アイラという領
領主執務室に入ると、ゼロはようやく大きなグローブと厚い外套を脱ぎ、結んだ髪をほどいた。
戦杖を脇に立てかけ、大きな荷物をそのまま床に置く。
どう見ても街道歩いてきた装備じゃない。
荷物から転がり落ちた携帯用の天衡計器を拾って机に置いて、僕は呆れて言った。
「また雪原歩いてきたの?」
「計測しておきたい天衡があったんでな」
「域外突っ切って?」
「ついでだ」
外套を壁に掛け終わると、椅子に座って書類のトレーを引き寄せた。
マリーがある程度は処理しているが、それでも残っているものはある。
書類の束を手に取ると、一番上から目を通し始めた。
「新しく増えた住民は順調そうか」
「レミーがフォローしてる。全員隣領のウルズスからの移住だね」
「資材の方は?」
「ヴァルカさんから連絡があって、一部遅れると。遅れても影響のない品で、次の便で届けるって鳥が来てた。倉庫の増築は済んでるので、いつ届いても問題はないよ」
「そうか」
数枚、黙って目を通し、済みの判を押しては処理済みの書類トレーに投げ込んでいく。
「この食堂開設要望は?」
「人手が足りなくて保留になってる。主に調理する人かな。場所は確保できると思う」
「なら食べる場所、受け取る場所だけそこに作って、そこに料理を届けるようにできないか?」
「できると思う。ちょっと詰めてみるよ」
「こっちの狩猟隊増員の要請は」
「それマリーの」
「じゃあ後で直に聞けばいいな」
「それでいいと思う」
束が順調に減っていき、最後に残った一枚にゼロが目を落とした。
マリーがまとめた報告書だ。
とはいえ、実際にはかなりの部分にレミーと自分の手が入っているのだが。
「出先でも報告受けたが、厄介だな」
「アイラ行路の通商が狙われているのは、ほぼ間違いないと思う。でも荷を狙っている感じではなかったんだよ。邪魔をしたいだけというか、困らせることが目的というか?」
「嫌がらせ?」
「僕にはそう見えた。でも、僕が検分しているときに襲撃してきた集団は、ただの無頼者というには統率が取れてたんだ。襲撃後も指示に従って引き上げて、結局一人も捕まえられなかった」
ゼロは報告書から視線を上げ、壁に貼った地図を見た。
襲撃のあった場所と街道の破損場所には先にそれぞれ色の違うピンを立てておいた。
アイラとリンデンを繋ぐ街道の、アイラ寄りに集中している。
「狙われる隊商に偏りは?」
「アイラ行路を使った帰りの隊商のみ。他の行路では被害は出てない。荷の偏りもない」
「アイラ行路を使った隊商の被害の割合は?」
「ほぼ全部」
しばらく地図を眺めていたゼロが、ぴくりと眉を動かし、視線をこちらへ向けた。
「……すごくわかりやすいな」
「わからないのは目的と誰がやっているのか、なんだよね……」
ゼロが再び地図に目をやる。
「……アイラは」
地図を見ながら思い出すように言葉を紡いだ。
「領主の影響力が薄めで、身内意識がかなり強かった。排他的、というか」
「うちの領がアイラ行路を使い始めたのは最近だよね。行路使用に際してのルールは受け取ったし、遵守もされているはず。……アイラから攻撃されていると?」
「可能性は高い。だが、さすがに領主の指示とは考えにくい。ある程度組織的な動きができているとなると、上の方ではあるだろうが」
「じゃあ誰が」
「そこまではわからん、ただ、帰りを襲う辺り、通行料はせしめておきたいという狡っからい魂胆は透けてみえる。もしくは、帰りしか襲えない理由があるか」
ここまで露骨なのに、相手は見えてこない。
ゼロも地図を見ながら黙り込んでいる。
「……確かに通行の交渉時、妙に渋られたんだ。正式な手続きだったはずなんだけど」
「余所者に行路を使われること自体を嫌がる連中はいるかもしれないな」
「そうだね、あの時の対応を思い出すと全く否定できない」
しかし決め手には欠ける。
もう少し情報が欲しいところなんだが。
「そういや、なんか夜中に変なのは来てたよ、逃しちゃったけど」
祝いの料理の切れ端をついでにつまんできたマリーがもぐもぐと口を動かしながら入ってきた。
「変なのってどういうこと?」
「えーとね、夜中に壁際でゴソゴソしてるのがいたからでっかい虫だったらやだなーと思いながら苦無投げたら、『ぐえ』みたいな声出しながらどっか行った。会議の日の翌日くらいだったと思う」
「……書いてないな」
黙って聞いていたゼロが、報告書を見直しながら指摘する。
「人だったんじゃないか、それ」
「今考えるとそうかもなって」
僕の指摘にあっけらかんと答えるマリーに、軽く頭痛を覚える。
「……まあ、怪しいのは報告入れておこうな?」
「気を付ける所存!」
我ながら説教くさいなと思いながら指摘したが、マリーはどこ吹く風である。
しかももぐもぐ継続中だ。
「……やっぱり中の事情がわからない以上、なんとも言えないな」
「街道の巡回は予定通り増やしてる。ただ、それだけだと結局後手なんだよね」
「そうだ。警備をそちらに回してばかりでも負荷が大きいし、結局襲撃は継続する可能性が高い。新しい手を打たれれば対応も難しい」
「アイラの内情を探れる情報源なんてあるの?」
「継続的にはないな。だが……」
ゼロは報告書と地図を交互に見比べ、腕を組んでしばし考えてから口を開いた。
「俺の伝手を使うか。ちょっと準備が大変なんだが」
『準備が大変』の言葉には嫌な予感しかしなかった。




