第十話 消された記録
翌日。
ミナは決めていた。
調べる。
観測界の記録を。
本来なら不可能だった。
人間界から観測界へアクセスすることは許されていない。
だが。
ミナには例外権限が与えられている。
記憶保持者。
案内人。
そのための最低限の接続。
放課後。
誰もいない図書室。
一番奥の席。
ミナは目を閉じた。
静かに呼吸する。
意識を沈める。
人間界。
管理界。
さらに上。
観測界。
青い光。
懐かしい静寂。
その瞬間。
接続が開いた。
成功。
久しぶりだった。
ミナは安堵する。
だが。
次の瞬間。
違和感を覚えた。
静かすぎる。
観測界は常に情報が流れている。
無数の世界。
無数の観測。
無数の記録。
なのに。
何も聞こえない。
まるで。
息を潜めているような。
ミナは記録庫へ向かった。
巨大な光の回廊。
無数の記録が並ぶ場所。
ここなら分かる。
ユウ。
いや。
悠真について。
本当のことが。
ミナは検索を開始する。
対象コード。
Y。
検索。
反応。
そして。
結果。
『記録なし』
ミナは固まった。
ありえない。
対象Yは存在する。
降下任務も存在する。
自分が覚えている。
なのに。
記録がない。
削除ではない。
もっと異常。
最初から存在していない。
そんな表示。
「……嘘」
声が漏れる。
再検索。
もう一度。
結果。
同じ。
『記録なし』
その時だった。
背後で誰かが言った。
「見つからないだろう」
ミナは振り返った。
陽明だった。
観測界の長。
だが。
様子がおかしい。
どこか疲れている。
初めて見る表情。
「陽明様」
ミナは立ち上がる。
「どういうことですか」
陽明はしばらく黙っていた。
そして。
ゆっくり言った。
「お前は何を探している」
「対象Yです」
即答だった。
「ユウです」
「悠真です」
一拍。
「私たちと一緒に降下した」
そこまで言って。
言葉が止まった。
陽明の表情が変わった。
悲しそうだった。
とても。
「ミナ」
静かな声。
「本当に三人だったか」
世界が止まった。
その問い。
昨日から続いている。
三人。
四人。
誰か。
忘れられた存在。
「……違うんですか」
陽明は答えない。
代わりに。
記録庫の奥を見た。
そこには。
誰も入れない扉がある。
封印庫。
観測界でも最高機密。
ミナも一度も入ったことがない。
陽明はその扉を見つめた。
そして。
小さく呟いた。
「私は忘れた」
ミナは息を呑む。
陽明が。
忘れた。
そんなことがあるのか。
観測界の長が。
「何を」
聞いてしまう。
陽明は微笑んだ。
寂しそうに。
「それを思い出すために」
一拍。
「お前たちは降りた」
ミナの背筋に冷たいものが走る。
違う。
任務の意味が違う。
世界の異常を調べるためではない。
ユウを調べるためでもない。
もっと前。
もっと根本。
誰かが忘れた。
だから。
三人が降りた。
いや。
四人が。
その瞬間。
封印庫の扉が震えた。
ほんの僅かに。
誰も触れていない。
なのに。
内側から。
コン。
と音がした。
ミナの血の気が引く。
陽明も動かない。
二人とも知っている。
封印庫には誰もいない。
いるはずがない。
なのに。
もう一度。
コン。
音。
そして。
扉の向こうから、
小さな声が聞こえた。
『まだ開けないで』
ミナは凍りついた。
その声を知っている。
どこで聞いたのか分からない。
だが。
知っている。
懐かしい。
涙が出そうになるほど。
懐かしい。
その時。
接続が切れた。
世界が崩れる。
図書室へ戻る。
夕陽。
静寂。
誰もいない。
だが。
ミナの手の中には、
観測界から持ち帰ったものが一つだけ残っていた。
小さな紙片。
そこには、
たった一文字だけ書かれていた。
『K』




