4話 裏帳簿
「これから、どうする」
ロルフは調理場から紅茶を持ち出してくると、手慣れた動きで私と彼の分をカップに注いだ。湯気が静かに立ちのぼり、薄い琥珀色が揺れる。
「不正の証拠を掴みます」
カップを受け取りながら、私は迷いなく答えた。
「ハインリヒの帳面だけじゃ足りないのか?」
ロルフは椅子の背にもたれ、紅茶を一口含む。その視線は、既に次の一手を探っているようだった。
「足りません。もっと直接的な記述がある――裏帳簿が欲しいです」
ロルフの目がわずかに細められる。
「あるのか、そんなもの」
「可能性は高いです。自分達の取引内容を把握しておきたいでしょうし、王都で粉飾が起きた際は必ずといっていいほど存在しました」
ロルフが低く呟く。
「裏帳簿、か」
その言葉が、重い石のように部屋に落ちる。私は小さく頷いた。
「正規帳簿を整えるための元資料。記録をつける人間は、完全な虚偽よりも――真実の写しを持ちたがります」
「保険か」
「ええ。交渉材料にもなります」
ロルフは腕を組み、しばし考え込む。
やがて低く言った。
「それを父上に差し出せば、あいつらは終わりだ」
「ええ」
風が窓枠を鳴らす。冷たい音が、決断を急かすようだった。ロルフが顔を上げる。
「探そう」
「――ええ」
「まずは、屋敷だ」
私たちはその日、城の書庫、執務室、徴税官の私室まで徹底的に調べた。執務室の引き出し。机の裏板。壁の継ぎ目。暖炉の灰の中まで。埃が舞い、指先が黒く汚れる。乾いた紙の匂いが喉に張りつく。
だが、出てくるのは正規帳簿の写しと、どうでもいい報告書ばかりだった。
「……ない」
ロルフが壁にもたれ、天井を仰ぐ。
私は窓辺に立ち、外を見ながら思考を巡らせた。――もし、私が徴税官なら。
証拠は消すか?否。すべて消せば、いざという時に自分が不利になる。では、どこに置く?
「紙を隠すなら、紙の中」
ロルフが顔を上げた。
「……紙の中?」
私は振り返る。
「徴税官は、普段どこへ通っていますか?」
ロルフは記憶を探るように、顎に手を当てた。
「商会。役所。あとは……図書館」
「図書館?」
「街の小さな図書館だ。税制や各領の帳簿表なんかの本を借りていると聞いた」
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
「案内してください」
街の図書館は、城から少し離れた石造りの建物だった。蔦が壁を這い、重い木扉が長い年月を物語っている。中へ入ると、紙と革の匂いが静かに満ちていた。
司書は童顔の若い男性。丸い眼鏡の奥で、こちらを静かに見る。
「徴税官殿ですか?」
私が尋ねると、彼は頷いた。
「よくいらっしゃいますよ。税法や各領の財務諸表なんかを、よくご覧になってます」
「どのくらいの頻度で?」
「かなりの頻度ですよ。週に一度は必ず来てるんじゃないかなぁ」
ロルフと視線を交わす。胸の奥に、小さな確信が芽吹いた。
「閲覧記録を拝見できますか」
司書は少し躊躇ったが、ロルフの名を聞くと観念したように帳面を差し出した。確かに、頻繁に通っている。
私は書棚を見渡す。数百冊の紙の山。
「……この中に」
私たちは半日かけて探した。背表紙の厚みを確かめ、不自然に重い本を持ち上げ、頁の間に挟まれた冊子がないかを確認する。しかし――見つけられなかった。
ロルフが長く息を吐く。
「――無駄足か」
私は本を閉じ、静かに首を振る。
「いえ」
違和感がある。
徴税官はここを利用している。だが、隠すには危険過ぎるのではないか。
本は誰でも触れる。もし誰かが偶然見つければ、裏帳簿も一緒に露見してしまう。
――私なら、もっと確実な場所を選ぶ。
夕暮れ、図書館を出る。石畳が赤く染まり、長い影が伸びていた。
ロルフが問う。
「どこにあるんだ」
私は歩きながら答える。
「もし私が徴税官なら」
「ああ」
「隠すのではなく――持ち歩きます」
ロルフが足を止めた。
「持ち歩く?」
「常に身につけていれば、奪われない。屋敷も図書館も捜索されても安全です」
彼の目が鋭くなる。
「……五年分の裏帳簿だろ。嵩張るはずだ」
「いくつかに区分けし、小さな冊子にすれば持ち歩けます」
ロルフが低く呟いた。
「懐か」
「あるいは財布の中。靴底。外套の裏地」
沈黙。
風が吹き抜ける。
「……あんた、怖いな」
ロルフが半ば呆れたように言う。
「王都でたくさん見てきましたから」
私は微かに笑った。
腐敗は賢い。だが――私にも積み上げてきたものがある。
沈みゆく太陽が、街並みを黄金色に染めていた。昼の喧騒は少しずつ遠のき、代わりに一日の終わりを告げるような穏やかな空気が街を包んでいる。
裏帳簿は、必ずある。帳簿を改ざんする人間は、完全に証拠を消せない。それは性だ。
「必ず見つけます」
小さく、しかし確信を込めて私は呟いた。
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