第109話 門前にて
トウキョウは夕方から雪が降り始めた。ただでさえ麻痺寸前の手を更に冷たくさせるそれを恨めしく見上げながら、二人の門番はコートの上から全身を擦った。その度にスリングで背負ったライフルががたがたと揺れ、背中に打ち付けて痛かった。
そういう惨めな目に遭っていると、気持ちの上でも惨めになってくる。こんな仕事に一体何の意味があるだろうか? 雪が降りしきる中、僅かな防寒着だけで立ち尽くしていることにどのような理由があればよいだろうか。
なるほど自由恋愛主義者共が協定を破って前進してこないかということは考えられるべきであろう。通りの向こうには、姿こそ見えないが、革命軍なる連中が屯しているはずだ。彼らがその気になれば、この邸宅は戦場と化す。それを早期に見つけるために彼らはいる……ということになっている。
だが、実際のところ彼らは門の前にいるのだ。その後ろではない。門は固く閉じられていて、簡単には開かない。ということは彼らは見捨てられたも同然だった。精々銃声と断末魔を上げて、内部に異常事態を知らせるだけのこと。でもそれなら門の中にいたっていいようなものだ。外を見るだけなら監視カメラでもつければいい……「内閣」家の方をお守りできることは名誉なことだったが、名誉で寒さが凌げるわけではない。物理的にも精神的にも。
「……ン?」すると、門の向かって右に立っている方の門番が何かに気づく。「おい?」
雪で視界が取れないが、正面の通りの遠くに誰かが立っているのを見つけたのだ。この辺り一帯はもう先の戦闘の結果生き残りは皆出て行った。だから、そこに人がいるということは、連中の一味ということであろう。
「そこで止まれェ」二人は銃を向ける。「止まらんと撃つぞ!」
そう叫んだ、瞬間風が強く吹いた。雪が目に入って、思わず瞬きをする――と、もう次に目を開いたときには人影はいなかった。左右を見渡してもどこにも姿が見えない。二人は首を傾げながら銃を下ろして互いを見合わせた。今の、見たよな? ……ああ。そう声には出さなかったが、同じものを見たという事実に満足する他なかった。二人は再び銃を肩に背負って、前を――
「――失礼」しかし、その声はすぐ傍から聞こえたのだ。「少々シャルル氏に用があってな。通してもらいたい」
それがいたのは二人の間だった。一瞬で全身の毛が逆立ち、すぐさま銃を構える。誤射対策で一人は前に踏み込みながらしゃがみ、狙いも頭ではなく胴体につける。
「誰だ、貴様⁉ どうやってここに……!」
「大した歓迎ぶりだな。お勤めご苦労といったところだ。一応付け加えておけば、君たちは優秀な部類だぞ。私が少々……そうだな、手品を使ったというだけのことだ。タネを知らなければ見破ることも感じることもできない」
「質問に答えろ……!」
銃を構え直す。樹脂製の部品が握り込まれてギシギシ音を立てた。それを見て、その影は――いや。
見た、というのは正確な表現ではない。
その影は見なかった。
そう断言できるのは、そこに目がなかったから。
ただ、その大きさの穴があるだけ。
仮面。金属製のそれを覆い隠すような湿った茶色の外套。
そんなものを着用する人物はこの世に一人しかいない。
「ダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクス……!」
「銃を下ろしたまえ」彼は銃口を指さしながら言った。「私は別に君たちに害を与えるためにここに来たわけではない。ただ門の向こうに私を通してもらいたいだけだ。そしてその権限は君たちにあると思われるが?」
すると門番たちは困惑した。別に、権限のあるなしではない。単に、何故このタイミングでここに彼が来たのか――それが分からなかったのだ。こんな時間から会談でもあるまいし、それならそれでこちらにも準備があるべきだった。
「失礼ながらダイモン」銃は下ろす。しかし警戒心までは下ろさない。「目的は何だ。それが分からなければ、私たちはここを通すことができない」
「だろうな。シャルル氏の配下らしい、真面目な仕事ぶりだ。敬意を表するよ」
「嫌味のつもりか? それとも私たちには言えないことかッ?」
「いや、そうではない――私は単に、食事に来ただけのことだ」
「食事、」門番たちは面食らった。「……だと?」
「ああ。この時間ならまだ食べておるまいと思ってね。大丈夫、弁当は持参してある。お邪魔させてもらえればそれでいい」
「ダイモン、しかし……会談だというのなら、事前にアポイントを取っていただかねば。突然に来られたのでは、こちらも警備上の問題が……」
「そのアポイントを取れないようにしておいてよくも言える――そもそもこれは会談の申し込みではない。単なる食事会だ。食事を共にしたいだけのことだ」
「だとしてもそれは私たちの一存で決められることではない」門番はダイモンの胴に触れるようにして彼を下がらせようとした。「どうかお引き取りを」
「ならばシャルル氏に取り次いでくれ。ダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクスが……」
「いい加減にしろよ」一人がついにダイモンの胸を押した。すると彼は数歩下がって立ち止まる。「シャルル様はお前には会わない。だから会談が延期になっているとどうして分からない?」
その行動には、もう一人は胆を冷やして顔を青くした。咄嗟に駆け寄って割って入る。
「おい、よせよ」
「構うもんか――さっさと帰れよ、ダイモン。撃たれたくなかったら、」
「……やめろ」
不意に、ダイモンが言った。雪音に消え入るような声。思わず聞き返す。
「何?」
「やめろと言ったんだ――オウカ」
そう言い直した瞬間、門番たちは相手の額にレーザーが灯っていることに気がついた。思わず指をさす、動作が被ったことでそれが相手だけでなく自分にもあることを理解した。
照準されている。
だが、気配すらしない。
レーザーの向こうには人影はない。ただ独りでに赤い線が引かれているだけ。
こうまで分かりやすく示してくれているというのに――。
「あら」そしてまた声が唐突に聞こえた。「必要だと感じましたので」
いつの間にか、ダイモンのすぐ後ろに女が立っていた。いや、オウカ、という名前は聞き覚えがある――あの愚恋隊の長として。だとすればこれも男なのだ。
「必要ない。護衛を下がらせてくれ」
「そういうわけにもいきませんわ。既に我々、いきり立っておりますもの。主を傷つけられては、何もしないわけにはいかない」
「この程度で傷つく私だと思っていたのか? 甚だ心外だな」
「――」オウカは溜息を一つ吐いた。「仕方ありませんわね」
そして、その次の瞬間には、門番たちの目の前から消えていた。それと同時にレーザーポインターの明かりが消える。
「示した通り、」ダイモンは不遜な態度で言った。「私に敵意はない。通してもらえまいか」
「──僕からもお願いしたい」
不意に、門番たちの後ろから声がした、だけではなかった。
彼らが何もしないのに、独りでに閉ざされた金属製の門が開いていく。それは、内部から開けられたということ。すると、そこに立っている人影というのは、きっと彼なのだろう。
「シャ、シャルル様⁉︎」思わず彼らは振り返る。「ここは危険です! お下がりください!」
「いや、そういうわけにはいかない。何か窓の外が騒がしいと思ったら、僕に客人というわけでしょう? ……それに、僕の方も彼のことを待っていたんだ。それなら、拒む理由はないと思うのだけれど」
そうまで言われてしまっては、門番たちは梯子を外されたようなものだった。見合わせて、肩を落として、それから左右に退いた。
が、ナルシスにはそんなものは気にならなかった。
一時は視界の外の出来事として扱われて、認識こそはできていたけれど捨象された。
シャルルと目が合ったからだ。
彼のそれはきっと、仮面に邪魔されてナルシスのそれは捉え損なっているはずだ。
が、不思議とそんなのはただの理屈だと思えた。
彼の瞳は、そのとき確信の色をしていた。その意味するところは──きっと、ナルシスの想像する通りなのだろう。
「行こうか、ダイモン」
「ああ──シャルル」
二人は歩き出す。敷かれた石畳の上に薄ら積もった雪に足跡だけが残る。
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