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第101話 講和会議

「遅くなって申し訳ない」ダイモンは、部屋に入るなりそう言った。「シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツ」


 オブ・プレジデント邸の応接室に、二人はいた。いや正確にはその護衛が二人ずついたから、合計六人がその部屋にいた。真ん中には長いテーブルが用意されていて、一方の短辺にシャルルは座っていた。


「いや、構わないんだ――ダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクス。それより出向いてもらって申し訳ない」


「……そちらが謝ることはないだろう。ここに閉じ込めているのは私だ。そうだろう?」


「監禁も当然だ。今の僕は敗者という立場だからね。生殺与奪の権は君にある……」


 ダイモンは、そのときピクリと動きを止めた。仮面の向いている方向はシャルルへではない。カーペットの敷かれた床の、何もない一点を見ているらしかった。視線を逸らした? ……いや、そうではないのか? いずれにしてもダイモンがそうしていたのは僅かな間のことだった。すぐに前を向き、席へと座る。


「一応宣言しておくが、」そして開口一番彼は言った。「私たちは対等な立場が担保されるとしてこの交渉に臨んでいる。そちらとしてもそのつもりでいてもらいたいのだが?」


「? ……ああ。了解している。こちらに無作法があったかな。大変失礼した」


 それから、シャルルは一度立ち上がって頭を下げた。行政区側の護衛の二人が職務も忘れてか慌てた素振りを見せる、が、ダイモンはピクリとも動かなかった。仮面に隠れて表情は分からなかったが、何も言わず、指先一つそれに対して動きを見せなかった。シャルルの護衛たちは一瞬それを訝しみ、また非難がましく見たが、それ以上のことはできなかった。


 しかし、仮面の裏では、ナルシスは悲しみが胸の上から飛び出ないよう抑えるのに必死だった。


 シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツという男は、本来このように卑屈な人間ではないのだ。


 確かに、彼以上に傲慢な男というのはそういない。


 彼は自分の立場というのを分かっていない。生まれながらに得ていて有しているものを相手も当然共有しているものだと思っている節が往々にしてある。


 それでも彼がナルシスを含む大衆から受け入れられているのは、単にそれが嫌味ではないだけだ。


 自分と相手とが無条件に対等であることを信じている点において、彼以上の夢想家はいない。その意味において、彼は傲慢であった。それなのに、こうなっている――その原因は、ダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクス。


 つまり自分自身。


(対等――)ナルシスは、だからそのとき自嘲した。(対等か)


 だが、その意味において言うのなら、ナルシスもまた傲慢であった。あるいは彼より傲慢な類まれなる人物の一人であった。


 何故なら、このような対面ほどの不平等はあるまい。


 まず物理的に軍勢で包囲して。


 相手のことは個人的な理由から知り尽くしていて。


 それでいてこちらは相手から見られないよう仮面を被っている。


 それらを無視して対等なフリをしている、こんな卑怯があるだろうか? ……生徒会選挙の頃から、何も進歩していない。未だに臆病にダイモンの仮面の裏に隠れているだけだ――


「――ダイモン?」シャルルは首を傾げた。「どうか、許してはもらえないだろうか? 許しを請う立場でこのような物言いは間違っていると感じるが、今の僕にはそうすることしかできない――」


「――シャルル」遮るようにダイモンは言った。「そもそも私は君の態度が不遜だなどと言っているつもりはない。ただ前提を確認したまでのことだ。何か勘違いしているのではないかな」


「? ああ、えっと……そうだね? そうらしい……すまない」


「…………」ナルシス――ダイモンは、溜息を深く吐いた。「まず、座ったらどうだ。これではどちらがここの主人か分かったものではない」


 ああ、と途切れがちに言って、シャルルはようやく椅子に座り直した。


「では、どこから話そうか――まず、まだ君たちに抵抗している拠点についてからかな?」


 ――そんな言い方は可哀想だろう、君のために戦っているというのに。


 ナルシスはそう言いそうになった口を噤む。ダイモンはそんなことを言わないからだ。彼はきっと実利的なことしか言わない。まだ抵抗をしている拠点は実際のところ結構な数存在している。停戦にも降伏にも合意せず、場合によっては脱出を図って反撃に出る、などという拠点もあるという。これをどうにかしないことには、革命は真の意味で成功したとは言えない。


「ああ、」だから代わりに言うのは、こういう言葉だ。「私としては、これ以上の流血は望まない。これは以前に述べた通りだ。彼らには、自発的に投降してもらうことが望ましい」


 この言葉には建前であると同時に本音だった。革命軍は華々しく緒戦を電撃的に制したものの、それは途中の拠点を放置して前進したということである。その放置された拠点の大半は命令に従い降伏したものの、そうでないものは喉に刺さった小骨のように作用する。それを取り除くのには喉奥に手を突っ込むような手間がかかるし――何より、そこには出血が起きる。それは避けたい、政治的にも軍事的にも。


「僕もそこについては同意見だ。しかし降伏命令はもう出した。従っていないのはどうして……?」


「武装解除に応じられないからだろう」


 実際には前者の方が割合としては大きいに違いない。アレは武装解除という名の略奪だ。服も銃も捨てていけというのは、そういう意味だ。だからナルシスも避けたかったのだが、装備面の拡充を短期間で図るには、それしかなかった。


「……尤も、本物だと信じられていないというのもあろうかな。読み上げたのも代理の職員だ。文面だけで本人と分かるものではない」


「なら僕が直接出向こう。そうすれば降伏したことが分かるはずだ。そうだろう?」


「駄目だ。君をここから出すことは容認できない。現地で何が起こるかも分からない。それに――」


「――分からない?」そのとき、その声は割り込んできた。「分からないだって?」


 ダイモンはその方を向く。護衛の一人が嘲笑うような表情を見せていて、すぐに彼の仕業だと分かった。立ち上がって、ダイモンは彼を睨んだ。


「何だ君は? 君に発言権はない」


「失礼ながら申し上げるが、そんな案はこちらから願い下げだ。移動中に何が起こるか分かったものではない。ここから出るとき、それは貴様らがシャルル様を処分しようとするときだ。違うか?」


「まるで違うな。私はあくまでこの事態をこれ以上の流血なしで解決したいという話をしている。その中でもしかし無条件というわけにはいかないというのが現実なのだ」


「ふん、どうだかね、その事態の原因とやらが言っても説得力がない」


「この事態を招いたのはシンジュク事変だ。我々は平和的解決を望んでいた……」


 そこでナルシスはハッとなって、ちら、とシャルルの方を見る、彼はシンジュク事変という言葉に俯いていた。不用意だった、シャルルはそのことによって傷ついたというのに――。


「そもそも」その隙に、護衛は反撃した。「『聖母』を武力で奪おうとした貴様らが、『平和的解決』などという言葉を使うのはおかしな話なのだ。そして『聖母』は依然我らの側にある。それは大義もまた我々と共にあるということだろうが⁉」


 その言葉にナルシスは舌打ちする。カナガワはヨコスカに革命軍が至ったときに「聖母」を押さえるという計画ではあった。「聖母」を押さえれば好意対象者割当の正当性を揺るがすこともできるはずだというのは既述した通りだ。


 しかしそれは失敗したのだ。


 危機を察知した担当者が、修繕もそこそこに出航させたのである。船を持たない革命軍では、それを追いかけることはできなかった。


「ならば問おう。その大義とは何だ? 自由恋愛主義者を自由の名の下に弾圧することか。そうして血を――」そこまで言って、ナルシスは自分が先ほどと同じ轍を踏んでいるとすぐ気づく。「……ッ」


「自由恋愛主義というのは、一度世界を滅ぼした理屈なのだ。それを再興しようなどという連中こそ、滅ぼされて然るべきだ!」


「しかし、その主義を滅ぼそうとした行為が、」この事態を招いたのだとすれば、責任はどこにある?「…………」


 それは、シャルルにあると言うようなものだ。確かに彼自身は望まなかったかもしれない。しかし周りの人間が望んだそれを止める義務はあったのだ、少なくとも彼はそう感じていたから、傷つくことになった。


 ナルシスが、傷つけた。


 だから、言えない。


「ふん、性犯罪を規制するから性犯罪が起こるのだとでも言うつもりか? それは犯罪者の理屈だな」


「そのようなつもりはない……! 私が言いたいのは、ただの思想にまで刑罰を課す行為は、果たして正当だと言えるのかと……!」


「だからそう言っている。これは正当な行為だ。そうでなければ三〇〇年もの間『共和国』という統一国家を維持できるはずがない。自由恋愛主義に基づいていたなら、今頃は分裂し、国家間同士の軋轢が戦争に繋がっていたはずだ」


「だが、その分裂は現に起こっているじゃないか」


「こんなものは分裂ではない、貴様らは国家の体を成していない。ただの大規模な暴動に過ぎない」


「だが、君たちはその国家未満の暴動に負けた」


「貴様……!」


 護衛は銃に手をかけた。ナルシスは一瞬固まり、すぐに後ろに立っていた護衛に割って入られる。彼らは銃を抜く――以上、シャルルの護衛も手をかけるだけでは済まなかった。彼らも銃を抜き、一触即発に至り、


「――いい加減にしてくれ!」シャルルは、そのとき叫んだ。「もうやめてくれ。これ以上争うのは……」


 立ち上がり、しかしそれ以上は何もできずに立ち尽くす。激しく肩で息をしているから、それすらもやっとということなのだろう、今のシャルルにとっては。それを見て、全員が銃をゆっくり下ろす。


「……ありがとう、皆」シャルルは、それを見てから、言った。「そしてすまない、ダイモン。今日のところはこれで終わりということにしよう。こちらの都合ですまないが、後日また日を改めるということに」


 ナルシスは、一瞬言葉に詰まった。そのときのシャルルの笑顔を見てしまったからだ。いや、それを笑顔というのは若干の語彙の問題があろう。目を細め、口角を上げるその表情はそう表現する他ない。


 だがしかし、その弱々しい雰囲気。


 弱者としての笑み。


 そんなものを見せられては、ナルシスは苛立ちを覚えると同時に悲しかった。シャルルに圧し掛かった重圧。それは想像もつかないけれど、誰もが自分の責任を彼に押し付けたということは間違いないことだった。


 そしてナルシスも、その一員――それを自覚して、喘いだ。


「……いつから」逃げるように誰にも聞こえない声で、ナルシスは言う。「いつから君はそうなったのだ。シャルル」


「え……?」彼はその見たくもない笑顔のまま言う。「何だい、ダイモン。よく聞こえなかった……」


「何でもない。ただの独り言だ……それより、次は一対一で話さないか? その方がいいように思う」


「ああ――うん。了解している。重ね重ね申し訳ない」


 そう言って、頭を下げるシャルル――その小さな姿に、ナルシスは尚も言いたいことがあったけれど、それは言葉にならない。何故ならそうすれば彼を傷つけるだけだから。彼自身をも傷つけるから。


 今のシャルルに必要なのは時間と休息で。


 今のナルシスに必要なのもそれらだった。


(しかし、ダイモンにとっては――革命にとっては)


 ナルシスは、その事実から逃げるように、応接室を出た。彼は今、ナルシスでいたかった。ダイモンではなく。

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