3.精霊王の試練
「フィーナ!」
俺は地面に伏せている、恐らくはエルフの少女であろう人影に向かって叫ぶ。
「フィーナ、大丈夫か!」
少女の元へ走り寄り、その小さな体を抱き起す。
「なっ……!?」
抱き起した少女の顔を見て俺は声を失う。
見知った少女の顔はそこには無く、およそ人間のものとはかけ離れた不吉な笑顔で笑う、悪魔の表情がそこにはあったのだった。
「くっ、アンナ近づくな!これは罠……だ……」
意識が遠のいていく。
不屈スキルを持っていた俺は慢心していたようだ。
多少のトラップならどうにかなる、と――
薄れゆく意識の中で、自らの招いた事態に悔恨の念にかられるリュウジであった。
◆◆◆
いつからだろう。
俺は、RPGという非現実の世界へのめり込んでいった。
別に現実に不満があるわけではない。
親がいて、兄弟がいて、友達がいる。
学校に通い、授業を受ける。
家に帰るとひたすらにゲームに没頭する。
なぜあんなにも夢中になっていたのだろう?
そして今、その訳に思い当たる。
ああ、俺はきっと飽きていたんだ――
そして、俺の望みは――
「気が付いたからしら?」
僅かな意識の隙間から聞こえる声。
その声に精神を揺り起されるように、俺の意識は覚醒していく。
「ここは……?」
視力を取り戻した俺の眼に映るのは、ただひたすらに白い天井と――天井に備え付けられたLEDの照明器具であった。
「轟龍二君、だったわね?お疲れ様、あなたのデバッグ作業はこれで終了。もうお家に帰ってもいいわよ」
轟龍二――
久しく呼ばれることの無かった俺のフルネームに、なんだか自分のことではないような違和感を感じる。
「あれ、俺は、異世界からやってきた冒険者で、魔法を習得して……」
「どうやら記憶の混乱が見られるようね。うーん、まだ実用には程遠いかしら」
俺は改めて声の主を見つめる。
白衣を来た眼鏡の女性。
医者か研究者か――少なくとも、異世界の人間ではないだろう。
俺はようやく自分が、元の世界に返ってきたことを理解したのだった。
「あの、俺はどうすれば……?」
「あら、聞いてなかった?あなたの冒険はお終い。アルバイト代はきちんと最初に登録した口座に振り込んでおくから安心して。無駄遣いしちゃだめよ?」
そういってほほ笑む女性。
そうか、俺の異世界での生活は終わったのか。
そういえば皆にきちんとお別れを言えなかったな……。
皆?あれ、最後に一緒にいた少女はなんという名前だっただろうか。
芯が強く、ぶれることのない忠誠心を持った赤毛の少女。
誤解されたままの別れは嫌、だな――
「……リュウジ殿……リュウジ!」
俺がまだベッドから体を起こせないでいると、どこからともなく懐かしい声が聞こえ、脳内に響き渡る。
「……あら、そう。どうやらあなたが帰ってくるべきはこちらの世界ではないみたいね」
目の前の白衣の女性が何か言っているが、ノイズのような音が邪魔をして上手く聞き取れなかった。
なんとなく笑っているようにも見えるが、それもはっきりとはしない。
次第に視界に映るものも、壊れたテレビの画面のようにノイズ交じりのものになっていく。
そして完全に――暗転したのであった。
◆◆◆
「……全く、ようやく目を覚ましたか。突然倒れたので心配したぞ」
「ああ、アンナ、お早う」
「何がお早うだ。さっさと起きろ。そんな悠長に構えている余裕はなさそうだぞ」
アンナに言われ、俺は頭を首から上だけ動かして周囲をぐるりと見渡す。
薄暗かったはずの儀式の間は光源の数を増し、室内を取り囲む壁面が見える程度の明るさになっている。
露わになった壁面には顔の無い人型の、地蔵のような石像がずらりと並び、その一つ一つが光を放ち、ぼんやりと周囲を照らしていたのだった。
「ようこそ、人の子らよ。そしてよくぞ試練を乗り越えました」
部屋の中央奥に周囲の石像とは一線を画した巨大な人型の石像がある。
石像に刻まれた、人間でいうところの口の部分が動いた訳ではなかったが、どうやらその像が先ほどの声の主のようだった。
「……像が、喋った?」
目の前で起こった不可思議な現象に思わず言葉が漏れる。
隣のアンナも言葉には出さないが、表情から察するに俺と同じ思いをもっているだろう。
「自己紹介がまだでしたね。私は精霊を統べる存在――あなた方の言葉でいうならば精霊王と呼ばれる存在です。あくまで私は精神体であり、地上ではこの石像を媒介にしてあなた方に語り掛けているに過ぎません」
かなりファンタジーな状況であるが、そもそもここは剣と魔法の蔓延るファンタジー感溢れる世界である。
俺は今更驚くこともないか――と、この怪奇現象とも思える現在の状況を受け入れるのであった。
「えーと、精霊王様でいいのかな?とりあえずあなたのことはわかりました」
「そんなに畏まる必要はありませんよ。私はあくまでも精霊たちの王。地上において権威はありませんので」
「そうか、ありがとう。で、さっき気になる言葉があったのだけど、”試練を乗り越えた”というのは一体どういう意味なんだ?儀式を受けに来たのは俺達ではなくて、先にここに入ってきたはずのエルフの少女なんだが」
「儀式はこの間に訪れた全ての存在に須らく行われるもの。それがエルフでも人間でも魔族であっても。そして試練を乗り越えたものには、その儀式を行った王の加護が与えられるのです」
俺の問いに答える精霊王。
それにしても試練とは……?
アンナの話によると俺はこの部屋に入ってきてすぐに倒れてしまったらしいが、その後の記憶が曖昧である。
思い出そうと試みるが、頭に靄がかかっているかのようで、はっきりとした内容を想起することは出来なかった。
(どこか懐かしい記憶だった気はするが……)
俺は何か大切なことを忘れてしまったような喪失感に駆られ、魂を奪われたように呆然とするのであった。
「試練の内容は人それぞれ違いますが、その者の精神に作用する点では共通しています。精神体をどこかへ飛ばし、そしてその精神体が肉体に戻ってこれるかどうかを試すのです。心の弱い存在は肉体に戻ること叶わず、永遠に精神世界を彷徨い続けることになります」
さらっと恐ろしいことを言う精霊王。
どこへ行っていたのかわからないが、戻ってこれて本当によかった。
そして――
(恐らく自分の力だけでは戻ってこれなかっただろうな)
俺の事を心から心配して呼びかけてくれただろう少女――アンナの方へちらりと目を遣り、俺は謝意の念を示すのであった。
(あれ、そういえばアンナは試練をあっさり乗り越えたのだろうか。あとフィーナ……そうだ、フィーナはどこへ!?)
次から次へと起こる不思議な現象に、俺は本来の目的であるフィーナの護衛の任を失念してしまっていた。
そんな俺の疑問を読み取ったのであろうか、妖精王が言葉を発する。
「エルフの少女でしたら、先に里に戻りましたよ。あなた方も急いだ方がよいかもしれませんね。そしてそろそろお別れです」
一方的な別離の言葉を投げ掛ける精霊王。
そして続けざまに精霊王が述べる。
「どうやら世界のバランスが崩れようとしています。私がこの地域に張った”結界”が何者かの手によって破られたようです。私がここに留まれる時間も、幾ばくも無いでしょう。そして魔物の群れが、どうやらこの地を目指しているようです。エルフの少女はそれを里の皆に伝えにいったのでしょう」
唐突に精霊王によって語られた事実は衝撃的なものであった。
俺とアンナはそれを聞いてすぐに行動を起こす。
精霊王への挨拶もそこそこに済ませ、精霊王の用意してくれた裏口を通り洞を出て一路エルフの里へと向かう。
◆◆◆
人の気配が霧散し、静まり返った儀式の間。
「あの子は、少し危うい存在ですね……」
それは誰に向けられたものであったか。
そんな精霊王の呟きは誰に届くともなく、儀式の間内に微かに響くのだった。




