第四話 揺れの始まり
それは些細な違和感だった。
本当に些細な。
だから最初、
ミナは気のせいだと思った。
昼休み。
校舎裏。
誰も来ない場所。
ユウは一人で座っていた。
弁当も開かず。
空を見ている。
ただそれだけ。
人間としては珍しくない。
だが。
ミナは立ち止まった。
なぜなら。
その姿を見た瞬間、
観測界の記録が脳裏に浮かんだからだ。
悠真もそうだった。
考える時、
いつも空を見ていた。
何もない場所を見る。
誰もいない場所を見る。
存在しないものを見る。
それが悠真だった。
「偶然よね」
ミナは呟く。
人間界に来て二週間。
性格が似ることはある。
本質が残ることもある。
陸央もそうだった。
理屈っぽい。
慎重。
確認したがる。
それは理解できる。
だが。
ユウは違った。
もっと深い。
何かがおかしい。
その時だった。
「なあ」
突然声がした。
ユウだった。
ミナは驚く。
話しかけられると思っていなかった。
「何?」
ユウは少し考えた。
そして。
奇妙なことを言った。
「会ったことある?」
ミナの心臓が止まりそうになった。
「……何を言ってるの」
「いや」
ユウは困った顔をする。
「変なんだよ」
一拍。
「初めて会った気がしない」
沈黙。
風が吹く。
桜の花びらが舞う。
ミナは何も言えなかった。
ありえない。
忘却は完了している。
記憶は消えている。
そのはず。
そのはずなのに。
「夢かな」
ユウが呟く。
「夢?」
「分からない」
一拍。
「でも」
「青い場所を見た気がする」
世界が止まった。
青い場所。
観測界。
ミナの指先が震える。
ありえない。
絶対にありえない。
忘却の門を通った者は、
観測界を思い出せない。
それが法則。
それが前提。
それなのに。
なぜ。
ユウは覚えているのか。
いや。
覚えてはいない。
思い出せてもいない。
ただ。
残っている。
何かが。
「……どんな場所?」
ミナは聞いてしまった。
本当は聞いてはいけなかった。
案内人は介入してはいけない。
だが聞かずにいられなかった。
ユウは空を見上げた。
「分からない」
「でも」
一拍。
「懐かしかった」
その言葉に、
ミナは言葉を失った。
観測界を。
懐かしいと感じる。
それは記憶ではない。
もっと深いもの。
存在そのものに刻まれた何か。
その夜。
ミナは初めて記録を付けた。
任務記録。
観測界への非公開記録。
『対象Y』
『忘却不完全の兆候あり』
そこまで書いて。
手が止まった。
違う。
忘却不完全ではない。
そんな単純な話ではない。
もっと別の何か。
もっと根本的な何か。
ミナはペンを置いた。
そして新しく書き直す。
『対象Y』
『記憶ではなく、本質が残存している可能性あり』
書き終えた瞬間。
部屋の電気が一瞬だけ明滅した。
ミナは顔を上げる。
窓の外。
夜空。
そこに。
黒い亀裂のようなものが見えた。
ほんの一瞬。
すぐ消える。
だが。
ミナは知っていた。
あれは。
観測界にも存在しない。
管理界にも存在しない。
予定にない現象。
「まさか……」
初めて恐怖を感じた。
この任務は。
観測界が思っているものではない。
陽明ですら。
知らない何かが動いている。
そしてその中心に、
ユウがいる。
そんな予感がした。




