残業とココアとお説教
やっと一人になり、椅子にもたれかかって深く息を吐く。
領主不在の今、領主代行を任されてるあたいがこの領主執務室で仕事をしている。
だって領主承認とか重要な書類とか全部ここに来るんだもん。
普段使ってる幹部執務室より、ここにあるものは机も椅子もだいぶ立派だ。
本人は要らないって言ったけど、ミズナラが必要だからって準備したやつだ。
窓の外はもうだいぶ暗く、雪の積もった屋根の間から灯りがぽつぽつと見える。
あの後も残務処理だー申請だーちょっとしたトラブルだーと細々とした用事で人が出入りしていて、全く落ち着く暇がなかった。
サラはもう遅いからと先に下がってもらった。
本当に疲れる一日だった。
と、扉がまたトントン、と叩かれる。
一瞬、まだ仕事があるのかと思ったが、その静かな叩き方は予想通りならミズナラだ。
「……どうぞ」
許可を伝えると、やはり入ってきたのは彼だった。
手には湯気の立つカップと、数枚のビスケットを乗せたトレーを持って。
「おつかれ、マリー。あの後も忙しそうだったなと思って」
「ほんとにね、ありがと」
ミズナラは執務机の端にトレーを置き、カップを手渡してくれた。
カップには自分好みのビターなココア、ほんとよくわかってる。
ミズナラとの付き合いはだいぶ長い。
ここ、リンデンに来るよりずっと前からだ。
というか、リンデンに幹部として呼ばれたのはミズナラの方で、あたいは付いてきただけだったんだよね。
なのに、なぜかあたいが幹部長になってた。
今でも書類とか会議の仕事ならミズナラの方がはるかに上手。
ココアを啜りながら書類の残りを眺めていると、書類をすっと取り上げられた。
「今日はもう働きすぎでしょ? やめておきなよ」
書類を取り返そうとすると無理に取り上げようとせず、見やすい方向に戻して渡してくれる。
「もうあとこれ一枚だから。そしたらもう誰が仕事持ってきても休むわ」
「本当に? 働きすぎだよ?」
「うん、ほらもう見終わった」
書類を机に置き、処理済みの判を押して書類トレーに重ねる。
今日の仕事はこれでおしまい! とばかりに机の上の書類や筆記具を全て引き出しにしまい込み、席を立つ。
「じゃあもう自由時間だね?」
「そうね」
……少し、嫌な予感がする。
嫌な予感とはちょっと違うのかもしれないけど、なんというか、ミズナラの優しさなのもわかってはいるのだけれど。
「なんでもっと早く呼んでくれなかったの? レミーに言われて本当に急いで来たんだよ? 自分でもああいうの苦手なのはわかってるくせに」
さっきまでの優しい表情が消えて、ほんの少しだけ眉根に皺が寄っている。
あ、まずい、結構怒ってる。
一歩、下がる。
と、ミズナラも一歩寄る。
知ってる、本当に心配してくれていたのを。
知ってはいるんだけど。
さっき座って伸びをしていた椅子を避けて、もう一歩、下がる。
……詰めて来る。
「いや、でもあたいの仕事だし。大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ。そんなところで無理をするくらいなら呼んでって、前も言ったのに」
背中にひやりとしたものが触れて、半分振り返る。
じわじわと石壁に追い詰められていたことに気づいた。
逃げ場もなく、僅かに顔を逸らして逃げようとする意思を見せるが、顎を優しく掴まれて目を合わせるように向かされる。
この、少しくすんだキレイな水色の目にあたいは前から弱い。
目だけを頑張って逸らそうとしたが逃げられず、諦めて正面から彼を見た。
見るだけで、何を言っても言い訳になりそうなので、何も言えなかったが。
それを理解してか、彼も顎から手を離し、大きなため息をついて正面から抱きしめてきた。
「本当に心配してるんだよ? 前それで抱え込んで、へばって寝込んだの覚えてる? 苦手なところは呼んでって、それでいいって、何度言ったらわかってくれるの」
「あれはリンデン来てすぐだったから……。もうそんなんで倒れるタマじゃないのもわかってるでしょ?」
「わかっていても心配なんだよ。もう、このお転婆お姫様は」
「お姫様なんてガラじゃないよ」
クスクスと笑いながらハグを返すと、ミズナラも諦めたように苦笑した。
「でも心配してくれてありがと。本当にヤバいときは頼る気満々だから。安心して」
「本当に安心していいのかな、それ」
「レミーにもありがとうって言っておいて。助かったのは本当だから。でも頑張りたい気持ちもあるから」
「懲りないお姫様でもあるみたいだな」
軽くあっかんべーを返して体を離すと、自然に彼も離れた。
ミズナラはトレーに飲み終わったカップを戻し、手慣れた手つきで机全体をさっと拭いた。
「では今日は本当におつかれさま。ゆっくり休んでね」
「そうするわ。ありがとう」
扉で大きな音を立てないように気をつけて、トレーを持ったミズナラが出ていくと、再び大きなため息をついた。
「今日は本当に疲れる日だったわね」
独り言を呟いて、自室に戻る準備を始めた。




