5月2日、さくら公園・すべり台前 その2
『5月2日、さくら公園・すべり台前 その2』
「ぶっはははははは!なんじゃ八雲、お前今めっちゃ気持ち悪い顔しとるぞい!」
青白く外灯に照らされた公園の隅、転げまわって爆笑する猫と前髪を払う人間の姿があった。どんと八雲である。
どんが前足で仕留めた蚊の死骸を、落ち込んでいる八雲の前髪で拭きながら「素人にしては見どころがある」と尊大に言い放った直後なのだが――
「いえ……そ、そんな……こと、言われましても……?」
どんが指摘する通り、八雲の顔はめちゃくちゃなことになっていた。
もっと高い評価がほしい、これを素直に喜んでいいのか、ふがいない自分はもっと反省すべきだ。過剰とも言える自戒と、それに準じた表情を浮かべようとする意思。しかし、八雲が真剣な表情になろうとすればするほどに、嬉しさと喜びの感情は表情筋を刺激した。
理性と衝動の間で板挟みになった顔中の筋肉は、統制を失って乱れに乱れている。
「ひひひひ……ちょ、こっち向くでないわ……ぶっほぉ!」
「い、いくら何でも……失礼じゃないですか……?」
「変顔で、ふひっ戯言ぬかすでないわ、ふっひひひ」
今や真っ赤になっている弟子の顔を、数秒ごとにチラッと見ては痙攣しながら地面をバシバシ叩いているどん。鏡がないので八雲は自分の顔を見ることができないが、顔のほてりだけは自覚できた。
数分後、一通り笑ってから気を取り直したどんは、もったいつけた咳ばらいをした。
「ごほん、あ~なんじゃ、あれじゃな」
「はい」
「現時点での評価は、さっき言ったやつじゃ。“蚊という虫をよく知っている”、というのが今んとこ唯一の取り柄じゃな」
「あ、ありがとうございます」
ABAにおいて“知識”は、大きな武器となる。
例えば速度。
蚊の飛翔速度は時速一.五~二.五キロメートル。秒速に直して、およそ五〇センチメートル。実はそれほど速いというわけではない。したがって、対象のスピードを上回るために必死になって手を振り回す必要は、ない。そのことを知らない者は素早く動こうとするあまり、必要以上の動きをしてしまう。
そうして乱れた動きが隙を生じ、誤差を生ずる。不規則に動く蚊をとらえるには、その“誤差”が大きすぎるのだ。それは攻撃にすらなっていない、ただの拍手と言っていい。
むしろ蝿、蚊など双翅目昆虫の飛行能力で特筆すべき点は、その圧倒的な羽ばたき回数で実現される『運動性』だ。上昇、下降、停滞、加速、方向転換、そして乱れた制御を取り戻す復元。ありとあらゆるタイミングで変化可能な挙動そのものが、彼らの最大の武器なのだ。ならばその土俵で戦うべきではない。
よいか、と近くにあったベンチの上でどんは続ける。
「人間が、あの害虫クソ野郎どもに勝っている点は大きく分けて二つ、『知能』と『体躯』じゃ。お前に足りてないのは後者、その圧倒的に勝っているはずの膂力と巨体が全く生かされておらん」
「はい」
「ハイじゃないわボケ!へっぴり腰でフラフラしおって!そのくせ構えは一丁前にワシの真似か孫の教えか、真岩流っぽくなっとるからちょっと腹立つわい!」
「すいません!」
「大体お前、真似すりゃいいってもんでは……あーもう、いいわい。試しにちょっと構えてみい」
中身老人のどんは、自分がついお説教モードになってしまっていることに気づいた。習うより慣れろが信条の格闘家時代を思い出して、目の前の弟子に構えを命じる。言われるまま、八雲は先ほどと同じように低く構えた。
八雲のこの構えは、どんが人間であったころに投稿した動画――例の、ABAの発端となった動画を見て研究したものだ。格闘技など習ったこともない八雲だったが、足の位置、腰の位置、腕の位置などは動画に映っていた先人の通りである。
しかし、それを見るどんはなにやら不満げだ。
「うぬぬ……、なんかこう、違うっていうか、なんじゃろうなー」
ベンチから降りたどんは八雲の左足に近づき、ぺしぺしと膝を叩く。
「なんつーか、重心が偏っとるし半身が中途半端じゃよなー。あと背中が微妙にまるまってるのめっちゃ気になる。まあワシは今ネコじゃから、こっちの体が小さすぎて構えの矯正とかできんけど」
次々と出てくるダメ出しに、八雲はだんだん不安になってきた。完璧だとは思っていなかったが、それなりにちゃんとした構えのつもりだったからだ。
「あ、あの……どうしたらいいでしょうか?ずっとこれでやってきたので、癖みたいになってると……」
「そんな気にするでないわ」
「え?」
体捌きが悪いから構えを見られているのではなかったか。気にするなとは、どういうことなのか。
「根本的に勘違いしとるんじゃ。お前の戦う相手は、人間か?」
「いや、虫ですけど……あっ」
「つまりはそういうことじゃ。対人格闘に必要な要素と殺虫体術に必要な要素は、違う」
八雲の脇に座りなおして、その顔を見上げる。
「今回お前が相手をするのは『蚊』。蚊が殴ってくるかの?蚊が蹴ってくるかの?否、じゃ。つまり、打撃をいなしたり、防御したりするための要素は排除していい」
まあワシみたいにそもそも格闘家だったやつは元々の構えが一番やりやすいんじゃがな、と付け加えた。
「お前の構えには無駄が多すぎる。決まった型を真似しようとするのではなく、まず自由に、確実に動くことを心がけんさい。そのうえで、動きの改善点をワシが見つけていく感じで行こう」
それがいい、と指導方針を打ち出した師匠猫は、ウムと鷹揚に頷いた。
どうも、裸地栄太です。
フゥーハハハハハハ!シュタゲ終わりました!すごく楽しめました。まあそのせいで遅れちゃったので反省ですね……。
前話タイトルに「その1」つけてなかったのに気付いたのでいじっときました。場所移ってません。一話の中で場所変わったりもするのでその辺ガバガバですけど……。
お話はだんだん格闘技モノっぽくなってきたので書いてる方はワクワクです。修行回ですよ修行回。
なお裸地は蛍光灯ヒモ空手初段です。六畳間ボクシングも少々。
本文短い代わりにあとがきちょっと長くしときました!これに懲りずにまたお越しください。次回もおねがいします!




