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記憶を失う前の約束 ―すべてを忘れても、私たちは同じ問いに辿り着く―  作者: stracchino


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第十二話 決めない者

雨が降っていた。


静かな雨だった。


世界を薄く曇らせるような。


そんな雨。


ユウは傘を持たずに歩いていた。


なぜだろう。


今日は家に帰りたくなかった。


理由は分からない。


だが。


胸の奥がざわつく。


K。


知らないはずの存在。


なのに。


忘れてはいけない気がする。


その名前すら分からない存在を。


忘れてはいけない。


そう思う。


その時だった。


「また探してるのか」


声。


振り返る。


リクだった。


傘を差している。


相変わらず真面目だ。


ユウは苦笑した。


「何をだよ」


リクは少し考える。


そして。


「分からん」


そう言った。


「でも」


一拍。


「俺も探してる」


雨音だけが聞こえる。


二人はしばらく黙った。


不思議だった。


何を探しているのか分からない。


なのに。


失くしたことだけは分かる。


その時。


世界が揺れた。


一瞬。


本当に一瞬だけ。


雨が止まる。


音が消える。


時間が止まる。


そして。


目の前に誰かが立っていた。


制服姿。


見えない顔。


認識できない輪郭。


だが。


今回は違った。


ほんの少しだけ。


見えた。


笑っていた。


優しく。


寂しそうに。


「……K」


ユウは口にしていた。


初めて。


その名前を。


その瞬間。


人影は驚いたように目を見開く。


そして。


少しだけ嬉しそうに笑った。


『思い出したか』


声が聞こえた。


直接。


頭の中に。


「お前は誰なんだ」


ユウは叫ぶ。


雨も。


世界も。


止まったまま。


『まだ駄目だ』


Kは言う。


『思い出しすぎると終わる』


「何が」


『約束が』


胸が痛む。


苦しい。


悲しい。


なぜだろう。


その言葉を聞いた瞬間、

泣きたくなった。


『だから』


Kが続ける。


『もう少しだけ人間でいてくれ』


その言葉が終わると同時に。


世界が動き出した。


雨。


音。


時間。


すべてが戻る。


Kは消えていた。


何もなかったように。


だが。


ユウの手の中には、

小さな紙切れが残っていた。


濡れていない。


真っ白な紙。


そこには一行だけ書かれている。


『最初に決めなかったのは誰?』




その夜。


ミナとリクも同じ紙を受け取っていた。


誰が渡したのか分からない。


いつ手に入れたのかも分からない。


だが。


同じ文章。


同じ問い。


『最初に決めなかったのは誰?』


ミナはその文章を見つめる。


そして。


初めて一つの仮説に辿り着く。


もし。


Kが消えたのではなく。


もし。


Kが最初に

「選ばない」

を選んだ存在だったとしたら。


観測界が生まれる前。


管理界が生まれる前。


世界がまだ一つだった頃。


Kだけが。


決定を拒否した。


だから。


記録に残らない。


観測できない。


確定できない。


存在になる。


ミナの呼吸が止まる。


それは。


ユウが後に辿り着く答えと同じだった。


『決めない』


その思想は。


ユウが見つけたものではない。


もっと昔から存在していた。


Kから受け継がれたものだった。


そして。


遠く。


観測界の封印庫。


固く閉ざされた扉の向こうで。


誰かが静かに笑った。


『ようやく気づいた』


その声は。


嬉しそうだった。


長い長い時間を待ち続けた者のように。


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