桶狭間の話を聞いた
いったん、時を戻そう。
時は西暦1560年(永禄3年)、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ったことは、日本史における大転換期となった。
織田信長。桶狭間の戦いで、今川義元を討ち取ったという話は、ここ日野の地にも伝えられていた。
やはり、ようやく物心ついた頃のはなしだった。父の賢秀と、母のおきりが桶狭間の話をしていた。
父の名は、何て読むんだろうと思っていたら、
『かたひで』と読むんだとか。
賢秀「駿河、遠江の海道一の弓取りと名高い、
今川義元様が、尾張の織田信長に討ち取られたそうな。
織田信長とは、それほどの武将なのか?
あの今川義元様を討ち取るほどだから、もし敵として戦うことになったら、蒲生家は太刀打ちできるかどうか。」
おきり「そうなると、いずれこの近江の日野にも、進軍してくるのではないでしょうか。
美濃を攻め落とした後は、間違いなく京の都への上洛を考えるでしょうから、この日野は、そのための通り道になるでしょう。」
蒲生氏は六角義賢の家老であり、『賢秀』という名前は六角義賢の『賢』を頂いたのだという。
織田軍が近江まで進軍してくれば、織田と六角の戦いになる。織田の軍門に下るか、あるいは抵抗して、最後まで戦うかの決断を迫られることになる。
それと同時に、領地経営のノウハウを早くから学ぶことにしていた。
領地経営に大事なこととは、領地を敵から守ること。領民を敵の攻撃から守り抜くこと。何しろ戦国の世だから、それが一番大事だ。
この日野の領地が、いつまでも栄えること、日野の領民が、平穏無事に暮らせること、そして、領民が飯を食っていけることだ。
おきり「鶴千代、おなかがすいたでしょう、そろそろご飯にしますよ。」
賢秀「おお、そうだそうだ、わしももう、腹がペコペコだ。
さあ、わしらも飯にしようぞ。」
気づけば夕飯の時刻になっていた。




