5月2日、ABA研究会・部室 その1
『5月2日、ABA研究会・部室 その1』
――お帰り。今日は学校どうだった?
「ま、まあまあかな……」
――そう……、がんばってね。応援してるから。
「……だいじょうぶだよ、安心して」
●
ゴールデンウィーク一日目。
佐藤八雲は特別教室棟、三階の端の部屋、その扉の前に立っていた。
外のグラウンドからは運動部の掛け声が聞こえてくる。中間テスト前ではあるが、この学校、深藪学園では午前中に限っての部活動が認められていた。
ABA研究会もまた、午前のみの活動をするのでよければ顔を出しなさい、と部長・川野辺御凪から言われていたのだ。
スー、ハー、と呼吸を整える。
(……よし!)
心の中で気合をいれ、引き扉の取っ手に指をかけた。
「おはようございます!」
ガラッと音を立てて、扉を開ける。
八雲が室内を見ると、そこには見覚えの無い女子が一人、たたずんでいた。
「……んお、き、キミだれや?」
「え……」
「あー間違い、かな?ここはABA研究会の部室やで」
「は……、はい」
間違いなはずはない。八雲はまさに、ABA研究会の部室を目指して登校してきたのだから。
昨日、御凪に言われた言葉を思い出す。
『今日は体調を崩して欠席している部員が一人いるんだが、明日は来るはずだから、君がここに来るなら紹介しよう』
ならば今、八雲の目の前に立っているこの人が、そのもう一人の部員なのだろう。黒縁の地味な眼鏡をかけ、黒い髪をポニーテールにしている。化粧っ気のない顔で、背の高い人だった。
ブレザーを脱いだワイシャツ姿の彼女だったが、胸に刺繍された校名の色から、部長である御凪と同学年であることがわかった。
八雲が改めて彼女の顔を見ると、その視線の先が自分の左胸で止まっている。そして目を見開いて、驚愕、といった表情を浮かべていた。
「一年生……。ま、まさか!?」
「新入部員?です……」
正確にはまだ入部してない八雲だったが、仮入部はしているのだから言い方に問題はないだろう。しかし、『新入部員』という単語が出た瞬間、ワイシャツの彼女は流れるような動作で床に膝をついた。
「そ、そうとは知らず、とんだご無礼をおお!」
「うえ!?な、なんでですかちょっとぉ!土下座やめてください!」
意味が全くわからない。八雲には当然、土下座される理由に心あたりがない。
上級生の、それも女子の土下座の前でどう対応してよいのかわからず、意味も無くあたりを見回したりしてみるが、助けになるようなものは見当たらない。
(な、なにがどうなってるんだ……わけわかんないよ助けて……!)
「へへ……、どどどうぞおけけになってく、くだしゃい」
「おけ?……ああ、ど、どうも」
気づくと、ワイシャツの彼女はペコペコと頭を下げながら立ち上がり、パイプ椅子を引き出している。
「おおおお茶、茶淹れまするな」
「あ、えと……は、はい」
内心、かなり動揺しながらも、八雲は『目の前の人間のほうがよほど焦ってる』という状況に活路を見出し、心を落ち着けようと努力した。丁寧なのかふざけているのかわからない口調になってしまっている彼女に、八雲は親近感を持つ。
(丁寧語にしようとして、武士言葉になっちゃうやつ、あるあるだ……!)
失礼のないようにしなければ、という思いとうまくしゃべれない焦燥感がそうさせるのだ。八雲にとっても馴染み深い、“あるある”と言いたくなる状態だ。
彼女は部屋の隅においてあるロッカーから道具を取り出し、カチャカチャカチャ、と危なっかしいながらも湯のみと急須、茶葉を用意している。
「そ、粗茶ですが」
コト、と湯飲みを置く手が震えている。自分の分も用意して、机を挟んだ八雲の向かい側に座った彼女は自らの緊張をごまかすためか、淹れたばかりの熱いお茶を一口すすった。
「ずずっ、ぐっごっゲッホ、ゲホッゲホッゲホ!!ゲッホ!ゲホッゲホッ!!」
「えっちょ、ちょっと、大丈夫ですか!」
気管にダメージを負ったらしい彼女は、ガンッと音を立てて湯飲みを置き、勢いよく頭を振りながら机の向こう側に隠れる。ポニーテールの軌跡が弧を描いた。
「ゲーッホ!ゲホッゲホッ!!」
女性に触る、ということに一瞬だけ躊躇した八雲だったが、なおも咳き込む彼女の背中を申し訳程度に二回叩く。
「これ使ってください!み、水汲んできますね」
ポケットから出したハンカチを渡して、ロッカーの上に出ていた別の湯飲みを持って廊下にでる。
階段そばの水道から水を汲んで戻ってくると、咳の落ち着いたらしい彼女がティッシュで床とテーブルを拭いていた。
●
十分後、どちらも一言も発しないまま、無為に時間が過ぎる。向かい合って座る二人の間には、気まずい沈黙が流れていた。
八雲は必死で場の空気をごまかす方法を探していた。
何を口にしても相手を傷つける気がする。どうしたらこじれることなく他の部員が現れるまでの時間を過ごせるのか?
そんなことを下を向いたまま考え続けていた八雲が、ふと正面に視線を上げると、そこには血の気の引いた無表情があった。
そう、セリフをつけるなら「やっべどうしようやっちゃったよ」みたいな。
視線を受け止めた彼女は、一瞬目をつぶってひるんだが、やがて意を決したように鼻から息を吸った。
スッと立ち上がると、流れるような動作でそのまま長机の隣に膝をつき、床に伏せた。
見事な土下座である。
「ちょっちょちょちょっとなんでまた、土下座!?だめですよ!」
「とんだご迷惑をおおおおおお!」
「いいから顔上げてくださいよぉ!こんなとこ誰かに見られたら……!」
「すんません、すんません辞めんといてくださいぃ!」
ガラッ。
「…………」
「…………」
上級生の女子に土下座されているところを、同級生の女子二人に目撃された。
八雲の心はもう死にそうである。
「えっと……、そういう特殊なプレイ、とか?」
「なにしてたの?ほらやめなくていいからさ、やってあげなよ」
「ちがああああああう!?」
悲壮な叫びが、朝の特別教室棟に響き渡った。




