5月2日、ABA研究会・部室 その3
『5月2日、ABA研究会・部室 その3』
競技としてのABAの特性を知ってもらおう、と言った御凪は、キュッキュッキュとホワイトボードに文章を書きつけた。
「“競技者自身の肉体の他に、装備の持込ができる”」
自分の書いた文章を読み上げ、こちらを振り向いた御凪はいつの間にか冊子を持っていた。表紙には「ABA競技規則」とタイトルがついている。御凪の指はパララッと冊子をめくり、付箋のついたページで止まる。
「競技の一、『屋内駆除(蚊)』の該当項では、“チームメンバー全員の装備が、合計で一〇キロ以下でなければならない”とある」
世に存在するスポーツで、道具を使うものは数多い。しかし、当然それらは、競技として選手自身の能力を競うために、“公平”を担保できるレギュレーションによって制限されている。野球ならば、大きさ・重量・素材の決められたバット。サッカーならば、規定の空気圧を満たした定格のボール。陸上、水泳、自転車、ウィンタースポーツ、道具の性能が物を言うモータースポーツですら、例外ではない。
(でも、先輩はABAの特性として“装備の持ち込みができる”と言った。それはつまり――)
「何を使っても、いい」
八雲の思考を引き継ぐように、御凪は口にした。
「ハエ叩きだろうが、スプレーだろうが、パソコンだろうが、エンジンだろうが、法律と重量制限に違反しない限り、何を持ち込んでもかまわない」
それはつまり、
「人の持つあらゆる手を尽くして害虫を殺す。それがABAの本質だ」
「おお……かっこいい!」
「かっこいい、かなぁ?」
キリッと決めた御凪に一年女子がそれぞれ感想を述べた。八雲はおおむね光瑠に同意である。だが、それはともかく引っかかる言葉があった。
「でも、スプレーって……殺虫剤なんて使っても、意味ないですよね?」
薬剤抵抗性害虫。殺虫剤の効かない蚊が大量に発生した“ある年”のことを、八雲は小学校の教師から聞いた。
原因は不明。突然殺虫剤が蚊に効かなくなったことで、その年から数年間は蚊に刺されないようにするのが大変だった、と語る教師にクラス中が笑っていたのをおぼえている。いまどきの害虫に、一般人が使える程度の薬剤なんか効かないのだ。
「ああ、確かに“殺虫剤は”、意味が無い。蚊やゴキブリを殺せるような強力な薬剤はそもそも所持に許可が必要だし、それらを噴霧すると家屋や公共財を“傷つけた”とみなされて大幅減点の対象になる」
だが、と御凪は続けた。
「何もスプレー缶から噴き出すのは、殺虫剤とは限らない」
そう言ってカバンから取り出したのは写真が大量におさまったアルバムだった。
「三年前、屋内駆除(ゴキブリ*)・学生の部で優勝したチームの使っていたスプレーガンだ」
御凪がアルバムを開くとそこには、拳銃のようなギミックが取り付けられた銀色のスプレー缶と、なにやら白い塊につつまれた虫の姿が写っていた。
「あーこれ見たことある!」
去年、国内最大手の防虫器具メーカーが発売したゴキブリ対策グッズに、それはよく似ていた。帯状に噴射したゲルをゴキブリに命中させ、固めて動けなくする、という商品だ。
「キャッチマン・ブロゥード!二十センチの帯状ゲルがぁ、ターゲットを素早く絡めとるぅ!ほら、手にも床にもくっつかない!」
光瑠がCMの真似をして、得意げな顔で御凪を見る。なにがしたいんだこいつは、という白けた目で香織が頭を軽くはたいた。
ゴホン、と咳をして、御凪が続ける。
「一般向けにダウングレードして商品化されたのがその“キャッチマン・ブロード”だが、実際に大会で使われたものは、最大射程3メートル、噴射範囲にレーザーグリッドが投影される、その他オプションてんこ盛りの新鋭兵器だった。作ったのは、高校生」
「すごい……」
「特に注目されたのが、噴射したゲルが帯状に広がる特殊な噴射口を使っていた点。例え初心者でも扱いやすく有効な道具、というわけだ」
その特徴を引き継いだ商品が実際に発売された、ということはつまり、
「全国ABA技術振興大会は、体術としてのABAの腕を競うだけでなく、害虫に対抗しうる新技術のアイデアを広く募集する目的もあるんだ。実際のスコアトップに送られる優勝とは別に、技術賞ってのもある。そして、そこで主催企業の目にとまるほどの活躍を見せれば――」
ゴクリ、と八雲と香織の喉が鳴った。光瑠はよくわかってない顔で、きょとんとしている。
「で、でもちょっと待って?みーくん」
異論を述べたのはまなびだった。
「多分、みーくんがあてにしてるんは、スイスイ二号と三号のことやと思うんやけど……」
「そうだ」
「でも、あの子らはまだ、いまいちうまく動かんっていうか……まだ時間もらわんと、ちゃんとしたのは作れへんよ」
言いにくそうに、申し訳なさそうにまなびはつぶやいた。
●
つまりはこういうことだ。
伊集院まなびは深藪高校ABA研究会のメカニックとして、これまで部に尽くしてきた。大学教授の父に指南されたという彼女の技術はかなり高度なもので、相応の成果をこれまでにも上げてきたという。
「こう、ピュッと蚊を吸い込む機械を作ってるんやけど、これが結構難しくってなあ」
どうやら、その“蚊を吸い込む機械”がスイスイ○号という名前らしい。そのネーミングから、八雲は思い至ることがあった。
「も、もしかしてブンブン一号ってのは……」
「昨日、ヤクモンもつかったじゃん、あれだよ!」
衝撃の事実である。八雲は、光瑠が冗談で言った架空の筋トレマシンだと勘違いしていた。まさかあれが“ブンブン一号”とは全く思っていなかった。
(あんなかっこいいガジェットが、ブンブン一号……)
「あれはな、耳のそばを蚊が飛んだときのブーンがめっちゃうまく再現できたからそういう名前にしたんよ」
あはは、と笑って心底うれしそうにまなびが語った。
「ブンブン一号の部品はな、親戚のおっちゃんに融通してもらったんよ。さすがに普通のメガネに投影するんは難しいからなあ」
恐るべし伊集院まなび。どんな大物研究者とコネクションがあるやらわかったものではない。
ブンブン一号開発秘話を語り始めんとするまなびに、ゴホンと御凪が咳をする。話が脱線していることに気づき、
「っとと、話を戻すな?それでみーくんがあてにしてるスイスイ二号と三号はまだ、ぜんぜんうまくいってないんよ。今持ち込んでも、ちゃんと動かへんと思う」
つまり、一週間後の大会には道具が間に合わない、というメカニックからの宣告である。
メカニックから出されたNGに、部長はそれでも首を振った。
「だめなんだ、今年でなければ」
「あう……」
「俺とお前は、……三年生だろう」
「それは……そうやけど……。今年いっぱい使って、完璧にしたスイスイ号で、後輩みんなにがんばってもらったらええやん?」
「む、しかし……」
お互いにもごもごと言いよどみ、なかなか話が進まない。でも……、だって……、とやりとりが数度繰り返される。
八雲と光瑠は肌で感じていた。じりじりと焼けるような苛立ちが、机の端でくすぶっていることを。
たっぷり五分も経過しただろうか。いやしかし……、そんなんいうて……、と続いたその時、
机を叩いた香織が立ち上がった。
「だー、もう!そこになおれ!!」
ビクゥ!と体を跳ねて、部長と副部長が固まった。




