第104話 仮面の下の涙を拭え
「……」ナルシスは、応接室に入るや否や訝し気に目を細めた。「そちらの方々は?」
とはいえ、ダイモンの仮面はそれを覆い隠しただろう。しかし相変わらず広い応接室のそのまた長いテーブルの向こう側に予想されるべきシャルル以外の姿を五人も認めたとなれば、声につけられるアクセントは疑問符のそれだけでは済まない。
話が違う。
ふと、ナルシスはシャルルの方を見た。一瞬目が合ったが、すぐに逸らされる。その気弱な仕草に一瞬苛立ったが、そうするだけの権利は自分にないとすぐそれを打ち消そうとする。
「私たちは」その隙に参加者の一人が鷹揚に立ち上がって言った。「次席行政官としてシャルル様を支えてきました。よって今回の会議にも参加させていただく」
「参加させていただく?」しかし、その言い方には黙っていられない。「こちらは承認した覚えはない」
「失礼を承知で申し上げるが、あくまでも私たちは補佐の立場だということをご理解頂きたい。決定権はシャルル様にある。故に承認の必要性を感じなかった」
――言い訳ぐらいは考えてきたわけか。
ナルシスは舌打ちしたいのをどうにか堪えて、しかし反撃の必要性を感じた。シャルルが望んでこうした様子ではないこともそれを後押しした。彼の意志でないのなら、それを拒絶してもそれほど傷つけるわけではなかろう。
「……なるほど、そちらの言い分は理解した。」ナルシスはその場から一歩も動かずに言った。「しかしこちらの言い分も主張させてもらえるのなら、このようなやり方ではこちらの不準備ということになりかねない。こちらの実務者も揃える必要があるだろう。故に日を改めて――」
「それはできかねますな」割り込むようにまた一人立ち上がった。「我々は、この状況下でもやるべきことがあるのです。アナタ方のせいで生じた行政上の問題への対処がそれだ。別の日にすることは不可能です」
「しかし、ならば事前に通告するべきだ。先にも述べたが、これではこちらは用意が不足する。有意義な会合とはならないと考える」
「それこそ先にも述べた通り、こちらはあくまでシャルル様の意向を補助するだけのこと。議論の内容にまでは介入するつもりはない」
「だから、それを誰が保証するというのかッ? ……アナタ方がいるということが、既に我々にとってはノイズというほかない。シャルルとダイモン、この一対一でこそ拮抗が維持できるというものなのに」
「それを言い出すのなら、アナタが暴徒たちの代表であるという証明はあるのでしょうか? ……我々にはそれが疑わしく思われる」
「アナタ方はこの一ヶ月、目と耳を塞いで生きてきたようだ」ナルシスは、本気で苛立った。「私の指示によってこの革命は動き出した。無論、それは『市民』一人一人の支持に基づいてのことであるが、しかしその相互関係を加味しても私の一存によって事態が変化したことは言うまでもない」
「そんなことは知ったことではないですな、ダイモン。アナタが対等な交渉相手であるという法的根拠はない。一方でそうするべきでないという法的根拠は山ほどある。自由恋愛主義者とは犯罪者ということだ。犯罪者とは交渉できないというのが極東列島行政区の立場です」
「なるほどアナタ方は何も罪を犯していない。違法は我々だ。革命も違法。自由も平等も平和も、それを我々なりに求めるために起こした行動は全て違法だという。私は今呆れ果てている。私がその違法な活動の先頭に立っているからこそここの安全は担保されているというのに!」
ナルシスは余計な有象無象たちを振り払うように腕を横に振って見せたが、当然彼らはまたぎゃあぎゃあとそれぞれに文句を言ってきた。これではらちが明かない。きっと革命軍の事情を知らないまでも推察はできているのだ。推察できていなくても時間が彼らの見方であることぐらいはナルシスにも分かっている。チュウキョウ地方に国民団結局が集結しつつあると聞けば、それがいつ動き出すのかが問題になるのは当然だ。
だとすれば、事態は快刀乱麻を断つように解決されなければならない。
それこそ革命の如く電撃的に――ナルシスは「異能」を使ってまで邪魔者たちの間をすり抜けると、シャルルの下へ詰め寄った。
「シャルル。君の意志を確認させてもらいたい。このような同席者の存在を、君は認めたというのか?」
「な、ダイモンッ? いつの間に――」
「答えてもらいたいな。このままでは講和のテーブルに就くことさえままならない。この混沌は君が求めたものだというのかッ?」
「そ、れは――」
シャルルの目が泳いだ。その延長線上にはやれシャルル様から離れろだのテロリストは脅し立てることしか知らないのかだのと騒ぎ立てる取り巻きたちがいる。それを感じて、ナルシスは腹の底に煮えた油を感じた。このような人間たちが寄って集ってシャルルに圧し掛かっているらしい。その重圧に彼は押し潰されそうになっているというのが、彼らには分からないのだろう。シャルルの沈黙は、そういう軋轢の結果として現れている。
「これ、は」だから返答は、途切れ途切れだった。「僕の、意志、だ」
「――⁉」そして予想外でもあった。「シャルルッ?」
そして予想外だったのは、シャルルがナルシスに縋りついてきたことだった。ボロボロの外套にしがみついて、全く離そうとしない。ナルシスが思わず一歩下がっても、そのままだった。
「僕が望んだんだ。僕一人では決められないことも多い。そして分からないことだってある。それなら、その点に詳しい彼らがいてくれれば心強いと……そう、思ったんだ。だから彼らを悪く言わないでくれ。頼む……」
動揺のままに、ナルシスは浅く息をする。
何だこれは。
何なんだこれは。
こんな男が、シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツだとでもいうのか?
自分がどれほど努力しても追いつけなかったあの奇跡のような男だとッ?
瞬間、彼の中では苛立ちがどの感情より優った。
――彼らに言わされている。
それは分かっている。
――自分が言わせた。
それも分かっている。
だが、あの男が、どのようなことがあってもこんなことを言うはずがないのだ。言っていいはずがない……!
「――ふざけるな!」ナルシスはシャルルの手を振り払った。「君は、どうしてそんな情けなくなった⁉」
「ダイモンッ……?」
「君はいつだって傍若無人だった。いつだって世界が自分の思い通りに動くのが当然と思っていたし、そうでないならすぐ不機嫌になった。だが同時に誰より自分というものを持っていたし――誰より強かった。いつだって周りを従えていたさ。だが、だのにこれは何だ?」
人の顔色ばかりを窺って、自分の意志をどうやってそこに沿わせるかばかりを考えている。
人の意見ばかりに阿って、自分の決定をどうやってそこに落ち着かせるかばかりを考えている。
なるほど、とかくこの世は生きづらい。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。
だが、その意地を通す力を持っていたのがシャルルだった。窮屈ならばその取り囲む枠組みごとどうにかしようとしたのがこの男だ。
それなのに。
「これがあのシャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツだとッ⁉ ふざけるんじゃあない! こんなみすぼらしい人間がシャルルのはずがない! 僕は――!」
僕は、こんな人間を超えるために革命を起こしたつもりはない!
と、そう言いかけて、止まる。それは、ほとんど自分の正体の暴露だった。それをしないだけの冷静さは、ナルシスも有していた。シャルルの呆然と悲しみに満ちた表情に罪悪感が追いついてきたというのもある。今の彼を作ったのは自分以外にもいたかもしれないが、今彼を傷つけているのは、ナルシス自身である。
「――私は、」思わず、視線を逸らす。「不愉快だ。このような状況に至っては、会談も何もない。悪いが帰らせてもらう。私はいつでも平和に向けた門を開いているつもりだが、そちらに別の用意があるのならすぐにでも閉じるということは理解してもらいたい。以上だ」
そして、ナルシスはどよめくばかりの取り巻きたちの間を突き飛ばすようにしてドアを開き出て行く。仮面の下の涙を拭うだけの余裕は、まだなかった。
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