第113話 リセット(前編)
「ン……」食事を終えたシャルルはそのとき読書をしていたところだった。「騒がしいな?」
ふと外の音が気になったのである――先ほどエンジンの音が聞こえたから、定期便が来たのには違いないが、それにしたってどうにも騒がしい。言い争うような様子はないが、多くの人間がやり取りしている声がしている。いつもはこれほどうるさくならずに運び込まれるというのに……シャルルはしばらくそれを聞いていたが、収まる様子がなかったので、外の様子をドアの向こうの護衛に聞きに行った。
「すみません」
「!」そのことに、そのすぐ外にいた護衛は驚いたようだった。「……どうしたのですか?」
彼は飛び跳ねすらしたかもしれない。そんな音がした。いつもなら、いついかなるときも泰然自若として話しかけられた程度では眉一つ動かさないというのに、今晩の彼の声は上ずって落ち着きがなかった。そこに背後から声がしたので――ということなのだろうか? どうにもそれ以外にも理由がありそうだったが。
しかしシャルルは首を横に振った。最後のは気のせいだろう。
「少し騒がしいように思って。何かあったのですか?」
「積み込みに時間がかかっています。それだけですよ。部屋にお戻りください。すぐに治まります……」
しかし、そのときシャルルは違和感を覚えた。
「? 確認をしたのですか? それとも報告を受けた?」
護衛の言葉が、断定するような言い回しだったからだ。一瞬彼の吐息が揺れたが、すぐに何事もなかったかのように装う。
「ええ、そうです。私も気になって確認をしました。その結果そのように報告を――」
「いいえ、それはおかしい。」その発言は矛盾する。「なら、アナタの声が聞こえていたはず。いくら小声だからって、それが聞き取れないはずはないでしょう」
遠くの「積み込み」の声が聞こえているのに、すぐ傍にいる護衛の声が聞こえないはずはない。いくらこのオブ・プレジデント邸が防音に優れているといっても防音室というわけではない。現にこうして会話ができる。インカムでやりとりしているにしろ、まるっきり静かというのは変だ。
「それは……」声が泳ぐ。「しかしシャルル様。ご心配には及びません。少なくとも何か問題があるという報告を受けているわけではないのです。どうぞ、お部屋でおくつろぎください。何もありません」
「アナタは私に嘘を吐いた。その時点で信用するわけにはいかない。自分の目で確かめます」
シャルルはドアノブに手を伸ばした。が、護衛はすぐにそれに対策を打ったようだった。ドアノブは回らず、どれだけ頑張って押してもそれは重くて開く気配がない。自分の体でドアを封じたのだろう。いくらシャルルが体力優秀といえども、それは学生レベルの話であって、それを専門にした仕事をしている護衛の彼に勝てるわけではない。
「開けなさい! これは命令です! 開けなさい!」
何度もドアを叩いてみるが、その向こうから声はしなかった。もう返事をする気はないらしい。その態度にシャルルはいよいよ痺れを切らして、ドアに何度も体当たりを試みた。が、開くはずもない。肩が痛くなるだけだった。
「くッ……」
シャルルはかといって諦めるつもりもなかった。この騒ぎはきっと、何かの企みによるものだ。そして護衛はそれに関与していて、ここからシャルルを出す気はないらしい。ひとまず安心できそうなのは、命を狙うつもりはないらしいということだ。もしそのつもりだったなら、護衛はドアを閉じるどころか開けて、中に入っているだろう。
だとすれば、目的は自分の身柄に違いない――シャルルはそう感づいた。
が、問題は出口がないことだ。
ドア以外で真っ先に思い浮かぶのは窓だ――シャルルは振り返ってそれを見る――が、それは使えない。狙撃対策とやらでごく最近板を張られてしまった。無骨なベニヤ板はそう簡単に割れそうもない。
かといって、他の出口などというのは、見当たらない。アクション映画(あまり見たことはないが)のように通気口からとも考えたが、そもそもシャルルはそれが位置している場所を知らなかった。この部屋を設計したデザイナーは、それを巧妙に隠してしまったらしい。おかげで今住人が苦労しているわけだが。
いずれにしても八方塞がりだった。
どこにも、出口はない。
(だが、分かったこともある)
それは、その状況に自分を追い込んだ犯人は、この屋敷に一度はいたことがあるということだ。窓に板張りを施したのはその何者かの指示だろうが、そんな大それたことを外部の人間の命令で簡単にやるはずもない。犯人はきっとオブ・プレジデント邸に以前いたことがあって、そこで働く人間との知己を得ているということになる。
そして、その推測が正しいなら――シャルルが相手をしているのは、きっと彼に違いないのだ。
それは、望ましくない。
彼の思想信条を考えれば――そしてだからこそ、シャルルは彼を更迭したのだから。
「…………」
シャルルは、意を決した。ドアから大きく離れて、深く息を吸う。そして吐く。襲ってくるであろう痛みへの覚悟を決める。それから何度か飛び跳ねて準備をして――滑走を開始。
ドアに向かって真っ直ぐ走る。
その衝突の寸前、肩を前に突き出した。
きっと痣だらけになっているであろうそこは高級で分厚い木材にぶつか――る寸前、すんなり、押し出される。
「⁉」
全くの同時に、ドアが開けられたのだ。シャルルはその勢い余って、前に転がり込んだ。深紅のカーペットがどうにかその衝撃を和らげるが、それでも運動エネルギーそのものを打ち消せるわけではない。その有り余るままに反対の壁へとぶつかる。
「ウゥ……」
それから転がって、天井を見上げる……心配そうに護衛がどういうつもりでか近づいて、抱き上げる。が、シャルルはその手を振り払って立ち上がった。それは意地であった――あるいは。
そこにいた人物への警戒心がそうさせたのかもしれない。
「――シャルル様」その声は、彼へと近づいてしゃがみ込む。「お待ち申し上げておりました」
そして、跪く。傅く。
そのせいで髪の薄い頭頂部しか見えなかったし、体型も小太りということがつっかえた腹から分かる程度だった。
しかし、それが誰かというのは、それを理解するには、それは充分すぎた。
「セバスティアーノ・コルシカン……」
――はい、その通りでございます。
彼は顔を上げ、そう答えた。
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