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第103話 飯を食え

 故に、今すぐにでも取り戻すべきだとイカロスは考えた。


「お疲れ様でした。今暖かい食料を持ってきます。どうぞ、こちらの方へお並びください……」


 その声を無視して、イカロスはチュウキョウ地方とカントウ地方の境に敷かれたテント村を奥へ奥へと歩いていく。そこではカレーが大量に振舞われていて、カントウから逃れてきた国民団結局職員に次々手渡されていく。いや、職員だけではない。民間人もだ。寧ろそちらの方が数が多い。


 しかしどういうことなのだ?


 何故こんなテント村ができている?


 イカロスは一歩ごとに苛立ちを募らせた。スパイスの香ばしい匂いは普段なら彼を誘惑し得るだろうが、このときだけは逆効果だった。列の間をすり抜けて、どんどんとその匂いがきつくなる方へ。ついにその根源であるところの鍋を彼は見つけた。


「ちょっと」


 その抗議の声を無視して、イカロスはそのテントの下にいたふくよかな体形の、しかし太く鍛えられた腕を隠そうともしない一中職へ詰め寄った。


「ここの責任者にお会いしたい。どちらにいらっしゃるのかッ?」


「何だ君は? どこの所属だ」


「私はトウキョウ管区『共和国前衛隊』のイカロス・ポンペイア二中職です。すぐにここの責任者にお話ししたいことがある。取り次いでいただきたい」


「そうか。ならまず並べ、それから飯を食え二中職」


「冗談で言っているつもりはないんですよ」


 騒動を聞きつけて、人だかりが形成されていく。それをイカロスはちらとだけ見て、それから前に向き直った。


「自分が言いたいのは、これだけの物資と人員がありながら、どうして革命軍を名乗る反乱分子に攻撃を仕掛けないのかということなんです」


「そんなことを私に言われてもな。あくまで私はこの難民キャンプの炊事班の班長に過ぎない」


「じゃあ会わせてくださいよ責任者に」


「二中職。何か勘違いしているようだが君はあくまでも二中職だ。精々群次席職員といったところだろう。そのような人間の思いつくことは、既に皆試そうとして上手くいかなかったのだ。だからまずは気を落ち着けて飯を食え」


「上手くいくかは試してみなければ分からないだろうに、何を言っているのか?」


「自分が何を言っているのか分かっているのか?」


「ええ分かっていますとも。組織として未熟な自由恋愛主義者共にできたことが、我々にできないはずがない。相手が態勢を整える前に素早く行動するべきなんだ。そしてカントウを奪還する。そうすることが最良の手段だと思われます」


「余程脳に栄養が行っていないと見えるな、二中職」一中職は一歩前に出た。のしのしとテントが揺れる。「それを試すということは、その結果人が死ぬかもしれないということなんだぞ」


 すると、その一中職は随分大きかった。イカロスもそう小さい方ではないが、それを越す巨躯がぬうと眼前に出て来て見下ろす格好になれば、イカロスとて狼狽しようというものだ。


「ウッ……⁉」


「自由恋愛主義者共だけが死ぬ分にはいい。彼らは死ぬことを覚悟でこのような暴挙に打って出た。殺されたところで本望というところだろう。そして我々国民団結局職員にとってもそれは同じことだ。無論誰にだって家族はいる。死なないに越したことはないが、やむを得ない事情により殉職することはあろう……」


 その言葉の裏から、腕が伸びてきた。それに両肩をがっしりと掴まれるまでイカロスは気づかなかった。それはあまりに大きい身体のせいで、視界の外からやってきたようですらあったからだ。


「しかし、その死んでもいい人間同士の殺し合いに民間人が巻き込まれること――それは避けなければならない。今焦って軽挙妄動を起こせば、結果は悍ましいものとなろう」


 そう言って、彼はイカロスを軽々と持ち上げた。まるで子供をそうするように――いや、そうではない、その場合は脇の下に手を入れるだろう。このように腕で胴体を挟むようにして無理やりに持ち上げるような行いはしない。何故なら骨が軋むから。イカロスがそうなっているように。


「グッ、あっ」


「更にあの向こう側にはシャルル様もいらっしゃる――尚更軽々しい行動は慎むべきではないか、ポンペイア二中職?」


「ぎッ、し、しかし、」呻きながら蠢きながら、イカロスは言った。「それではいつまで経っても奪還ができないではないですか」


「そんなことは私の考えることではないッ」


 その瞬間、イカロスはサッカーボールだった。


 それを境目からコート内へ向かって投げるようにしてこの一中職はイカロスを宙へと飛ばした。イカロスがそれに抗えるはずもなく、土の上にずさりと叩きつけられる。それでも受け身を取ったつもりではあった、地面に二回三回と転がったという行為を受け身と呼ぶならそうなのだろう。


「しかしはっきりと言えることがあるとすれば、二中職。」一中職はその無様に這いつくばったその近くに寄って言った。「君には見えないものが上層部には見えているということだ。それは君には無能と怠慢に思えるのだろうが、君の考えるほど事態は単純ではない。そういうわけだ。飯を食え」


 それから、いつの間に持ってきたのか、カレーの盛られたプラスチックの皿をイカロスの前に差し出した。ご丁寧にスプーンまでついていた。その香気はイカロスの空腹感を加速させる。彼ははっきりと誘惑を感じた。それに飛びつくべきだと感じた。


「だとしても」しかし、彼は立ち上がった。「その逆だってあり得るはずだ」


 そして、背を向ける。人だかりを泥だらけの服で跳ねのけて、強引に進んでいく。とにかく人のいない方へ。


 それから味方のいる方へ、だ。


(味方はいる)イカロスは歩みを速めていく。(必ずいる)


 今回の動きに不満のある人間はどこかにいるはずだ。そもそも大半が戦わずして降伏するような暴動など、あるはずがない。そもそも革命を名乗るこのような愚行に対して「降伏」という二文字はあまりに不適当だ。それに、ここまでの退却行において不遇や不名誉を感じずにいるなんて人間はいるはずがない。


 寒かった。


 腹が減った。


 荷物が苦しかった。


 この動物的欲求の発生する状況を強いた革命軍に怒りを覚えていない人間は、グラデーションこそあれいないはずだ。


 それらの不満分子を集める。


 まずはそれから始めるべきだ。


(しかし)一方で、だ。(シャルル様の身に何かあるような事態は避けねばならない)


 あの一中職は順序を逆に言ったが、政治的な観点から言えば、シャルルの安全こそが第一条件である。民間人の死者というのも、無論考えるべき題材ではあるが、しかし最重要ではない。


 シャルル様さえいれば、全ての不手際はクリアされる。


 そこに至るまでの全ての犠牲は、許容されるだろう。


 極東列島行政区に指揮系統と大義名分が取り戻され、人質もいなくなる。


 だとすれば問題は、その彼をどのように救出するかだ。


「――」イカロスは、そこで立ち止まる。「…………」


 当然そんなことはダイモンも分かっているはずだ。いるとされるオブ・プレジデント邸はずっと包囲され、周囲には検問もあるという。この厳重な警備体制を打破するなり迂回するなりしないことには、シャルルには辿り着けない。


 それに、これは極秘作戦だ――もとい、正式な作戦ではない。自分のキャリアを犠牲にしてまでこの正当な行為に賛同してくれる「味方」が、果たしているのか?


「――悩んでいるようだな」そのとき後ろから、声がした。「ポンペイア君」


「――」瞬間、背筋に鋼が入ったようだった。「⁉」


 思わず振り返る。テント村を背にして光の中に初老に差し掛かった男が立っている。引きずられた中年太りは相変わらずだらしなく映ったが、しかしそれは誰より心強い味方だった。

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