18.魔の王
「何、だと」
目の前にそびえ立つ、10mはあろう堅牢な城壁を前に、一人の男が驚嘆の声を上げる。
男の名前はフルカス。
旧魔王軍の兵士であり、現在は魔王領の偵察部隊長を務める男であった。
「この辺りにこんな建築物はなかったはず……。そういえば半年前に、この周辺の魔物が軒並み減少するという事態があったような。とりあえず魔王様に報告せねば」
魔族領は広大である。
それに対し、魔族は絶対数が少ない。
全域の偵察には1年単位での時間がかかるのであった。
半年前にミノタウロスやサーペントといった、上位の魔物を含め、大量の魔物が消失するという事件があったが、大方ドラゴン種にでも食べられてしまったのだろうと考えられ、魔族の間ではそれ程大きな問題とされなかったのである。
フルカスが踵を返し、己の属する本拠地へと戻ろうとした矢先の出来事だった。
ヒュン
風切り音が鳴る。
それをフルカスは聞くことが出来ただろうか。
飛来した何かに頭部を撃たれ、一瞬の出来事に声を発することもできず、フルカスは糸が切れた人形のように昏倒するのであった。
「リュウジ隊長、魔族が偵察に来たので気絶させて捕えました」
「あー、うん。ご苦労様。とりあえず地下牢にぶち込んでおいて」
「了解です」
報告を済ませた少年兵は、紐で拘束された魔族を引きずりながら、幕舎を出ていったのだった。
「……リュウ、随分隊長が板についてきた」
「リア、冗談はよしてくれよ。正直こそばゆくてたまらない」
リュウジ達が魔族領に転移して半年が経過した。
リュウジの出した「定住宣言」に、シグルド含め多くの教官や生徒は当初こそ難色を示したものの、何度も襲撃する強力な魔物を撃退するリュウジとリディアの姿を見て、既に自分たちに選択権は無く、この二人の庇護を受けなければあっという間に帰らぬ人となるだろう――そう判断し、なし崩し的に、魔族領での定住生活を受け入れたのであった。
それからの半年というもの、リュウジの指導で魔法科の生徒が、リディアの指導で剣術科の生徒が指導を受け、バーバ仕込みのスパルタ訓練と、ローエン仕込みの実践訓練により、元々素質はあった学園生徒たちはその実力を飛躍的に伸ばしていったのであった。
そんな日々の中でいつしかリュウジは「隊長」と呼ばれ、実質的にこの集団の指揮を執るリーダー的存在へと祭り上げられていたのである。
「さて、偵察が消息不明になったとなると、魔族の本体が攻めて来るまでそれ程時間がないかもな」
「……剣術科の生徒は強くなった。そろそろ実戦経験も丁度いい」
「魔法科はそこそこ使えるようにはなったが、何せここはちょっと相性が悪いからな。あくまでサポートになるだろうが、まあ問題ないだろう」
魔族領は全域に”アンチマジックフィールド”が張られており、魔族以外の種族が魔法を使用する際は、十分な威力を発揮出来ない仕組みになっている。
魔族自体が元々魔法に長けた種族であり、おそらく人族から領地を奪った後に、長い時間と人員を費やして、このような領域を作り上げたのだろう。
そんな中でも魔法科の生徒たちは腐らず、延々と続くリュウジの過酷な訓練により、魔法というよりは体力と精神力が大幅に強化されたのだった。
「先手を打つのもありかもな。ちょっとこちらから動いてみるか」
「……今ならきっと大丈夫。そろそろうちの親も心配している……と思う。アインスに戻ろう」
元々定住といっても永住するつもりはない。
折を見て、アインス国に帰ろうという算段で生徒達を鍛えており、そろそろ目星が付いたため、リュウジ達一行は西征の計画を立てるのだった。
「フルカスからの連絡が途絶えただと?」
「はい、ビフロンス様。昨日偵察へ出たまま、まだお戻りになられません」
ビフロンスと呼ばれた男は、旧トクシムの街周辺を治める、魔族の伯爵である。
「ほう、フルカスと言えば、偵察部隊の中でも指折りの腕利きではないか。よもやあの男に限ってサボリではあるまい」
ビフロンスの上座に鎮座し、ディナーの鴨肉を頬張りながら、一人の少女が発言する。
「おっしゃる通りであります、魔王様。フルカスは忠に厚い男。この百年、堅実に任務を執行し、腕も確かな忠義の士であります。その男からの連絡が途絶えたとなれば、恐らく想定外のトラブルに巻き込まれてのことだと推察されます」
髭を蓄え、初老にさしかかったように思えるビフロンスが、年端もいかない少女のように見える女性に対して恭しく返答を行う。
”魔王”
この少女の呼称は、かつての英雄の活躍により、失われたはずの称号であった。
英雄による建国から百年の時を経て、魔族側にも旗印となる「魔王」という存在が、人族に知られることなく復活を遂げていたのである。
「何やら面白そうな事態じゃの。どれ、妾自ら調に参るとしよう」
「いけません、魔王様!……いや、承知いたしました。老骨の身ではありますが、このビフロンス、お伴いたしましょう」
ビフロンスは一瞬諌めようとしたものの、魔王と呼ばれる少女の奔放さを身に染みて理解していたのだろう。
何を言っても聞き入れられないことは分かっていたため、せめて自らがお供し、憂いを無くそうと考えたのである。
本当に間が悪い――
ビフロンスは内心で舌打ちをするのだった。
普段伯爵であるビフロンスの館に、魔族を統率するこの少女が滞在することはなかった。
本当に偶々、魔王による一年に一度の巡視という名目で、少女がビフロンス邸を訪れており、そこへ緊急の報告という形で、偵察隊長が戻らないという報告がなされたのであった。
かくして魔王と呼ばれた少女が出陣する。
魔王と賢者の邂逅――
後世の人々に語り継がれることになる出会いが、奇跡的な偶然の重なりにより、今為されようとしていたのであった。




