5月3日、川野辺道場 その1
『5月3日、川野辺道場 その1』
「お前、奥手のやつだと思っとったが結構大胆じゃのー」
前を歩く猫、どんが顔を八雲に向けながら面白そうに口を開いた。大胆、というのは彼が握っている光瑠の腕のことだろう。まさか「どんの言葉がわかるんです」とは言えない八雲は、先導してくれるどんを見失わないため、言い訳もそこそこに光瑠の腕を取って歩き出したのだ。
光瑠に腕を掴まれたことなら何度もあるのだからこちらから掴んだっていいはずだ、などと心中に言い訳を繰り返しながら、思っていたより細いその腕を引いている。
「ち、違っ!」
どんの冷やかしについ言い返しそうになってしまうが、ここで会話するわけにはいかない。口をついて出た”違う”という言葉をごまかそうと光瑠の顔を見ると、その目は珍しい生き物を見るように見開かれている。ここで八雲は握っていた手を思わず離してしまった。
「ご、ごめん…………」
「いいよ、なんか新鮮だよね!ヤクモンに引っ張られてるとさ!」
少しは動揺しているかと思っていたが、光瑠はいつもと同じように「にひひ」と笑っていた。
「ここじゃー」
「ここが…………」
しばらく、というほど長くは歩かずに、どんはとある建物の前で座った。ブロック塀に囲まれて、広めの敷地に建てられた古めかしい平屋。どうやらここに川野辺香織はいるらしい。引き戸の横には『空手道真岩流 川野辺道場』と看板がかかっていた。
以前に訪れたことがあるらしい光瑠は喜びの声と共に門の前へ駆け寄る。
「あ、ここだよ!すごいじゃん!ほんとに道案内ネコだよ!」
「フニ゛ャッ!?ナ゛ア゛ア゛ア」
どさくさに紛れて背後からどんをすくい上げた光瑠は素早く両前足をホールドすると、吊り下げたどんの背中に顔を押し付けている。
「あっはははは油断したなどーん!ふもふもふも」
「やっ、やめっ、やめんかっ……!ふにゃんっ!?ぬおおおお!ふにゃんっ!?」
後ろ足で必死の抵抗をしているが、さすがに爪はたてられないのか脱出に至らない。なるほど、ここまで強引ならどんが苦手とするのもうなずける。
しかし、ふもふも言いながら顔をこすりつけている光瑠の横顔にはなんとも言えない魅力がある。どんにとっては災難かもしれないが、傍らの八雲はそれに見とれてしまった。
「ぼーっと見とるでないわ!止めさせフニャっ!八雲ぉぉ!」
どんに師事している身としては機嫌を損ねられても困るので、八雲は止めざるを得ない。光瑠の肩に手をかけて止めるよう諭す。
「夏野さん、その辺で、めっちゃ抵抗してるし、やめよう?ほら」
「ジャマするなヤクモン!」
「嫌がってるから、やめたげよう?ね!」
「ふもふもふもふもふも!」
「ふにゃんっ!?あ゛あ゛ーあああー!」
ガラッ――――――。
門前で騒いでいたのが中にも聞こえていたのか、突然道場の扉が開く。
「うちに、何か御用かな?」
ガラリと開いた引き戸をの向こうには、いかつい顔に鋭い眼光を宿した壮年の男性が立っていた。
●
「はっはっは!いやーごめんね。香織のお友達だとは思わずについにらみをきかせちゃって」
「い、いえ…………」
事務所と思しき小さな部屋に通されて、八雲と光瑠は来客用のソファーに並んで座っている。豪快に笑っているのは、先ほど玄関先で引き戸を開けた男性である。迫力のある登場にすっかりビビッた八雲は返事の声が震えてしまっている。
「おじさーん、あたしは初対面じゃないじゃん!」
「光瑠ちゃんの顔はどんに隠れて見えなかったからね」
「あれ、そうだったー?あはは」
川野辺嵐、それがこの男性の名前だ。
御凪と香織の父親であり、真岩流現当主でもある。名うての空手家らしくその肉体は筋骨隆々。笑顔を浮かべてなお威圧感を放っているその相貌には、なんとなく御凪、香織との類似が見られた。
光瑠はなんの物怖じもせず普通に会話している。しかし同級生の、それも女子の父親と顔を合わせるというのは八雲にはいささかハードルが高すぎた。先ほどからろくに会話ができていない。
「…………………………」
一方で八雲の他にもう一人、この場で会話に入れていない人物がいる。
「意味わかんないんだけど…………」
小声でぼそりとつぶやいたのは、空手の道着を身に着けた香織だった。
和やかに笑いながら話している二人と対照的に、どんよりといたたまれない雰囲気をかもしだしている。眉間にしわを寄せて目を閉じているその心中を代弁するなら、『今すぐ消えてなくなりたい』だろう。
「どうした、香織?どんみたいな顔して……あっもしかして喧嘩?喧嘩はだめだぞー、ちゃんと話し合って仲直りしないと」
「……うるさいな、今考え事してるから黙っててよ」
自分の父親がする発言が癇に障ったのか、香織は薄く目を開いてトゲのある言葉を吐き出した。
「…………ごめん」
そしてしょんぼりとしている父親へ、追い打ちをかけるように続ける。
「お父さん席外してくれる?邪魔だから」
「はい…………」
熊のような巨体ががっくりと肩を落して立ち上がり、「ゆっくりしていってね」と八雲たちに力ない一言を残して部屋を出ていった。
「…………………………」
「…………………………」
「…………それで?なんでここまで来ちゃうわけよ……」
ギロリ、という表現がしっくりくるほどの険しい目つきが八雲と光瑠に向けられる。その目は八雲が予想していたよりも数段険しく、憎悪すらこもっているように感じられた。
どうも、大幅に遅れてますすいません。
お話が難しい場面に入ってうんうん唸ってたらいつの間にか、ですね……。
人間関係(架空)は難しい。
なるべくいそぎますんで。これほんと。次回もまたお越しくださいませー。




