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大河内城の戦い

父、賢秀(かたひで)に従い、南伊勢の大河内城(おかわちじょう)の攻略に参加したのが、蒲生(がもう)氏郷(うじさと)の初陣。


賢秀(かたひで)は、甲冑(かっちゅう)に身を包んだ。

氏郷(うじさと)は、甲冑(かっちゅう)を身に付けるのは、これが初めてだ。

甲冑(かっちゅう)というのは、こんなにも重いものなのか。こんな重い甲冑(かっちゅう)を身に付けて、戦場へと向かうのか。


大河内城の戦い

おかわちじょうのたたかい

大河内城の戦いは、戦国時代の永禄12年に伊勢国大河内城で行われた合戦である。尾張国の戦国大名・織田信長と、伊勢国の国司である北畠(きたばたけ)具教(とものり)具房(ともふさ)親子との間で行われた。


織田軍は総勢5万ほど。それに対して北畠軍は、

7000人から8000人。

人数の上では、圧倒的に織田軍有利と思われたが、人数が多い方が必ずしも圧勝するとは限らない。

むしろ、桶狭間(おけはざま)の戦いの時などは、今川軍の4万に対して、わずか数千人の織田軍が勝利を納めたのだから。


織田軍は力づくで攻めたが、大河内城(おかわちじょう)は自然の要害。それに、雨が降る中での戦いとなった。雨が降ると、鉄砲が濡れて使えなくなる。

雨に濡れると使えなくなるという、鉄砲の弱点があらわになった形だ。


織田軍陣地にて


信長「大河内城は、まだ落とせないのか!」

織田軍兵士「申し訳ございません。」

信長「ん?蒲生(がもう)鶴千代(つるちよ)。何か言いたそうな顔をしておるな。

言いたいことがあれば、何なりと申せ。」

信長が俺の顔を見て、このように言った。

この時はまだ元服前。鶴千代(つるちよ)という幼名だった。

鶴千代「ならば申し上げます。

ここは、それがしが先陣を切る所存にございます。」

信長は一瞬、俺の顔を見る。目を見る。そして、再び口を開く。

信長「よかろう。ではやってみろ。ただし、もしこの作戦が失敗したら、その首、胴体についておらぬぞ。」

鶴千代「ははーっ!」


父、賢秀にも、このことを伝えた。

すると、あるものを手渡した。

賢秀「ならば、これを持っていけ。」

兵糧(ひょうろう)(がん)といって、戦国時代の携帯食だ。陣中食とも言うらしい。


そして、作戦を決行する時が来た。

俺が先陣を切り、敵軍を引き付けておいたところに、本隊がなだれ込むという作戦だ。


「やあやあ!我こそは、織田信長の家臣、近江(おうみの)(くに)日野(ひの)の、蒲生(がもう)鶴千代(つるちよ)なり!」


北畠軍がひるんだ隙に、織田軍の本隊が

なだれ込む!

「うおおおおーっ!」


この作戦は見事に成功。戦況は織田軍に有利に動き始めた。

この時の戦果により、蒲生(がもう)賢秀(かたひで)氏郷(うじさと)父子(ふし)は、それまでの人質の身分から解放され、晴れて自由の身となった。

この非凡な才能が織田信長に認められ、後の元服式の時には、信長自らが烏帽子(えぼし)(おや)を務めた。

そして、自らの娘である冬姫を、氏郷(うじさと)に嫁がせる運びとなった。


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