5月1日、ABA研究会・部室
『5月1日、ABA研究会・部室』
ABAをやろう!と机を叩いて叫んだ女子は、獲物を狙う肉食動物のように眼を輝かせていた。
帰り支度を始めていた生徒達の視線が再び八雲の席にあつまる。
「あっ……えっと、あの……」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってひーちゃんストップ!」
目を輝かせている女子と混乱している八雲、そこにもう一人の女子が友人の暴走を引き止めにやってきた。
ひーちゃん、と呼ばれたこの女子はこれまでにも度々突発的な行動で暴れまわっているため、再び集中した八雲の席への視線は「なんだひーちゃんか」、「いつものことか」、とすぐに離れていった。
そして周囲の注目や友人の引き止めなど意に介さずに、彼女は熱弁をふるう。
「だって見たじゃん?あの素早い反応!風を起こさない滑らかな手の動き!そして獲物を捕らえた掌を容赦なく叩きつける思い切りの良さ!」
先ほどの八雲の動きを褒める。ガンガン褒める。
「絶対殺す!って感じ伝わってきたよ。ビビッときたよ!」
物騒な単語も躊躇無く口にしていく。
「わかったからもう落ち着いて!すごい引いてるじゃんもう……」
後から来た女子が八雲の方に顔を向けて謝った。
「ごめんね、ちょっとこの子頭がおかしくって」
ごめん、と言いつつ連れて帰るつもりはないらしく、彼女は会話をつないだ。
「それで、えっと、何君だっけ?ごめんね、一ヶ月もたつのに名前覚えられなくて」
「甘いなーかおりん。彼の名は斉藤保くんだよ!どうよ?あたりっしょ!」
斉藤保は前の席の生徒だ。突然名前を呼ばれた彼は、いざ帰宅とカバンを担いだところで「え、俺?」とこちらを見ていた。
「ごめんねタモちゃん、間違えた!」
苦笑しながら手を振って、前の席の男子は教室を出て行く。
クラス席表を出してにらめっこを始めた女子に、八雲は初日以来となる自己紹介をした。
「さ、佐藤八雲です……すいません」
「なんでそんな自慢気でしかも間違えてるのよ……。ごめんね佐藤君。私は川野辺香織。こっちは夏野光瑠」
「よろしくねヤクモン!」
「ほんっとにごめんね」
「い、いや大丈夫です、すいません」
「もーなんで君たちは謝ってばっかなのかな?アメリカじゃ生きていけないよそんなんじゃ」
「あんたがなれなれし過ぎるだけだし、ここは日本だよ!」
「かおりんさすが、ナイスツッコミ」
「うるさい!」
頭をひっぱたかれながら夏野光瑠は右手をサムズアップしてグッジョブを送った。
「そうだよ、本題を忘れてたよ」
一拍の間を置いて、光瑠はポケットから紙を出した。畳まれている紙を広げて、八雲に見せる。
「これにサインして欲しいんだけど」
あやしい契約書みたいな紙。それは八雲にも見覚えのある物、四月の初めに配られた入部届と同じものだった。すでに部活動名の欄は埋まっている。
「ABA研究会?」
「そう、知ってるでしょ、ABA」
「ど、動画で見たことはあるよ」
Anti Bags Arts、略してABA。“殺虫体術”の名の通り、直接的な手段で害虫を駆除するために編み出された新しい武術である。最近ではVR技術で再現した虫をターゲットにした競技化もされている。
八雲は『動画で見たことはある』といかにも無関心なふうを装ったが、本当は動画で見た格好いい技を、よく部屋の中で一人真似して動きまわっている。実は、かなり好きということだ。
だが、ABAはその名の通り“体術”。競技者はもちろん、現業で害虫駆除を営んでいる業者にも八雲のようにヒョロヒョロな身体の人は少ない。
(……いや、無理でしょ)
運動をする部活なら、OKとは言えない。八雲は自分の身体能力について相当低い自己評価を下していた。
「どう?」
「で、でも体力には自信ないし……」
断ろう。そう思った八雲は、言葉を選びながら返した。
しかし、光瑠はその言葉を待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。
「だーいじょーぶ!体力には自信がない、そんな君も!」
ビシッと八雲を指差す。
「我が研究会が開発した専用トレーニングマッスィーン“ブンブン一号”を使った特別メニューをこなせば一ヵ月後にはムッキムキだよお!」
「なによそのテレビ通販みたいな売り文句は。頭大丈夫かなこの子」
フンッとボディビルダーのようなポーズを取った光の頭を香織がコンコンとノックする。
漫才のような掛け合いがツボに入り、八雲はぶふぉっと吹き出した。
「あ、笑った」
「笑ったね」
「ご、ごめんなさい」
「あはは、いいんだよ笑わせたんだから!でも笑ったからには部室まで来てもらうよ」
「え?」
笑ったのだからついてこい、とはなんとも暴論である。諌め役のように思えた香織のほうも、八雲を部室に招待することに異論はないらしく、
「ごめんね佐藤君。うちのクラブ放課後に活動してるから、よければ今から見学にきて?」
「ほらほら立った立ったクララが立った!」
「え、え」
椅子に座ったままだった八雲は、素早く後ろに回り込まれて立たされる。
「レッツゴーだ佐藤クララ!」
「や、八雲です!」
両肩を掴まれた八雲はそのまま廊下まで連行されていく。そして呆れ顔の香織がその後に続いていった。
●
渡り廊下を通過した先、特別教室棟、と名の付いた校舎の三階。隅っこのほうに申し訳程度のスペースを確保した部屋があった。
ガラッと音をたてながらスライド式のドアを開き、八雲の腕をガッチリホールドした光瑠が大きな声で中の人物に呼び掛けた。
「ヘイ、ボス!新人連れてきたぜい!」
「おう……ちょっと待て……」
室内にいた人物は、落ち着いた感じの声で返事をした。
「すー……破ぁ!」
ゴーグルのようなものを装着した男子生徒の気合と共に、手を打ち鳴らす音が部屋に響く。
大きな踏み込みと共に拍手をした彼は校章の縁取りの色からして、上級生のようだ。
「あー!クッソ逃がした!」
悔しそうに地団駄を踏む。
室内に入った光はニヤニヤしながら中にいた男子生徒にからかいを投げる。
「苦戦してますなあボスぅ」
「うっせ」
ボスと呼ばれた上級生はごてごてしたゴーグルのような機械を頭から外し、脇に置いた。
「それより見てホラ!」
獲物を自慢するネコのように、八雲を見せる。上級生は落ち着き払って八雲を視界に捉え、自己紹介した。
「ん、新人か。俺はABA研究会の部長、川野辺御凪だ。歓迎するぞ」
(川野辺……?川野辺さんのお兄さん、かな)
「佐藤八雲、です」
思わず自己紹介を返してしまったが、まだ入るとは一言も言っていない。
「あ……あのまだ、僕は……」
御凪と名乗った上級生は八雲の態度を見て成り行きを察したようで、光瑠を叱りつけた。
「光瑠、おまえまた強引に連れてきたな」
「てへぺろ」
あのなあ、と呆れた顔でため息をつき、頭をかく。
「そういう勧誘すると、入るやつも入らなくなるんだぞ。そして万が一苦情が入ったら、生徒会からお叱りを受けるのは俺だ」
「生徒会長、美人だからいいじゃん」
光瑠は説教に対しても開き直り、ボスはドMだからいいじゃん、とさらに続けた。
「会長が直々に叱ってくださったら気持ちい……じゃない彼女が直々に来るほどの問題になったらウチは即刻お取り潰しだ」
「それはやだなあ」
「まあ、そんなわけで……うちのお馬鹿がすまなかったな。どうする?見学だけでもするかね?」
「は、はあ」
(このまま退室するのも失礼、かな。それよりあれ、なんなんだろう)
八雲の視線の先には先ほどまで御凪が頭に装着していたゴーグルのような機械がある。
「あの、それは?」
「これか」
御凪は脇に置いてあった機械を手に取った。
それは目と耳をすっぽりと覆うような形になっていて、ところどころにマスキングテープや瞬間接着剤を使った白い跡が残っている。どうやら手作りのようだ。
使ってみたほうが早い、と勧められて、八雲はそれを頭にはめた。
「これは周囲の空間をスキャンして、視覚と聴覚にバーチャルな虫を投影するARゴーグルだ」
解説しながら、床においてあるノートPCを操作する御凪。
「すごい……うわっ」
プゥゥーンと、すぐ耳元に蚊が飛んだような音が聞こえて、八雲は思わず手で振り払った。
「はっはっは、うっとおしいだろう」
振り払ったほうを八雲が見ると、女子二人が立っている脇を小さな虫がゆらゆらと飛んでいる。
「試しに倒してごらん。自分や周囲の人間の発する体温と炭酸ガス程度なら、バーチャル蚊の動きに反映してあるから、かなりの再現度だぞ」
八雲が立っているのは部室の中央辺り。2メートルほど前方で不規則に飛んでいる蚊。
素早く動いた八雲は右手を大振りにして、フラフラと飛ぶ蚊をはたき落とす。そして即座に床付近を這うように飛んでいるターゲットを踏み潰した。
ピーという音と共にゴーグルの視界が緑に照らされる。
「や、やりました」
「ほう」
「すごいじゃんやっぱり!」
「驚きましたね」
三人が口々に八雲の手際を褒める。褒められて悪い気はしない。笑顔でゴーグルを外した。
だがしかし、そういえば、というように、先ほど本物の蚊を潰した時のことを思い出した。
上向きかけた気持ちに蓋をするように、八雲が入部を断らなければならない理由を思い出してしまった。
「でも……ごめんなさい、やっぱり研究会には入れません」
きっぱりとした拒絶を告げる。
「ええええ!!!ムグッフガ……」
結構な音量でブーイングを放った光の口を、香織の手がふさいでいる。
「クラスで浮いちゃったから……もう、学校にも……」
来れない、と続けようとして、八雲は自分の声に湿り気があることに気づいた。
恥ずかしくなって俯いた八雲を見て、察しのいい上級生・川野辺御凪はふむ、とつぶやく。
「そうか……よければ、なにがあったか話してみるといい」
君はなぜか他人の気がしないからな、と付け加えた。
●
壁際に畳んで置いてあった長机を部屋の真ん中に置き、四人がパイプ椅子に座って囲む。
ところどころに香織や光瑠の補足を入れながら、八雲たちは事の経緯を御凪に話した。
「そうか……、確かにこの時期では、“蚊を叩いた”と思い至るやつはいないだろうな」
通常、蚊の発生時期は5月の中旬からである。気候の変化や地域によっても前後するが、5月初めにその姿を見るのは相当めずらしい。ましてや、そんなことに詳しくない人達がこの時期に蚊の存在を意識するはずがないのだ。
「私も最初は、何か癇癪を起こした人がいたのかと思ったわ」
「えー、あの見事なキャッチ&バァーンを見逃すなんてウカツでしょかおりん」
「くっ……確かに、あんたが突撃しなかったら蚊を潰したんだって気づけなかったわけだし?迂闊だったのは認めなくもないけど?」
「何プルプルしてんの?」
香織の眉間にキュッと皺がより、間髪入れずに手が上がる。
ウガー、ギャーと女子二人が暴れているのを無視して、御凪は八雲に向き直った。
「経緯は理解した。君が、そうしたことをかなり気にする性分だということもね」
だがこのまま学校からフェードアウトしてしまうのはよろしくない、と続ける。
「一つ、先輩としての経験則から、その問題の解決法を教えよう」
何、簡単なことだと前置きして、
「休み時間に友達と、こういう会話をするんだ」
壁際のホワイトボードにキュッキュッとセリフを書いていく。
『あのバァーンって机叩いたの、結局なんだったの?』『蚊が飛んでたんだよ』
「これだけ」
予想よりあっさりした方法に思わず聞き返す。
「え、それだけですか……?」
「ああ、人の耳というのは存外に性能が良いものだ。GW明けになってもそのことを覚えてるようなやつは、話題が出た時点で間違いなく無意識に耳を傾ける」
逆に言えば気にもしてない連中には聞かせる必要も無いということだな、と続けながら、さらに言葉を書き込んでいく。
「この“気になっているグループ”に『蚊が飛んでいた』という答えを教えてやれば解決。ついでに『ゴウちゃん先生の真顔が怖くて言葉が出なかった』とでも言っておけば完璧だ」
(たしかに、あのいかついヒゲ面にはビビッた)
筋道の通った説明に思わず納得してしまう。だが、この解決法には重大な欠陥がある。それを御凪に伝える八雲の声は暗かった。
「でも……僕、友達が一人もいないんですよね……」
自分の発言にうなだれる八雲。
会話の相手として、友達が必要。八雲の目にはホワイトボードに書かれた“友達”の文字が、禍々しいオーラを纏って見えた。
だがそれに異を唱える声があがった。
「はああああああああ!?」
光瑠である。
「っひぅ……ごめんなさい、ボッチでごめんなさい!」
「そうじゃないよ!」
思わず友達がいない事を謝ってしまう八雲に、リボンの揺れる胸をドンと叩いて高らかに宣言した。
「あたしが、このひーちゃんが、アンタの友達でしょうが!」
へ……?と間抜けな声を出してしまった八雲に、なおも続ける光。
「水臭い、あー水臭い!ほんと」
やれやれといった感じで首を降る。
「あたしとヤクモンの仲じゃないの!ボスが考えたその三文芝居だって付き合ってやるじゃん?」
「あ……ありがと……う」
『友達』、光瑠の口にしたその言葉がゆっくりと八雲の心に沁みていく。
彼女の名前を知ってから一時間程度しか経っていないが、そんなことは最早どうでもいい、とすら感じさせる堂々とした宣言だった。
先ほどとは意味合いの違う涙が八雲の目に浮かぶ。
「……ありがとう」
「へへ……どういたしまして」
笑顔がまぶしくて、泣いているのが恥ずかしくて、八雲ははにかみながら涙をぬぐった。
「ま、そんなわけで」
御凪がキャップをしめたペンを八雲に向けた。
「まだGWが丸ごと残ってるんだ。その期間中、仮入部してここに通うのもいいだろう」
明日から9日間の休日が続く。
「休み明けにこの解決法を光瑠と試して、成功すれば良し。もしダメだったら……」
上級生らしい、頼りになる声で言った。
「またここにくればいい。なに、なんとでもなるさ」
実に数年ぶり、八雲は心が晴れていることを感じた。
「……はい!」




