第119話 賽は投げられた
ハコネ。
決戦の地にダイモンはいた。半地下に掘られたところにテントを張った指揮所。当然暖房などないそのひんやりとした空気の中に、各軍団長と集団長が集められていた。身長も性別も性的嗜好もバラバラ。服装も、腕章を除けば地味な服を着ているという共通点しかない。
「諸君。」ダイモンはそう静かに言った。「よくぞここまでオウカの命令に従ってくれた。感謝する」
あまり大きい声は出せない。昼間の工事で疲れた兵を起こすし、何より敵に気づかれる。既に彼らは山の麓にいてきっと夜襲に備えて見張りも立てていることだろう。勘と腕のいい狙撃手がいたなら、致命的だ。
「さて、ここで戦況を整理しよう。」ダイモンは土の上を歩きだす。「今ここにいる戦力は八八九四名。対する敵は二万ほどであることが推定されている。昼間の内に攻撃を仕掛けてこなかったことが不思議極まるが……いずれにしろ、予定通りといってもいい。ここを決戦地として、敵を撃退するということは変わらない」
瞬間的にぴた、と彼は止まった。そして軍団長たちに向き直った。
「作戦としてはこうだ。まず、ここで敵を足止めする。敵は展開の様子を見る限り二万の軍勢全てを用いて攻撃を仕掛けてくることだろう。激しい攻撃が予想される。まともな防御では勝機はない――が、ここに築いた陣地はまともではないほど堅固だというのは諸君らも知っての通りだ」
真っ直ぐ目を見る。軍団長たちは瞬き一つしない。しかし表情は深刻そのものだ。それだけが気にかかる。
「この、言わばハコネ要塞を以て敵攻勢を吸収しつつ、トウキョウから来るであろう来援部隊を待つ。トウキョウにいる連中は弾薬も食料も尽きかけた残りカスだ。態勢さえ立ち直ればこれを撃破するのはそう時間がかかるまい」
ダイモンはそのとき目の前にいる彼らを指さした。いや、その指先にいたのは彼ら軍団長だけではない。その背後にいる革命軍の兵士一人一人をもその延長線上に捉えていた。そう感じさせるものだった。
「必ず増援は来る。その間我々は持ち堪える。実に簡単なゲームだ。そしてこれは革命にとって最重要な戦いとなるだろう。そして諸君らはその歴史的大一番の生き証人となる――歴史を変えるぞ。以上」
解散。
オウカがそう言うと、軍団長たちは敬礼――軍隊的だ――をして、各自の配置に戻っていった。そうして、テントにはいくらかの司令部要員とダイモン自身だけが残される。
「……私も決戦に備えて少し寝る」その中でダイモンはふとそう言った。「何か起きたら呼んでくれ」
それから、テントの外に出る。厚い雲が支配する空には、月明りもない。それを立ち止まって見上げて、ナルシスは溜め息を一つ吐いた。どうしても、この風景の下では動けなかった。足が重くて、そのまま土に埋まっていくようである。
「お休みになられるのでは?」背後から声がした。「それなら、私の壕に来ればよろしい。きっと肌寒さとは無縁の夜が過ごせることでしょう」
「……オウカ」振り返りながら、ナルシスは言う。「戻ったんじゃあなかったのか?」
「ええ。ですが情報伝達は全て副官のアカツキに任せました。少々気になることがあったので」
「気になること?」
「アナタ様のことです」
そのとき、風が吹く。横合いから――残った木々がざわざわと喚いて、ダイモンは一瞬目を細めた。それから演技することを思い出して――肩を竦める。
「私か? ……何も心配はいらない。少し寒さが体に堪えるだけだ。見ての通り、外套というのは隙間だらけで――」
「ああ、そういうのはいいんです。私が気になっているのはダイモンではない。……そう言えばアナタ様には通じるでしょう?」
つまり、ナルシスに言っているのだ。
ダイモンではなく。演じられた虚構としての彼ではなく、現実の彼とオウカは話したいのである。
それが分かって――ナルシスは低く声を落とした。仮面までは外さなかったが。
「……それで?」
「頭は冷えまして? ……そう言いたかったのですわ」
ナルシスは息を吞んだ。オウカの言いたいことがたった一言で伝わったからだけではない。彼の瞳に眠る攻撃性が、戦闘前の緊張からのそれではないと気づいてしまったからだ。
「……頭?」ナルシスは、仮面の下で冷や汗を掻く。「何の話だ? 僕は冷静にこの場にいることを選んだつもりだ。言っただろう、今度の作戦は厳しい防衛戦になる。ダイモンがいることで士気を――」
「それなら何故先の演説で『私がいる』と言わなかったのです?」その浮ついた言葉を、オウカは斬った。「それが本音だとするならあの場で言ったはずですわ。しかしそうしなかった――つまりその理屈は表面的な偽装でしかないということになる。違いまして?」
「単に目の前にいるのにそう明言する必要性を感じなかったからだ。プレッシャーをかけすぎてもよくないしな」
「言葉の力を知っているアナタが、それをそうすべきときに振るうのをよしとしない……これほどの不自然はない。とすればアナタはそうすることを恐れたということになる。怯えてそうできなかったとも言える」
「怯えた? 何に?」
「自分が死ぬかもしれないことにでしょう」オウカはあっさり言った。「高所に布陣したから余計によく見えますわよね。これほどの敵が目の前にいて、自軍はこれっぽっちしかいない。そう感じられたから、自分がここにいることを言葉の上で認めたくなかった」
「……だとしたら?」
「そうなれば気になるのはアナタがここに来た真の理由ですわ。冷静に考えれば戦場に出るということはそういうことだと分かるのに、アナタがそのことに気づかないほど頭に血が上ったのは何故か? ……当ててみても?」
「どうせ、的外れなことを言うのだろう?」
「シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツ」その人名に、ナルシスの心臓は跳ねた。「その逃亡が受け入れられなかったからでしょう――アナタ様は彼が自分を裏切ったことが許せなかった。かといって、逃げてしまった彼にその衝動をぶつけることはできない。だからこうして戦場に出てきた。自分の手で彼に痛手を負わせるべく」
「…………」
「ネリマをあの無骨な女に任せたのもそのせいでしょう、ほかならぬ自分がこそシャルルを後悔させねばならない。それだからフリードリヒ・ド・ラルメ=キャビネッツ程度の小物には構っていられない。本当ならアナタ様は政治力を使ってネリマを抑えつつその分の戦力をここに集結させるべきだったのに」
「君こそどうなんだ。そうなっていれば満足だったか?」
「…………」そこで、オウカは不自然に黙った。「いいえ。あの女との共同戦線など虫唾が走る。でもそれはそれ、これはこれです。この戦場を預かる者として、アナタ様は一時の感情に任せて合理的でない判断をしたと言っているのです」
ナルシスは、その不自然さに違和感を覚えたけれど――それを突くことはできなかった。オウカの言うことは正論ではあったからだ。シャルルに対する復讐心から、自分は愚かな選択をした。そしてその愚かさには、この場にいる全員が巻き込まれることになる。
「しかし――」ナルシスは言った。「賽は投げられた」
最早、後戻りはできないのだ。戦場に到着し、敵は目の前。ここから撤退することは不可能。トウキョウの軍団から来援されるまで、彼らは耐え抜かなければならない。
「その中で君が何を言おうと、今更何も変えられない。全ては賭けられた。君の仕事はそのギャンブルを少しでも有意なものにするべくイカサマをすることだ」
「分かっております――このオウカ・アキツシマ、最善は尽くしましょう」
それから彼は一礼をして、踵を返した。その動作は素早く、無駄がない。ナルシスに声をかけられないよう、彼はすぐさま塹壕の中に入った。だからその表情を、ナルシスは見ることができない。
(合理的でない、か)彼は視線を鋭く尖らせて、そこに自分自身を見ていたのだが。(先にそうしたのは私の方だな)
シャルルが逃げたのは、言うまでもなく自分のせいだ。革命が終われば自分たちの存在意義がなくなるかもしれないという危惧は組織の長として当然持っておくべきものだったはずだし、革命そのものの成果が「内閣」家の人間に掠め取られはしないかという警戒心はこの闘争に身を投じている人間として持っていたとしても不思議はないはずだ。
だがそれは、ダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクスという政治家を信じることができなかったということでもある。
ナルシス・ポンペイアという人物を、信用しきっていなかったということになる。
彼だって自分たちのことを考えているに違いないと、どうして考えなかったのだろう。
言葉で確かめることだってできたはずだ。何か行動に起こす前に、直接談判すれば、胸のつかえは取れたかもしれない。シャルルの声明に自分たち同性愛者のことは出ていなかったけれど、まだ協議は初期段階だった、まだ話題に出ていなかっただけかもしれない。
もしかすれば、オウカはただ彼を困らせたかったというのもあるかもしれない。彼が夢中なシャルルに嫉妬したというのもあるかもしれない。
いずれにしても、それらのどこが合理的なのだろう――信じずに裏切ったことの、どこが。
(……だとしても)オウカは、しかし、前を向く。(私は、革命を遂行する)
一度動き出したものを、止めることはできない。そう、賽は投げられたのだ。彼の言ったように。
ならば、たとえそれがどんなに薄汚れたことでも――やり遂げるしかない。
全ては、自分たちの恋のために。
自分の初恋のために。
初恋革命。
この戦いは、そう呼ばれているのだから。
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