ハチ:クソ雑魚
カリンが唾を吐いた。緑色の液体が飛ぶ。虫の体液塗れになったカリンが肩で息をする。
俺はといえば、横で窓枠にバリケードを張っていただけた。時にはカリンが潰した虫を材料にし、まるで川をせき止めるあの哺乳類みたいな事を淡々とやった。それまでの間、100以上の虫をカリンが鏖殺した。
外はまだ嵐が続いている。ここはどうやら展望台らしく、外側に円を描いた窓ありの通路。内側は大きな天窓がひとつと円形の部屋になっていて、差し込む日差しを大量の虫が横切って影を通らせる。
1匹が天窓に張り付いた。気持ち悪い腹が暗いけど見える。その虫に他の虫が激突して、体液を撒き散らしながら消えた。ちょっとだけ面白いと思ったけど、乾いた笑いしか出ない。
カリンが汚れたマフラーとジャケットを脱ぎ捨てフェタの横に座る。フェタの左腿に太い木の枝が、ズボンを貫いて突き刺さっている。出血はそんなに無いけれど、どう考えても重症だ。
「……やばい?」
「やばいだろうね」
カリンが片手と口で器用に手袋を装着して、脇のポーチからハサミを取り出す。枝が突き刺さっている周りの生地をハサミで切る。
片腕でハサミを使いにくそうなカリンの横に座って生地を抑える。フェタの肌を圧迫したせいか、枝の隙間から血が溢れた。
「……カリン、俺は詳しくないんだ。どうすればいい?」
「応急処置しか出来ないけど、虫の嵐がいつ止むかも分からない。枝が刺さりっぱなしだと、菌が繁殖して壊死するかも」
ハサミで布を切る。突き刺さっている肌がチラリと覗く。隙間から血が見える。
「そもそも歩けるのか?これ」
「このままじゃ無理かも」
サラッとカリンが言う。最悪だ。山から転げ落ちただけでこんなことになるなんて。建物内は一通り探した。医療品は無い。
カリンがチラリと俺を見る。
「……今から普通じゃないやり方をする。出来れば他の人には言わないで欲しい」
「……普通じゃない?」
「合図したら枝を抜いて」
「……ねぇ」
フェタが起きた。呼吸が細かい。カリンと俺をじっと見ている。
「ここ、どこ?」
「大丈夫だフェタ。何とかする」
全く確証のない戯言を言い聞かせる。カリンが身体に這わせているベルトを取って、左腕の袖をちぎった。肘から先の存在しない腕の断面に、真っ白いゴツゴツしたカサブタみたいな物がこびり付いていた。
「カリン……?」
カリンがフェタの顔の方に動く。
「左足、感覚ある?」
フェタが小さく頷く。口が小刻みに動いていて、瞳が揺れている。カリンはちぎった袖を丸めてフェタの口に押し付ける。
「カリン……それって、もしかして塔……」
「間に合わなくなるかもしれないんだぞ!話は後にしろよ」
カリンが俺をギロリと睨んだ。まだ息が荒い。
「……ごめん」
「……やるよ」
フェタの脚に触れる。小さく反応した。枝を掴む。カリンがナイフを取り出した。何をする気なんだ。
「一気にやっていいよ。合わせるから」
大きく息を吸う。フェタを見る。強く瞼を閉じている。
「……早く」
「分かってる!!」
「……モタモタすんなよ!!」
「簡単に言うなよ!お前みたいに修羅場くぐってねぇんだよ!!」
言った後で、自分の馬鹿さ加減に頭を殴られる気分だ。カリンが立ち上がって俺を手で押し退けた。何も出来ずに後ろに倒れる。
カリンがしっぽで枝を掴んだ。
「フェタ、大きく吸って」
フェタの身体が僅かに浮く。カリンのしっぽが勢いよく枝を抜いた。栓が抜けた腿から血が漏れる。フェタが小さく跳ねて叫んだ。布で抑えられて言葉にならない。カリンがぽっかり開いたフェタの腿をを覗き込んで手を突っ込む。
悲鳴みたいな呻き声をあげるフェタから目を逸らしそうになる。何をしているんだ俺は。何もしない事が1番辛いだろ。
おずおずと駆け寄って、フェタの手を握った。強く握り返されてフェタの爪が俺の手に食い込む。
カリンが手を引き抜いた。手には細く長い血まみれの枝がある。
握られた手の力が収まる。カリンが右手の手袋の縁を口で噛んで外して捨てる。右手にナイフを持って、左腕の断面に付いた白い何かに突き立てる。
カリッと軽い音を立てて白い何かが砕ける。カリンが捻るとそれは蓋のように外れた。左腕の断面のどす黒い赤が表に出る。
自分が息をしているか分からなくなった。大きく吸おうとして震える。
カリンの左腕の断面から、同じように白い塊が小さく伸びる。それがフェタの腿に付いて、まるで根を張るように広がった。フェタが最後に小さく跳ねる。溢れ出た血が止まる。
フェタの左脚を覆った白い塊からカリンの左腕に繋がった棒を、カリンがへし折る。パキりと軽い音がした。カリンの左腕の断面は、さっきと同じように白い塊がカサブタみたいになった。
カリンがチラリと俺を見て、また目を逸らした。何か言うんだ、俺。いつもみたいに「かっこいい」とか「すげぇ」とか。なんでもいい。なんで口が動かない。
溜息に似た何かを吐き出したカリンが、ゆらゆらと立ち上がる。ベルトを拾い上げて、片手で器用に身体に巻く。壁にもたれてズルズルと座った。
「……少し寝る」
「……」
結局何も言えないで、カリンが静かに、死んでるみたいに動かなくなる。それをただ黙って見ていることしか出来なかった。
―――
「フェタ、痛いか?」
フェタが首を横に振る。左腿に付いた白い塊を見る。確信は無い。でもこれは確かに、楽園にあるあの白い塔の素材と同じ様な気がする。
あの塔も、虫や人の手の形をした部分があった。つまりあの塔の材料は。
「……ハチ」
「どうした?何か要るか?」
「ありがとう」
歯を食いしばる。俺は何も出来なかった。結局何処まで行っても、カリンやキョウヤやソウジロウとは違う。この10年ただフラフラ逃げてきただけのクソ雑魚だ。
何も出来ない、情けない自分が憎くて涙が零れてくる。空いた右手で顔を拭く。何にもしてない。何も辛くない俺が泣くな。
フェタに笑って見せる。
「……無事で良かった」
「山を落ちる時、ハチが駆け出してくれたの、ちゃんと見えた。カリンに叫ぶ声も、ちゃんと聞こえた。置いてくのが普通だったのに、来てくれた」
「違う。駆け出した所で何も出来なかった。自分でも分かってた。ただの衝動だった」
「それでも、ありがと」
悔しいな。気持ちだけが先走っただけだ。カリンが来てくれなきゃ、何も出来ずに虫とぶつかって死ぬだけだった。
俺は、カリンを利用した。
フェタがゆっくり手を開いた。
「……ごめん、私なんかが握って。血も出てる」
「あぁ、気にすんなよ」
「大丈夫?恋人とか居たりしたら、申し訳ないし……」
「なんだそりゃ。今どきそんなの気にしてる奴、フェタが初めてだよ」
フェタなりの気遣いかな。重症患者に気を遣われてたらダメだろ。
「気にする必要は無いぜ」
「ほんと?」
「あぁ、俺は生涯1人しか愛さないからよ。だから大丈夫だ」
あの時俺は何も出来なかったから。あの日に比べたら少しは成長出来てないと、あいつに顔を見せれないしな。
「それがロマンってやつだろ?」
「何それ、意味わかんない」
「えぇ」
小さく笑う。大きく息を吸う。カリンが起きたら、ちゃんとありがとうって言おう。そんで目を輝かやかせて、かっこいいって言ってやるんだ。きっとカリンは照れて喜んでくれる。
そう思ってうたた寝をして、目が覚めたらカリンは居なかった。何処から持ってきたのか、医療箱を寝ているフェタの横に置いて。この嵐の中、建物内の何処を探しても見当たらなかった。




