第121話 ハコネの戦い(後編)
日は既に頭上にまで昇っていた。
しかし、銃声は止むことはない。彼は塹壕の端でぶるぶる震えることしかできなかった。何故なら隣にマイカがいたからだ。彼女は上顎から上を失って、その場に倒れてしまっていた。昨日まで僕の冗談に快活に笑っていたのに、あっさり敵に撃たれて死んでしまったのだ。
すると、彼の視界は極端に狭かった。好きだった彼女が殺されたことへの復讐心は心の隅にあったが、それ以上に、彼女を肉塊に変えてしまった近代兵器のパワーに脅かされてしまった。それはまだ絶え間なく彼とその陣地を狙って撃ち込まれてきている――爆発音。頭に土が降りかかる。また装甲車がこっちを見ている。彼を殺そうと迫ってきている。もしかして、この塹壕には一人しかいないんじゃないか? そこかしこにいる気配は、きっと、彼の妄想か敵兵を誤認したに違いないんじゃないか? ……首を絞められている。のか? 苦しい。逃げ――そう、逃げればいいッ?
「ヒィッ」
瞬間彼は走り出した、塹壕の中を抜け、後方の第二線への連絡壕へと向かう。おい待て、という声が聞こえるが、それ以上に後ろに続く足音が聞こえる。追い抜かされてはならない。一刻も早く後ろへ逃げるんだ。敵はすぐそこまで来ている――
「どこへ」その正面に、影があった。「行くのです?」
すぱ、という音さえ聞こえなかった。
それは、他がうるさいからではない。単に、音を発しないほどその行為に対して抵抗が存在しなかったということだ。どのような行為だったか、された方は認識することなく死んでいった。だがそれを見た者には一目瞭然――一刀両断。
上半身と下半身が切り払われていた。
その凄惨さに、通路に殺到していた兵士たちはたじろいだ。一歩、また一歩と来た道を後退りする。
あるいは、そこにいる人間の恐ろしさを理解していたから。
「勝手に下がる者はこの私が叩ッ斬るッ!」オウカ・アキツシマの名前を知らぬ革命軍兵士はいない。「総員、ここが死に場所と心得よ! 革命の成否はこの一戦にある! 革命万歳!」
端的に、彼はそうその行為を締めくくった。それから、ぎろとそこにいる連中を睨みつけた。そして、刀――いつの間にか納刀しているそれを再びちらつかせれば――全員が、革命万歳と叫んだ。それから捨てたはずの銃に飛びついて、再び前線に戻る。再び銃撃が始まって、中途半端に前に出ていた敵職員が打ち倒される。
「…………」オウカは、それに安堵する。「……ふん」
戦線崩壊は防がれた――またしても、何とか。
この数時間で、虎の子の予備隊である彼ら愚恋隊は何度も戦線に繰り出す必要があった。敵と戦うというのもさることながら、その反対、味方が逃げ出そうとするのを引き留める必要があった。
というのも、既に敵は塹壕を克服しつつあった――最初こそ、白い制服が目立って撃ち放題だったが、元々質も量も向こうが優勢なのだ。弾丸不足も相まって、徐々に爆破した塹壕からしみだしてきていた。
その爆破したポイントというのも問題であった。確かにそれは城砦で言うところの堀の役割を果たしてはいたが、同時に相手に対して安全地帯を与えることになっていた。そして生き残った各自は、それを利用することをすっかり覚えてしまったのだ。
この戦況に至っては、あと二時間――いや、一時間が耐えられる限界だろう。
それなのに、味方の増援は一向に来る気配がない。
情報さえ、ない。
「よし、」しかし、それでも最善を尽くさない理由にはならない。「後ろには我々愚恋隊がついている! 更にその後方にはダイモンが。ならば一歩でも敵がこの地に踏み込むことができるだろうか⁉」
オウカはそう叫びながら連絡壕から塹壕本体の中に入る。その所々に飛び出す形で射撃壕があって、それを見張るように歩く――と同時に、今通り過ぎたそこに銃撃が飛んだ。木でできた踏み場に乗って機関銃を撃っていた兵の頭部が、撃ち抜かれる。
「!」
と同時に、オウカは「異能」で時間を止めた。その視界の端に映った光景から迫るものを見て取った――気がした。それは生物的な本能の成せる業である。そしてオウカの優れたそれは、実際に正確だった。
銃弾が、こちらに飛び出していた。
兵の後頭部から、真っ直ぐオウカに向かって。
「狙撃手かッ」
兵を狙った弾が偶然流れたにしては、殺気がありすぎる。オウカはすうとその横をすり抜ける――そして時は動き出す――と彼は銃座に取り付いて、気配のする方へ銃口を向けた。
「何ッ⁉」ミージュはすぐさま射撃壕から後方へ飛び降りる。「チィッ」
その次の瞬間、さっきまでいたところにマシンガンが撃ち込まれる。その威力の前に、当たってすらいないのに彼女は倒れ込んだ。
しかし、外れたというのか?
間違いなく、直撃コースだったはずだ。この距離で気づかれるはずはない。まして、その辺の兵の頭を挟んで撃ったのだ。彼女の存在すら相手は認知していなかったはずだ。それが、姿を消したばかりか撃ち返してくるというのはッ?
「せめて車両があれば――」
態勢を立て直して後退しつつ、彼女は悪態を吐く。記憶の中でそれは、爆破の瞬間横転し、そこに無反動砲弾を食らって群主席職員共々大爆発。使い物にならなくなっていた。あの火力さえあれば、オウカを無理やり倒すことだってできただろうに。
「イハヤカヴァ三中職か!」その正面に、彼はいた。「どうだ、狙撃は⁉」
臨時に指揮を執っているのは、イカロスである。彼は敵の爆破跡の一角を臨時指揮所としていた。彼女はそこで座りつつ、状況を報告する。
「失敗しました。奇妙な感じでしたが……」
「奇妙?」
「避けられた、と言っても信じてもらえないでしょう? ……いずれにしてももうこの手は使えないでしょう。彼だって指揮官として自分が狙撃されるのを恐れないわけではない」
「ああ。だがもう一押しだ。一回でも突撃のチャンスができれば、この一角は占拠できる――」それから、簡易的な敵陣地の図の上にある点を指して言った。「この重機関銃を排除できるかッ? これさえどうにかすれば、きっと――」
そのとき、背後で大きな爆発音が鳴った。それに思わず二人は肩を竦める。どこかでまた一両車両が撃破されたのだろう。不用意に無反動砲の射程に近づいたのか?
「ッ……了解です」いずれにしてもミージュは返事をした。「排除したら、合図を――」
「見れば分かる。それと同時に突撃する」
「分かりました――」また、爆発音。遅ればせながら耳を塞ぐ。「……ッ⁉」
何かが変だ、と彼女が思ったのはそのときだった。きっと職員支援車両か何かの弾薬庫が爆発したのだろうとさっきは思った。しかし、どうにもそれが頻発しているというか――それにしては音色に無理がないような気がした。普通、弾薬庫が誘爆したときというのは、それが自然な形で起こる現象でないからには、金属を引き裂くような音がするのだ。だが、その不自然さが、今の音にはない。
「……イハヤカヴァ三中職?」イカロスもそれに気づいたようだった。「何か起きているなッ?」
「ええ……どうします、見てきましょうか?」
音がしているのは、後ろは後ろでも右翼方面だ。今国民団結局の戦列は鶴が翼を開いたような格好になっていて、イカロスたちはその左側にいる。だから右側のことは敵や稜線などが邪魔で見えないのだ。
「いや……」だが、その確認のためだけに優秀な狙撃手を戦線の外へ派遣する必要はない。「今はこっちが優先だ。何が起きていようと、敵陣を落としてさえしまえば後のことを心配する必要はない」
その言葉に、ミージュは頷いた。それからさっき命令された目標がよく見えるであろう塹壕まで、彼女は歩いていく。
「な……んだ?」
しかし、何が起きているかというのはその扇状の――正確には緩やかな円錐の頂点にいる革命軍首脳部からは丸見えだった。
指揮所全体が、困惑と混乱に包まれている。目の前で起きていることに対して彼らは考察する術を持たなかった。理解ができなかった。何しろその訳の分からないことというのが自分たちにとって都合の悪いことなのが、尚更気味が悪かった。
「……オウカは⁉」ナルシスは声を荒らげた。「オウカを呼び戻せ! 早く!」
そうするのが一番マシだと彼は思った。マシ、というのは最善ではあっても最良ではないという意味だ。何故ならオウカを呼び戻したところで、状況が改善するとは到底思えなかった。
何故なら目の前、敵戦列の後方に見えるのは――「戦争博物館」。
その旗印を掲げた車列が、土煙を上げてこちらに向かってきている。それどころか、射撃まで――それが意味するところのものは一つ。
(スズナ……しくじったかッ?)
彼は、拳を握りしめる。オウカの言う通りだった。自分がシャルルに対して意固地になった結果、合理的でない判断が為され、現に敗北へと向かっている。まずネリマを含めたトウキョウの敵を排除してから決戦するべきであった。少なくとも戦力を集約することはできただろう。
「ダイモン」指揮所に、オウカがやってくる。「よかった、ご無事で?」
彼は酷く慌てた様子だった。どんなときでもナルシスの前では身だしなみに気を使う彼が、顔やそこかしこに泥をつけたまま指揮所に入ってきたのだ。それに、ナルシスも慌てた。
「無事だったかはこちらのセリフだ。怪我はないか? 撃たれたりは」
「大したことは何も。それより、アレについてお聞かせ願えますかしら?」
「ああ、そうだったな、アレについてか……しかし聞きたいのはこちらの方なんだ。どうしたらいい?」
「どうしたらいいと言われましても……」オウカは俯いて視線を逸らす。「それは、戦うほかないでしょう」
しかしながら彼は同時に、それがさも当然のことのように言った。その所作は消極的に見えたが……決意の表れでもあった。だがそれは悲壮だ。覚悟と言い換えた方が自然にすら思える。
「待て、オウカッ?」だが、それは受け入れられない。「それしかないのか? この状況に至っては、もっとやるべきことがあるのではないかッ?」
「ですが、他に選択肢があるでしょうか?」
「分かっている。ことここに至っては、選ぶことさえ難しいとな……だが私は何もせぬままここで死ぬわけにはいかない。他の誰にしたってそうだ。ここは撤退するべきだ。どれほどの大敗であったとしても」
「撤退ッ?」オウカは目を丸くする。「アナタ様、失礼ながら正気でいらっしゃるかッ?」
「正気だとも。君も見ただろう、あの軍勢を? ……アレは、ネリマから来ている。それに抗うのはたとえ万全の状態であったとしても厳しい!」
「承知しております、しかし……」
「なるほど僕のワガママでこの戦闘を敗北に誘ったのは認めよう。しかしだからといってここにいる全員を君のワガママで死に追いやっていいはずはない! 今考えるべきは一人でも多くトウキョウに戻すことで――」
「――ダイモン」オウカは、肩を竦める。「アナタ、勘違いをしているようですわね」
「勘違い? ……何を言って、」
「あそこにいるのを――何だと思っていらっしゃる?」
そのとき、ナルシスはようやく、違和感に気づいた。何か、すれ違っている。オウカの見たものと自分の視界にあるものがどうも違っているようだった。
「……オウカ?」だとすれば、それは?「何を見た?」
「戦争芸術」彼は答える。「その象徴たる品が、本懐を果たすのを――ただし、それは我らに対してではない」
我らの敵に対して。
ネリマは引き金を引いた。
「……⁉」ナルシスはたじろいだ。「同士討ちだというのかッ?」
そんなことはあり得ない。そう思って、ナルシスは指揮所から顔を覗かせた。先ほどと同じように、あるいはそれより前に、ネリマの車列は出てきている――その先頭にいる車両の砲塔がくるりと回って――撃った。
次の瞬間、敵陣地から爆発が起こる。敵車両が、敵兵が、まとめて薙ぎ倒されていく。敵は慌てて反撃に出ようと旋回を始めるが、その横っ腹にもう一撃加えられて、また一両吹き飛んだ。
「……何が起きている?」
「それをアナタ様に聞こうと思ったのです、ダイモン。いつの間にネリマと話がついたのです? こんなことなら、もう少し陣容を変えたのですが」
「そんなこと、私は……?」
計画していない。
そう言おうとした瞬間、電話が鳴った。正確には無線機の呼び出しが鳴ったのだ。通信手がそれを取り、ダイモンに対して頷く。彼宛てなのだろう。ナルシスは急いでその受話器を受け取った。
「ダイモンだ」
「ようナルシス。俺からのプレゼントは気に入ってもらえたか?」
「……その声、スズナか⁉」無線が通じる距離まで近づいてきている⁉「どういうことだ、これはッ?」
「話すと長い。まずは敵を片付けてからだ。俺たちはこのまま敵右翼側を掃討する。お前らは左翼に圧迫をかけて拘束してくれ――そうオウカの馬鹿に伝えれば分かる」
ちん、と通信は切られた。ナルシスは彼女の言葉の意味を反芻して、再考して、それからようやく、ネリマが革命軍に加わったことを理解したのだ。
高評価、レビュー、お待ちしております。




