殿【しんがり】
殿【しんがり】とは、味方の軍勢が撤退する時に、最後尾にいて敵の追撃を阻止する役割のこと。
氏郷「つまり、その殿【しんがり】という役割は、大変名誉ある役割なのですね。」
賢秀「さようだが、まさかその殿【しんがり】の役回りを、自分にやらせてくれなどと言うのではあるまいな。
だめだ!殿【しんがり】という役割は、事によっては、生きて帰ることができない役割なのだぞ!
だめだ!お前にはその役割は任せられない。お前はわしとともに、鈴鹿の千草越えを通り、信長様の撤退を助けるのだ!」
金ヶ崎の退き口と蒲生氏の役割
浅井長政の裏切り: 1570年4月、越前の朝倉氏を攻めていた織田信長は、義弟・浅井長政の突然の裏切りにより挟み撃ちの危機に陥りました。
危険な脱出ルート: 窮地に陥った信長は金ヶ崎から撤退を決断。敵方の勢力が強い地域を避け、鈴鹿山脈の険しい千草越え(千草峠)を通って近江を抜け、岐阜へと向かいました。
蒲生賢秀の協力: その千草越えのルート周辺を治めていたのが六角氏の重臣から信長に服属した蒲生賢秀(蒲生氏郷の父)であり、在地ネットワークを駆使して信長の逃走を手厚く助けました。
俺も、父、賢秀とともに、義父、信長の逃走を助ける役割を担った。
しかし、実際のところは、近江豪族の朽木元綱の協力もあって、信長様は京の都まで無事に逃げ延びることができたという。
そして、金ヶ崎の退き口で殿【しんがり】を務めたのは、木下藤吉郎(豊臣秀吉)、明智光秀、池田勝正らだった。
朝倉の兵が気がついた時には、もぬけの空だった。
「しまった!信長を逃がした!」
多くの犠牲を払いながらも戦い抜き、ひとまずは、最初の窮地を脱した。
それもつかの間、こんどは姉川にて、決着をつける運びとなった。
むしろ、ここは余計なことは何もせず、流れに身を任せる、というのも一つの考えだな。




