第114話 リセット(後編)
「何故君がここにいる。」シャルルは言った。「セバスティアーノ。とうの昔に僕は君を更迭したはずだ。こんなところにいるはずがない」
「定期便に偽装を施して乗って参りました。大丈夫です、連中はまだ気づいていないはず……気づかれていたところで部下が追い返すでしょう」
「そんなことを聞いているのではない……! 僕が言いたいのは、その目的だ。どのような手段を用いたにせよ、それがあるからしたことだろう。どうしてここにいるのか? 何のために?」
しかし、そこでセバスティアーノは首を傾げた。何を言っているのか分からないとでも言いたげな、不思議そうな表情であった。
「……本当に分からないのですか? この私が来た理由が?」
「当たり前だ。君にどのような都合があるか知っていると思うか? ……聞くだけは聞いてやろう。言ってみろ」
そう言うと、セバスティアーノはどこか狼狽したようだった。シャルルがそれを分からないということが、どうしても理解できないらしい。シャルルはそれを見て尚更苛立った。理解できないのはこちらの方だ。フラストレーションのままに、彼はセバスティアーノを怒鳴りつけた。
「……どうした。言えないような理由なのかッ?」
「い、いえ、滅相もございません!」セバスティアーノは。「恐れ多くも申し上げます。アナタ様が昨今為された決定について、我々はその本当に意味するところを理解しておりました。それ故に……」
「前置きはいいと言ったつもりだったが?」
「ッ、失礼いたしましたッ。どうかご容赦を……」
「容赦するかどうかは聞いてから決める。早くしてくれ」
「は、では申し上げます……」セバスティアーノは目を泳がせながら言った。「アナタ様を、救出するためなのです」
「救出ッ?」シャルルは訝しんで目を鋭くした。「どういう意味だ?」
「どういう意味も何も、そのままでございます。このような状況が正常であるはずがありません。そして正常でない状況で決せられた考えが正しいはずがありません。故に我々はアナタ様が今般発表されたことは無効であると考えております。そして実際にはそれがアナタ様からのSOSであることを理解しておりました。そのため我々は――」
「――待て、セバスティアーノ?」
シャルルはその思わぬ言葉にとんとん踏み鳴らしていた足を止めて、斜に構えていた姿勢を正した。
「つまりこういうことか? 君たちは私が間違った判断をしたと思っている?」
「まさか……間違った判断とは申しません。この状況では最良であったと思います。しかしそれが行政区のためにならないというのは事実でありましょう――しかしそれは強いられたもの。そのような決定は意味を成さないはず」
「強いられた? 何に?」
「無論、ダイモンとかいうあの胡散臭い活動家にでしょう。シャルル様をこのように逃げられないよう包囲しておいて、自分に都合のいい決定をさせようというのだ。でなければカントウを明け渡すようなことをお決めになるはずがない」
シャルルは深く溜息を吐いた。滔々と自分の理屈を語る連続殺人犯を見ている気分だった。そしてその論理によれば次の被害者は自分であるということが分かったようでもあった。全く以て承服しかねる。
「セバスティアーノ。それは君にとって都合のいいだけの解釈だろう。僕は本気でカントウを彼らに差し出してもいいと考えている」
「馬鹿な! ……お気は確かなのですか⁉ そのようなことをすれば、彼ら自由恋愛主義者は」
「勢いづく、か?」
「その通りでありましょう。そしてその先にあるのは第三次世界大戦の再来。再びの戦乱の時代の始まりなのですぞ⁉ 自分の欲望のために他者から奪おうという論理を認めてはならない!」
「しかし彼らに負担を強いてきたのは我々だ。彼らを踏みにじってきたのも我々。故に『勢いづく』ではなくこれは『取り戻す』と解釈するべきことだ。今まで抑圧してきたものをあるべき姿に戻すだけ……それに、彼らをカントウから排除するには、多くの有形無形の犠牲を『市民』に強いることになる。これは受け入れられない」
「それは! ……それは、必要な犠牲でしょう。少なくとも、彼らの存在を認めることでこれから生じるそれに比べれば、圧倒的に少ない」
「ならば問おう。彼らを再び抑圧したとして、解散せしめたとして、自由恋愛主義者を完全に撲滅することはできるのかッ? ……それが五年前にできなかったから今回の革命は起きたのだ。ここで犠牲を支払ってもこの先同じことが起きるなら、今ここで彼らを受け入れる方が遥かに優れた選択肢だ」
「革命などと仰るか、この暴動を⁉」
「体制の変革を求めるこの運動を、他にどう呼びようがあるというのだ? ……決して、それは三百年前の出来事だけを指す不可侵の言葉ではない。いつだって体制が間違いを犯したなら起こり得る事象だ。まして指導者を選ぶことができない彼ら『市民』にとっては」
「しかし、それでは暴力を振るった者が勝つということではないですか! そのような野蛮なお考えを、いつ持たれたというのか⁉」
「暴力というのなら、我々が既に振るっただろう。シンジュクで起きたことを知らないとは言わせない――いや、それ以前にも何度も起きてきたことなのだ。ただ恋をした、それだけで矯正を受けさせられたということを、暴力と言わずして何と呼ぶ?」
「しかしそれは法に基づいてのこと。故に暴力ではなく正当な行為でありましょう」
「悪法も法か。しかし悪法とはまさしく悪しき法だ。それは認めねばならない――正さねばならない」
「既に正しいものに手を加えるなら、改悪と言わざるを得ない。シャルル様、そのようなこと、私は認めませんぞ」
「そもそも、僕には君を許した記憶はない。こともあろうに僕の親友に無礼を働いたことを許すことはできない。それ故更迭された君が勝手に出歩いているというのは僕にとって不愉快極まることだ。意見も求めていない……命令など以ての外。何もせずに真っ直ぐ帰れ!」
シャルルはありったけの力を腹に込めてセバスティアーノを一喝した。自分の声があまりに大きかったせいか、それとも急激な血圧の上昇がそうさせたのか、シャルルには眩暈さえした。一瞬ふらっとして、それでもどうにか直立を維持する。しかし妙だ、この程度のことで?
「……なるほど」セバスティアーノは俯いたまま言った。「シャルル様のお考えは理解しました。しかし同意はできません。アナタ様は間違えておられる」
「間違った立場から見ているから、間違った見え方になるん……」目の前がチカチカする。何だ?「だ……ッ?」
「しかし、それは予想の範囲内でありました。いつだったか、アナタ様は自由恋愛主義者に同情を示していた。その個人の感情に振り回されて、大局が見えていない。……手を回しておいて正解だった」
手を回した?
そう問い質そうとしたとき、シャルルの世界はくるりと一回転した。自分は床に倒れたのだ、と天井を見てようやく理解する。辛うじて受け身は取れたが、体中に静かな痺れがある。違う、これは痺れではない。眠気だ。全身が、重力が何倍にもなったみたいに重い。立ち上がろうにも頭の中には砂が詰まっている。思考と指令が流れていかない……。
「あ……う?」
「ご心配なく。当然お体にはそれ以上影響のないものを使用しました。後遺症は残りません」
「薬を……盛ったのかッ? この僕にッ?」
「ええ。食事に混ぜさせていただきました。本当なら眠っている間にお運びする予定だったのですが……お疲れのエーコ様と違い、少々効果が出るまで時間がかかったようですね」
「ふざ……けるな。こんなことを……してッ」
「分かっております。理由はどうあれ、『内閣』家の方に危害を加えるなど許されることではない。いずれ、その罰は受けるつもりです。しかし――これはこの行政区を、ひいては『共和国』を救うために必要なことだ。それを悪と呼ぶなら、私はいくらでも悪人になる」
シャルルには、その言葉は聞こえていなかった。意識が混濁してきた。瞼が重い。それでも彼は身を翻した。床に這いつくばって、扉を見た。そうだ、逃げるんだ。今すぐこの男から離れなければならない。だって、
「だって約束した」シャルルの口から言葉が落ちる。「僕は、約束したんだ、彼と……!」
ナルシスと。
世界をよくするために働くと。
自分にできることをすると。
しかしセバスティアーノに連れていかれれば――その言葉を違えることになる。
「い……やだ」ずりずりと、カーペットが歪んでいく。「僕は、僕は……!」
腕はもう動かない。辛うじて伸ばした状態になっている左手の、その指先を使役して、少しでも前へと進もうとする。しかしちっとも捗らない。力の抜けた細い指は、ふかふかの毛先をなぞるばかり。扉が一キロメートルは先に感じられる。あるいは更に遠くなる。視界が狭まる。
「僕は、……」
首がかくんと落ちた。その衝撃は目覚ましにはならない。カーペットの赤色に埋めつくされた視界が解けていって、彼は意識を手放してしまった。しばらくは音も聞こえていたが、だからどうしたというのか? ……彼の指先はそれでも一瞬動いたが、ついには陥落した。
「……セバスティアーノからチームへ。」抵抗は終わった。「シャルル様を確保した。現在地はお部屋の前。速やかにお運びしろ」
その言葉を待っていたかのように、担架を持った隊員たちがすぐさま一階へ続く階段から現れた。セバスティアーノは爾後の対応を彼らに任せて、先に階下へ向かう。照明は絞られていて薄暗くなっていて、その先には夜の闇が待っている。
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