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5月2日、川野辺家 その4



『5月2日、川野辺家 その4』



 殺意を発する相手と、果たして友達になれるものだろうか。


 八雲は自問する。

 そもそも友達とはなんなのか、八雲にはわからない。少なくとも昨日までは一人もいなかったはずだけど、と心の奥深くに余計な言葉が走る。

 なにはともあれ、香織からの要求は、「どんと友達になってほしい」であった。そして、香織はそんな要求を出した理由を述べる。

「話が通じるせいで、私とだけ仲良くなっちゃって……他に友達がいないんだよね、どん」

 自分しか話ができないから、どんには他に友達がいない。どのような要求であってもYesと答える覚悟を決めて、勢いで「はい」と答えてしまった八雲は、神妙な面持ちでそれを聞く。

 しかし、悪いがそういう問題ではないのではないか、と勝手な反論が頭から離れない。言葉が通じなくても、これほど敵意をむき出しにすれば大体わかるものだろう。この猫には、最初から香織以外と仲良くなる気がないのだ。

 どう考えても無理難題。こんな難物をどうにかするほどのコミュニケーション能力があれば、八雲はそもそも孤立した人生を歩んでいない。ABA研究会は香織と光瑠の二人につけてもらった道筋で、やさしい道で、困難を乗り越えてまで友情をはぐくんだ相手など、八雲の人生においていまだかつて存在しないのだから。

「というわけで、今からお話タイムー」

 八雲の見積もりなど聞く必要がないとばかりに、パチパチと手を叩いて香織が宣言した。

 お話。八雲がこの世で最も苦手とする行為の一つである。ましてや、この気難しい猫と何を話せばいいのか、八雲にはわからない。

(ま、まあ川野辺さんが間に入ってくれるなら、一応……)

「さてとー、私はちょっと飲み物をとってくるから、戻ってくるまでに仲良くなっていること。いいね?」

(だめだこれ)


          ●


「あああああ!なぜ!なにゆえ!?どーしてお前さんなんかと言葉が通じるかなああああああ!!」

 扉が閉まって数秒後、沈黙を破っていきなり喚き始めたどんが四本の足をバタバタさせる。床にひっくり返ってままならぬ思いを全身で表現する猫を眺めながら、八雲は必死に思考を巡らせた。

(ど、どうしよう……仲良くならなきゃ。まず、なんて呼んだらいいの?どん?どんちゃん?いや……)

「ど、どん……さん?」

「ええい、うっとおしいわい、話しかけるな小僧!」

「ご、ごめんなさい」

 香織の姿が見えなくなった途端、声色にふさわしい口調になってしまった川野辺家の飼い猫は、なんともダンディな声で八雲をなじる。

 さん付けでこの反応なら呼び捨てやちゃん付けは論外だろう、と考えた八雲はとりあえずさん付けで行くことに決めた。「うっとおしい」と言われて思わず謝ってしまったが、それでも何とかして仲良くならなければならない。


(話題……き、共通の話題……!そうだ、川野辺さん!)

 緊張に上ずる声で、懸命に会話を切り出す。

「ど、どんさん!か、香織さんとは……な、仲良くお付き合いさせていただいてまして……」

 昨日から、という情報は伏せて、さしあたっての共通項である『香織』をキーワードに挙げてみた。

 八雲としては、以前読んだ自己啓発本にあったコミュニケーションの基本を実践しようとしただけなのだが、結果的に、彼女の親に挨拶しにきた彼氏みたいな物言いになっている。

 “お付き合い”、このワードがいけなかった。

「はああああああ!?喧嘩売ってんのかこのガキャアア!!うちの孫に色目使ったらタマ刈り取るぞゴルァ!!」

 殺意満載の怒声に八雲は涙目で縮み上がる。声の主である茶色いトラ猫が牙を剥いて怒り狂っている。どうやら、触れてはいけない逆鱗に触れてしまったようだ。

 気圧される八雲だったが、

「え、え?……孫?」

「………………あっいや、なんでもない、ぞ……にゃ?」


 『孫』、どんは確かにそう言った。激昂して口を滑らしたように見える。

 気まずい沈黙が、一人と一匹の間に流れた。どんは体を捻って目をそらし、ごまかすように体毛を舐めている。

(ま、孫って……、でも他に使い道のある言葉じゃないし……。おじいさん?おばあさん?いや、声音は完全に男だけど……)

 八雲は自身の言葉を疑いながら、それでも聞かずにはいられない。

「どんさんは……そ、その、川野辺さんの……おじいさん、なんですか?」

「は、はあ?そんにゃわけにゃいしぃ?わし、うみゃれた時から猫にゃしぃ?」

 取り繕うために『にゃ』が過剰になっている。そして一人称が『わし』になっている。

(ビンゴだ。どう見ても図星だ……!)

 どうして、どうやって、と疑問は尽きないが、とにかくこの猫は川野辺兄妹の祖父で、それを隠して生きている。八雲はそう確信した。

 先ほどまでの香織とどんのじゃれあいを思い出す。つまり、どんは祖父である正体を隠したまま、にゃんにゃん言葉で孫娘にじゃれついていたということで、八雲にそれを暴露されては困る、というわけだ。

 目的はこの猫と仲良くなること。となれば、これを利用しない手はない。

「安心してください。絶対言いませんから」

「ぬ……、本当じゃな?言うなよ!?絶対じゃぞ!」

「言いません」

「本当の本当じゃな?」

「本当の本当です」

「本当の本当の本当じゃな?」

 子供のような念押しから、動揺と必死さが伝わってくる。

「ほんとのほんとのほん――」

 その言葉を遮るように、ガチャっと扉が開いて香織が戻ってきた。


「おまたせー、と……おお、なんかもう仲良くなってる?」

 手にお盆を持った香織は部屋のドアを閉めながらそう言った。向かい合って会話をしていた両者の様子が、仲が良いように見えたらしい。

「にゃ、にゃーん。おかえりにゃん、かおりちゃん!」

 どんは変わり身の早い猫らしく一瞬で、文字通り猫をかぶる。八雲はそんなどんを横目に、申し訳ないなと思いながらも、直感的に思い至った搦(から)め手を仕掛けた。

「……け、結構“仲良く”、なりましたよ」

「はにゃあ!?」

 一方的な宣言に驚いた声を上げるどん。それはそうだろう、先ほどの会話に“仲良く”などという要素は欠片もなかったのだから。

 しかし、ぎこちない表情で猫へと顔を近づけて、八雲は畳みかける。

「ね?そう、ですよね……?」

 どんが否定できるわけはない。決定的な弱みを握られてしまっているのだから。

「仲、良いですよね……?僕たち」

「ぐ、にゃ…………仲良い、にゃん?」

 ピクピクと顔の筋肉が痙攣しているのがわかるが、とりあえずの言質はとれた。香織もいぶかしむ様子はない。八雲の目的は達成である。

「やっぱり、言葉が通じれば仲良くなれるんだ。良かったねー、どん?」

「ぅぅ、にゃあ……」

 ふむ、と香織は持ってきたお盆をテーブルに置く。

「でも、やっぱりちょっとぎこちないかな……。ね、佐藤君、手出して?」

 差し出された八雲の手のひらに、香織は小さなクッキーを渡した。

「新しく買っておいたどんのおやつ、佐藤君から食べさせてもらいましょー。これでますます仲良しになれるね」

 眉間にしわを寄せながらも、秘密を握られてはしょうがないと観念したのか、どんは八雲の手からクッキーを口にした。


 十数秒後――。

「に゛ゃあ゛ああん、に゛ゃああ、ぐるぉに゛ゃあ゛あ゛あ゛あん」

 べろべろべろと、どんは八雲の手に次々と乗せられるクッキーを平らげて、徐々に人語を失っていった。どうやらマタタビがはいっていたらしい。

「あはははっ!マタタビあげるの初めてだけど、どんもやっぱりこうなるんだ?あっはははは!」

 そら恐ろしい。香織は腹を抱えて笑い転げている。どんは完全に酩酊状態で言葉もなにもわからなくなっているようだ。八雲の手にどんがしがみつくので小さなひっかき傷がついていく。

 どんに同情しながらも、彼が前後不覚になっている間に、八雲は気になっていたことを香織に尋ねた。

「あ、あの……つかぬことをお聞きしますけど……、川野辺さんのおじいさんって……?」

「ん?おじいちゃん……?あ!もしかして佐藤君、おじいちゃんのこと知ってた!?」

「え、えーと……知っていたというか、お会いしたことが、あるというか……」

 チラッと床の猫を見る。うねうねと体をうねらせながら、八雲の手のひらにしがみついて舐め回している。

「ふふん、佐藤君が想像している通りだよ」

「ええ!?ほんとに!?」

 先ほどまでの、どんに対する香織の甘やかし具合を思い出す。

(ま、まさか……祖父と知りつつあの態度?いやいやそんなはずは……)

 八雲の驚愕に満足しながら、香織はふっふっふと不敵に笑う。

「何を隠そう、私たち兄妹の祖父は……空手道・真岩(しんがん)流の前当主にして、かつてその技を殺虫に昇華した張本人。川野辺(かわのべ)旋風(つむじ)、その人だよ」

 八雲の想像からは、だいぶ離れていた。


          ●


 川野辺(かわのべ)旋風(つむじ)。今となっては伝説となっているその名前を、八雲が知らないはずはなかった。

 蚊に殺虫剤が効かなくなってから数年後の、ある年。空手の道着をまとい、高速の徒手空拳によって室内の蚊を一瞬で潰す映像を動画サイトに投稿した、最初の人物が彼である。以来、世の武道家たちは火が付いたように自身の技を殺虫に応用しはじめ、それらを総括するAnti Bags Artsの名は広まっていった。

 八雲もかつて一人のファンとして彼の動画を繰り返し視聴し、その技をまねようとした。その雄姿を鮮明に思い出すことができるのだ。

 シワの刻まれた顔に鋭い眼光、流れるように害虫を駆逐する神業、最後は必ずカメラに獲物を見せてドヤ顔。そのどれをとっても、狭い部屋に閉じこもった八雲の心を支える、ヒーローの姿だった。

 それが――、

「う゛に゛ゃあ゛あ゛あああん、にゃあ゛あ゛に゛ゃあ゛あ゛ん」

(このうにゃうにゃ言ってるのが……あの伝説の、“人間殺虫剤”川野辺(かわのべ)旋風(つむじ)……!?)

 心の中でガラガラと何かが崩れるような、そんな感覚に襲われて、八雲は沈黙してしまった。


毎度どうもです。ここ数日で急に寒くなってきましたね。

外に出るのがおっくうで、部屋に引きこもっての作業が捗ります。

前に4日程度のスパンがどうのと書いたんですけど……。早めに書けたら早めに投稿しますよ、そりゃね。(ドヤ

ソシャゲのイベントが楽しくなってきたのですが、遅れがでないようがんばります。多分。

ではまた、次回もお願いします。

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