5月3日、川野辺道場 その2
『5月3日、川野辺道場 その2』
川野辺香織は怒っていた。
八雲は聞いてなかったが、以前“この場所には来ないように”と光瑠に注意したことがあったらしい。
「うちのお父さんは、お兄ちゃんがABAやってるの良く思ってないし、私は手芸部に入ってることになってる」
光瑠にもう一度、その時と同じ言葉を低い声で投げた。光瑠はそれを黙ったままで聞いている。
「だから、来るなって言ったよね?」
「……………………」
「……なんか言いなさいよ!」
ビリビリと振動が伝わってくるような迫力で声を荒げた香織の顔を見ることができず、八雲はテーブルのガラスに目を落とした。正直に言って、ここまで香織が激怒するとは思わなかった。今、怒りの矛先は光瑠に向けられているが、それが自分に向いたらと考えると身が縮んでしまう。
八雲が情けなくも首をすくめてビビっている一方で、正面からその声を向けられた光瑠はというと、
「ごめんなさい!」
両手を顔の前でパンッと合わせて謝った。この人のメンタルは鋼でできているのだろうか、八雲は現実逃避ぎみにそんなことを思う。
「だめって言われたのは覚えてたんだけどさ、かおりんが心配で」
「…………もういいから、帰って」
あっさりした謝罪に一瞬だけあっけにとられた香織は、勢いをそがれたように目を伏せた。しかし、帰れという言葉に対して光瑠は間髪を入れない。
「それは断る」
「いや帰れよ!」
「かおりんが一緒なら、いいよ」
激怒している相手にもにこやかな顔を崩さずに要求を突き付ける。ふざけているようで譲らないその言葉には、ある種の凄みが感じられた。
“一緒に”という言葉で途端に歯切れが悪くなった香織は、視線を少し泳がせる。
「……っそれは、その、私は……空手の練習、しなくちゃいけないし」
「かおりんはほんと嘘下手だよねえ」
「う、嘘じゃ……あー、帰れってもう!」
「重ねて断る!」
おちょくるように手のひらを見せて断りを入れる光瑠にイライラがピークに達したのか、香織は再び声を荒げた。
「なんであんたはこういうときもちょっとふざけるのよ!真面目にやりなさいよ!」
勢いを盛り返した香織に目を細めて、
「じゃあマジメに話するけどさ」
光瑠は少しトーンを落として切り出した。
場の空気がシリアスに振れて、光瑠の発言がやけに際立って聞こえてくる。
「部室でさ、みんながかおりんを引き留められなかったのは、なんで急に出て行ったのかわかんなかったから」
発言の意図がすぐには理解できず、香織は怪訝な顔になる。
「あたしに気づかれないタイミングで出て行ったのは、あたしには“その理由”がわかっちゃうかもしれないと思ったから」
目が震え、表情が変わって、その頬がジワリと赤くなっていく。
「道場に逃げたのは、『ここならさすがに追ってこないだろう』と考えたから」
理由を隠したかったんだよね、と続ける光瑠の言葉を受けて、香織はうつむいてしまった。
「あたしはかおりんのことなら何でもわかるよ。なんでかおりんが出て行ったのか、わかる」
表情を隠す香織に向かって、それでも光瑠は話を止めない。
「うちの部さ、みんなすごいんだよね。御凪にーちゃんはABAのことすっごい詳しいし、まなちゃんはなんかすごい道具作ってるし、ヤクモンは最初っからバシバシ蚊をぶっ殺してるし。ちょっと前まで頭数そろえるのに必死だったのに、ね」
「やめて…………」
「だからさ、あたしも頑張らなきゃって思ってたくさん練習してるんだ。家に帰ってから練習して、部室に来てからも練習して、へとへとになったけど充実感があって、みんな(・・・)でがんばってるのが楽しかった」
光瑠が言った“みんな”の中には、香織の名前がない。つまり、
「それでさ、かおりんは、何を――――」
「やめてよ!!」
悲鳴のような大きな声で、香織は続きの言葉を拒絶する。
「……えっ?ちょ、かおりん?」
泣きそうな顔になった香織を見て、光瑠は驚いたような表情を浮かべていた。ここまでの激しい反応は予想外だったということだろうか。
「ほっといてよ…………」
絞り出すような香織の言葉を最後に、室内には沈黙が訪れた。
コンコン、とノックの音が響く。事務所の扉が開いて、道場の主である香織の父親が顔をのぞかせた。
「あー、ちょっとごめんねー……事務所でやらなくちゃいけないことがあるんだけども、いいかな?」
この人には自分たちがABA研究会の部員だということは言えない。香織は“手芸部の仲間”と説明しているはずなので、今は手芸部員で通さなければならない。つまり、これ以上ABAの話をここですることはできない。香織がこの調子では部室に連れ帰ることも無理だろう。もう手づまりだった。
「もう、今日は帰って。………………話したくないよ」
「かおりん!」
「な、夏野さん」
八雲が光瑠を止める。
「気持ちはわかるけど、押し問答してもしょうがないよ……。道場にご迷惑だし、おいとましよう?」
「う…………わかったよ。でも、明日は」
「それは、川野辺さんが自分で決めることだから、ね?」
八雲は顔を覗き込むようにして光瑠を止める。釈然としない顔で、それでも八雲のいうことに従った光瑠は、小さな声で「うん」と言った。
いつもお世話になっております。裸地栄太です。
今期のアニメでは「大家さんは思春期」が一押しです。かわいいああああ。
それはさておき、年変わってからこれでようやく三回目です。この更新頻度ダダ下がり問題を解決するため、次回より期限を切ることにしました。
次回は27日の水曜日23:59迄の更新です。
それでは。次回もまたお越しくださいませー。




