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姉川の合戦

時は、元亀元年【1570年】。

姉川の合戦は、歴史の教科書にも載っている有名な合戦の一つで、織田、徳川連合軍と、浅井、朝倉連合軍が激突した戦である。


ついに、姉川の合戦に向かう時が来た。


冬姫「お気をつけて。ご武運をお祈り申し上げます。」


愛する冬姫のため、日野の領民のため、そして何より、蒲生の名を世に示すためにも、この戦いに勝って、無事に帰還せねばならぬ。


姉川の合戦では、もう一人の重要人物と出会うことになる。それが、後の江戸幕府初代将軍となる、徳川家康だ。


徳川家康「どうも、徳川家康です。」

蒲生氏郷「徳川家康様ですね。蒲生氏郷です。」

これで、三英傑揃い踏みとなった。


こちらは、浅井、朝倉の陣地。


朝倉義景「ここで、織田信長に対し、我らが決定的な勝利をあげれば、我らが義昭様を支え、新たな体制を築いてゆく所存。

しかしながら、織田信長は、蒲生(がもう)賢秀(かたひで)の助けにより、無事に京の都に逃げ延びたという。その、蒲生(がもう)というのは?」

浅井長政「蒲生(がもう)賢秀(かたひで)には、忠三郎(ちゅうざぶろう)賦秀(やすひで)という嫡男(ちゃくなん)がいて、その嫡男(ちゃくなん)というのが、なかなか有望であるとか。

戦においても優秀だが、とりわけ領地経営において、才があるという。」


浅井長政は、蒲生家が六角に仕えている時から、たびたび領内に攻め込んで来ていたという因縁がある。

蒲生の日野城と、浅井の小谷城とは、目と鼻の先だ。

蒲生軍は、浅井の軍勢と対峙(たいじ)していた。


そして、戦が始まった。


信長の(むすめ)婿(むこ) VS 信長の(いもうと)婿(むこ)


蒲生氏郷 VS 浅井長政


「浅井の軍勢だ。」

迫り来る浅井の軍勢。蒲生の軍勢は、例によって先陣を切る。

「てええい!」

1人、2人、浅井軍の兵を斬っていく。


先陣を切るのはいいが、一応の戦果を上げたら、後方に下がり、本隊を前へ向かわせる、とのこと。


姉川の合戦についても、タブレットで検索をかけていた。


戦いの背景


発端: 織田信長と浅井長政は同盟関係にあったが、信長が浅井氏の盟友である越前の朝倉氏を攻撃したため、長政が信長を裏切った。


軍勢: 織田・徳川連合軍が約2万8千人、浅井・朝倉連合軍が約1万8千人(諸説あり)。


戦いの経過と結果


激戦: 姉川を挟んで両軍がぶつかり、序盤は浅井・朝倉勢が勢いよく攻めて織田軍を苦しめた。


逆転: 徳川家康の軍勢や織田方の横からの攻撃によって形勢が逆転し、最終的には織田・徳川側が勝利した。


被害: 「川の水が血で赤く染まった」と伝えられるほどの激戦となった。


浅井長政「あれが蒲生の若殿か。おもしろい、戦の腕前、試させてもらうぞ。」


浅井軍が攻勢をかけた。蒲生軍はいつしか、防戦一方になっていた。


浅井長政「蒲生の若殿。戦よりも領地経営の方が得意なのか?」


その時だった。援軍が来た。徳川家康の軍勢だ。

さらに、織田軍の本隊の横からの攻撃もあり、形勢逆転。やれやれ助かった…。




そして、戦い終わった後の、血で赤く染まった川と、おびただしい数の遺体を、目の当たりにした。これが、戦国の世の現実なのか…。

両軍とも多くの戦死者を出した。しかし、両軍とも、決定的な勝利には至らず、なおも戦いは続くのだった。


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