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[4万PV突破!][完結]王都を追放された公爵令嬢、辺境で財政革命を起こす  作者: 林檎月
第1章

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5話 湯上りの熱

 とある夜。2人は応接間のソファに向かい合って座っていた。

 外は人の気配が途絶え、城壁の隙間を抜ける風が細い笛のような音を立てていた。対照的に室内には、淹れたての紅茶の香りと焼き菓子の甘い匂いがゆっくりと広がり、穏やかな空気に満ちている。


「……常に持ち歩く、か」


 ロルフの低い声が、石壁に吸い込まれるように広がった。


「だとしたら、どうやって確かめる」


 私は指先で髪を梳くように整えた。だが途中で、繊維が爪にわずかに引っかかる。焦燥というより、思考の熱が胸の奥で燻っている感覚があった。


「直接奪うのは不可能です。裏帳簿を探していると知られれば、その場で口封じされるでしょう」


「なら、隙を突くしかないな」


 言葉が途切れ、重たい沈黙が部屋を満たした。

 蝋燭の炎がふっと揺れ、壁に映る影が一瞬大きく伸びる。その光の揺らぎの中で、ロルフがふと顔を上げた。


「……そういえば」


「何か?」


「あいつ、たまに温泉に行くらしい」


 私は瞬きをひとつ返す。


「温泉、ですか」


「街外れの共同浴場だ。部下を連れているところを、何度か見たことがある」


 湯気。衣服。更衣室。

 断片的な要素が、頭の中で一本の線として結びついていく。


「衣服を脱ぐ……ということですね」


「……ああ」


 ロルフは頷く。


「更衣室に置く服。そこに裏帳簿があるはずだ」


 私は小さく息を吐き、彼に依頼する。


「良い着眼点です。では、よろしくお願い致します」


 彼はわずかに胸を張る。しかし次の瞬間には、顔をしかめた。


「待て、俺がやるのか?」


「当然です」


 迷いのない口調で告げる。


「私は女湯ですから」


 ロルフの表情が露骨に曇る。


「男の服をまさぐるのか……」


「領地の未来のためです」


 淡々と続けると、彼は深く息を吐いた。


「……くそ。分かったよ」



 ♢



 それから一週間。私たちは徴税官の動きを執拗に追い続けた。

 城の廊下に響く靴音、外套の色、革鞄の膨らみ具合。夕刻に外出する時刻、同行する部下の人数、歩幅の癖。細かな情報を一つずつ積み重ねていく。

 そして、金曜日に徴税官は必ず街外れへ向かうことが分かった。


「今日だ」


 翌週。短い合図を交わし、私たちは温泉施設へ向かった。


 木造の建物の屋根から、白い湯気が夜空へゆっくりと立ち昇っている。軒先の看板が風に揺れ、木の軋む音がかすかに聞こえた。

 戸口を開けた瞬間、湿った熱気が頬にまとわりつく。硫黄の匂い。石鹸の泡の香り。人の声。様々な気配が混ざり合い、独特の温度を生み出していた。


 私たちは目を合わせ、小さく頷く。そしてそのまま、それぞれの暖簾(のれん)の奥へ足を踏み入れた。


 更衣室には木の棚が整然と並び、籠がいくつも積まれている。床は少し湿っており、裸足の足裏にひやりとした感触が伝わってきた。

 柔らかな灯りの下、薄く漂う湯気が視界をかすませる。


 ロルフは自然な動作で外套を脱ぐ。すると、徴税官が入ってきた。心拍が、わずかに早まる。


 徴税官は周囲を軽く見渡し、棚の上段へ丁寧に衣服を置く。無駄のない所作でありながら、目線を四方に向け警戒する様からは用心深さが滲んでいる。そしてそのまま足音が遠ざかり、湯の音だけが残った。


 ロルフはゆっくり立ち上がり、徴税官の籠へ向かう。

 他の客の視線もある。――あくまで、自然に。


 外套を持ち上げる。布の重み。内ポケット。外ポケット。……空。

 縫い目を指でなぞる。ざらりとした感触だけが残る。……不自然な加工後はない。

 靴。帯。裏地。……ない。

 どこにも、それらしい物は見当たらなかった。


 すると、背後で足音が止まった。


「……何かお探しですか?」


 男性客の声がかかる。ロルフは振り向き、穏やかな笑みを浮かべた。


「すみません、場所を間違えたようで」


 衣服を元の位置に戻す。鼓動が耳の奥で響いていた。


 外へ出ると、夜風が火照った肌を冷ましていくのを感じる。

 私はすでに外に立っていた。濡れた髪から滴が落ち、石畳に小さな円を作っている。頬にはまだ湯の熱が残っていた。


 ロルフが現れ、足を止める。その視線が一瞬だけ揺れた。私は首を傾げる。


「結果は?」


 彼は何かを誤魔化すように咳払いすると、小さく首を横に振る。


「空振りだ」


「……そうですか」


「振り出しだな」


 ロルフが壁にもたれた。

 私は空を見上げ、ゆっくりと息を吸う。


「いえ。懐にないと分かっただけでも、収穫です」


 彼は苦笑した。


「前向きだな」


「事実を述べただけです」


 しばし沈黙。

 夜風が髪を揺らし、濡れた毛先が肩に触れる。


「……本当に、怖くないのか」


 ロルフがぽつりと問いかける。


「どういう意味です?」


「裏帳簿なんて存在しないかもしれない。三ヶ月で成果が出ない可能性もある。あいつの背後に、もっと大きな闇が潜んでいるかもしれない……そういうことがだ」


「怖いですよ」


 私は素直に答えた。


「ですが、恐れたまま立ち止まれば、何も変わりません」


 ロルフは小さく笑う。


「あんたのそういうところ、嫌いじゃない」


 私は一瞬、言葉を失った。

 湯上がりの熱とは別の温度が、胸の奥に静かに広がる。


「……何の話ですか」


「さあな」


 彼は肩をすくめる。

 振り出し。だが2人で立っている石畳の冷たさが、なぜだか心地よく感じられた。


 私は思考を巡らせる。――隠すのではなく、紛れ込ませる。

 徴税官は用心深い。ならば裏帳簿は、“帳簿の形をしていない”のかもしれない。


 夜空に浮かぶ湯気は、すでに薄れていた。だが霧はまだ晴れない。

 それでも、私たちは前を見据えて歩き出す。



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