第108話 柔らかな
「……分かった。下がっていい」
ダイモンは党の情報部からの報告を受けると静かにそう言って、部屋を出るようジェスチャーした。情報部員は頷いてそれに従う。ドアの閉まる音。それを聞き届けてから、ナルシスは仮面を脱いだ。
「…………」
そして、電子端末に表示されている報告書をもう一度読む。
チュウキョウ地方にいるスパイからの情報によれば、そこにいる国民団結局は奪還作戦の演習を行っていて、そこに集結する人数も段々増えてきている。その数、二万人以上。演習内容も複数の群を横断するような状況のものもあって、かなり実戦的であったという。
一方、カントウ内部での不満は高まりつつある。物流が事実上停止してしまっているから、物価高騰とモノ不足が起きてしまっているのだ。そこに再戦の可能性が提示されたことで、一部市民は域外への脱出を試みるか、さもなければ反乱に対する反乱を起こそうとしている。SNSの分析も同意見であった。
つまりナルシスの目論見は何一つ上手くいかなかったということなのだ。軍制改革は抑制されたメッセージにはならず、ただただかえって逆効果になった。
「…………ッ!」
ナルシスは苛立ちのままに部屋の隅にあるゴミ箱を蹴り飛ばす。息を荒立てて、叫びたい気持ちは必死に抑えながら、深く息を吐く。
失敗だった。
そう言って片付けるのは簡単だ。
だが問題はその先にある。
修正をかけなければならない。さもなければ壊滅的な衝突が起こるだろう。再びの戦闘――それはきっと、全面対決への序曲になる。無数の人命を賭け金にしたギャンブルの始まり。そして負ければ、自らも命を失うことになる、多数の人間にそう強いてきたように。
(落ち着け――冷静になれ)
後者はどうにでもなるだろう。
ヒライズミ家を頼る他ない。元々、トウホク地方は極東列島行政区の食料庫と呼ばれていた。特に穀物――米に関してはその生産プラントの大半がそこに位置している。軍事的な行動ではないから、これに関してはそれほど相手を刺激するまい。それに、ヒライズミ家が独自にやったという体にすれば、初恋革命党と彼らとの繋がりは分かりにくい。
しかし、前者はそうではない。既に集結しつつある勢力を平和裏に解体する――それには政治的計算を用いた交渉が必要だ。古典的な手としては、その衝突によって生じるであろう損害という不確実なものを喧伝して、過大に想起させる。それからそれを回避するために双方が努力するべきと合意させ、戦力を減らしていく……賭け金を吊り上げて、その勝負から降りさせたあと自分も降りるということである。
問題は、これは相手が完全な攻撃意志を持っていたときには、意味を成さないということだ。全ての平和的手段は突っぱねられて、その結果遅れた準備の隙を突いて事態が進行する。無防備な状態で後ろから頭を殴られれば、大男でも昏倒する。況や弱小な革命軍をや……。
とすればすべきことというのは、相手が今平和的手段と非平和的手段のどちらを全く選択しているのかということだ。「相手」と言っても、物理的分断状態で頭は一つではないかもしれないが、それでも名目上は一人なのである。
シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツ。
交渉により彼の意志を確認し、その本心が党にとって革命にとって有害となるのなら、どうにかそれを計算可能な程度の損害に抑えていく。それが駆け引きというものだろう。故にするべきはまずアポイントを取ることだ。文字通り没交渉になって一週間が経過している。どうにかして政治的関係性を――違う。
そうじゃない。
それは確かに重要だけれど、だからこそそんなことに苛立っているのでは、ない。
(政治、計算、交渉……いつから僕はそんなに冷たい人間になった⁉)
何より彼は自分に苛立っていた。こんなことしか真っ先に考え付かない自分が許せなかった。
シャルルのあの姿を見たというのに、何も学んでいない。
傷つけておいて、何も考えていない。
そういう頭でっかちなことを考えて押しつければ、また同じことが起きるだけなのだ。
(シャルルは――友達だ)ナルシスはソファーに座り込む。(これ以上友達を傷つけたくない)
だが、だとすればどうするべきなのだろう?
ダイモンが彼と会って話すというのは、即ち政治的意味合いを持つ。例えば食事会にしたとしても、その食べた量やペースで要求に対する前向きさ加減を測るようなことになるだろう。美味しそうな香りでは政治の暗い匂いを消し去ることはできないのだ。
他の会合にしても同様。レクリエーションだとしても最後に政治的な趣があるのであれば、それは政治的イベントとなる。
(それでも僕は――シャルルと話したいんだ)
一度会って話をしたい。
ダイモンでなくたっていい。「異能」を使えば、シャルルに会うこと自体はできる。エーコにやったようなことをすればいいのだ。少々難易度は上がったが。そして彼の苦しみを少しでも解決してやりたい――しかしそれでは政治的な解決はできない。
やるなら、ダイモンの仮面を脱ぎ捨てるしかない。
シャルルの目の前で、ナルシスに戻るしかない。
「僕は……」時刻は午後六時。時計の針の音がうるさい。「…………」
ナルシスは、手に持ったダイモンの仮面を見つめる。それは何も語りかけてはこない。物体に過ぎない。象徴に過ぎない――つまり、本質ではない。だがそこに人は惑わされ、それしか目に入らなくなる。
自分でさえ、そうだった。
これをつけるのに慣れたせいで、冷たい世界のことばかりを考えてしまうようになった。
そしてそこでの解決が全てであるかのように勘違いした。
無論、それは現実的なものの見方ではある――だが、それしかないというのは、理性の暴走だ。
硬い理性とは別の、もっと柔らかな部位が、人間にはあるのだ。それを無視しては、人を動かすことはできない。
だからナルシスは立ち上がった。それからドアの方へ。それから部屋を出る直前に仮面をつけ、ダイモンを装う。
高評価、レビュー、お待ちしております。




