七日目・「いたい」
木の陰に隠れて僕らは乱れた息を整えていた。
「前原さん…」
やっぱり、というべきか。
いつまでたっても前原さんは来ない。気配すらない。
特に打ち合わせはしていないけどまっすぐには来ているから合流できないことはない、と思われる。
よく考えたらこんな地図もない島で「あとから追いつく」だなんて、無茶 なことではないだろうか。
――ハナから合流する気なんてなかったのかも。
唇を噛む。
こんなんだったら最初からあそこに残っていればよかった。
僕は確かに弱い存在だろうけど、猟銃がある。ある程度は加勢できたはずだ。
怒鳴られても殴られても無理やりに残っていれば。
でも明日香ちゃんを託された以上あの場を引き下がるほかなかったのも確かだ。
ぎゅ、と腕に指が食い込んで思わず声をあげそうになる。
先ほどから明日香ちゃんは僕にぴったりとくっついて片腕にしがみついていた。鬱血しそう。どうやって前原さんは引きはがせたのだろう。
「…寒い?」
腕を通して感じる震えはさっきからやまない。
一応聞いては見たけど、まるで反応がない。ブルータスが鼻の頭で明日香ちゃんをつついているけれどそれも何かしらの動作をさせることには繋がらない。
これでも心理を専攻していた人間だ。こんなの寒さによる震えじゃないぐらい分かってはいたがそれしか彼女に話しかけることができない。
そっと手に触れてみる。手のひらはそれなりに暖かいのに指先だけが異様に冷たい。強い緊張の身体的表れだ。
緊張している相手と言えば、この場合明日香ちゃんに声をかけた男しか考え付かない。
自らを「お父さん」と言っていた彼がこの子に何をしたのかは今のところ不明ではあるが、虐待のひとつやふたつぐらいはしていただろう。
あの場へ戻りたい気持ちはやまやまだが、明日香ちゃんにこれ以上ショックを与えるわけにもいかない。
「かといって、明日香ちゃんを置いていくとか外道だし…ねぇ」
どうするべきか悩んでいると、ぐるんと明日香ちゃんの顔がこちらへ向いた。
僕も思わず見返す。
真っ青に血色を失った顔色。唇も紫に近い色になっていた。
「明日香ちゃん…?」
「きょうか、オトウサンがね、いたいことする」
唇がそう紡いだ瞬間、彼女の瞳からどっと涙が零れ落ちた。
「明日香ちゃん!?」
「いたい。いたい。いたい。いたい。いたい」
僕の腕からまるで機械のようにガチゴチと手を離した後に自分の顔へ持ち上げた。
そして。
「うわあああぁあああぁあああああ!!」
泣き叫び、爪を突き立てるようにして激しくかきむしる。
突然のことに声も出せないまま僕は制止するために彼女の手を掴んだ。
彼女の爪が深爪というほどに短かったからよかったものの、もしもう少し長かったら皮膚を肉ごと抉っていた。
短いとはいえども爪は爪、赤い線が頬から顎にかけてうっすらと残っている。
「バカ、顔がぐちゃぐちゃになるじゃないか!」
「たすけてよぉ、きょうか! きょうかぁ!」
僕の声が聞こえないのか首を振り回して妹さんの名前を呼ぶ。
とっさの対応ができない自分が恨めしい。
「明日香ちゃん、僕のこと分かる!? ブルータスは!」
「いやぁ!」
とんでもない力で僕を突き飛ばすと、明日香ちゃんは今まで見せたこともない眼でにらんできた。
怒りや憎しみで固められたまなざしだ。鬼のようにも見えた。
いったい僕を誰と勘違いしているのだろうと、妙に冷静に考えていた。
彼女は獣のように僕にとびかかると地面に押し倒し両手の平を首にかける。
親指の根元が僕の気管へアタックしてきた。
あ、うん。これ死ぬな。




