほどまでに粉砕された。ということはチュウキョウ地方それ自体の保持が危うくなっているということだ。まだそれ以西の地方管区は無事ではあるが――この戦闘の結果を以て反乱分子が騒ぎ出すかもしれない。その全力を東へ向けるわけにはいかない。トウホク地方管区が動けばまた状況は変わるだろうが、それが信頼できないことを、彼は知っている。
(……まだだ)イカロスは、しかし、ライフルの銃把を握りしめる。(まだ、終わっちゃいない!)
シャルル様はこちらの手の中にある。それは、政治的中核はまだこちらが握っているということだ。彼がこちらの側にいる限り、行政区の持てるポテンシャルを総動員できる。
数が足らないなら、募集すればいい。
募集で足らないなら、招集すればいい。
それでも足らないなら――他の行政区から援軍を呼べばいい。時間はかかるだろうが、必ず集まるはずだ。
何としても、「共和国」の敵は排除されなければならない。
それがまるで戦時の発想であるということに、イカロスは気づかない。彼は銃を持ったまま走り出す。そのさっきまでいたところを戦車の砲撃が襲って、深く掘り返した。
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