3話 紙の中の嘘
翌朝の執務室は、夜よりも静かだった。
窓から差し込む光が、帳簿の紙を淡く照らす。埃が浮かび、空気の流れが見えるほどだ。
私は5年分の収支を並べ替えていた。
年度ごとの帳簿ではなく、項目ごとに。税収。輸送費。備蓄量。王都補助金。等々。紙を切り分け、再構成する。
流れを見るためだ。
「……見たことがないやり方だな」
向かいでロルフが言った。
「普通は年度単位で見るだろう」
「年度は都合がいいんです」
私は線を引きながら答える。
「赤字も黒字も、年で区切れば誤魔化せます。ですが項目で追えば、嘘は滲みます」
ロルフは黙って紙を覗き込む。
「ここを見てください」
私は補助金の入金日と、穀物購入費の支払日を指す。
「入金から3日以内に、大口支払いがある。5年連続で」
「偶然じゃないのか」
「5年連続は偶然ではありません」
さらに指を滑らせる。
「そして、この商会」
王都の御用商会の名。
「毎年同じ。ですが、単価が上がっている」
「物価が上がったんだろう」
「王都の物価はそこまで上がっていません」
私は王都の資料を机に置く。
「むしろ、この商会の価格だけが高い」
ロルフの眉が寄る。
「つまり、割高で買っていると?」
「――ええ」
帳簿に記された御用商会の元頭取は確か、財務長官。
「何のために」
「おそらくグラナート領を通し、補助金を自分の懐に入れるためでしょう」
王都の闇に触れた2人の間には、重い沈黙が満ちる。
その時、控えめなノックが響いた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、年配の男だった。質素な服装だが、姿勢は真っ直ぐ。手には古い帳面を抱えている。
「倉庫番のハインリヒと申します」
ロルフは驚いた顔をし、立ち上がる。
「なぜここに」
「私が伯にお願いして、来てもらいました。お話を伺いたくて」
彼の瞳に一瞬だけ怯えの色が浮かぶ。だがすぐにそれを押し殺し、覚悟を固めた顔をこちらへ向けた。
「領主様より、あなた様に出来る限り協力するよう頼まれております。ですので、これを――」
ハインリヒは躊躇いながら帳面を差し出す。
「これは……私が個人的につけていた記録です。公式なものではありません」
私は受け取る。
中には、入荷日と実際の穀物量が記されていた。公式帳簿との差が、明確にある。
「どうして、これを?」
「数が合わなかったのです」
ハインリヒの声は低い。
「ですが、徴税官様に申し上げても『気のせいだ』と」
ロルフが立ち上がる。
「なぜもっと早く言わなかった」
「……言えませんでした」
彼は俯く。
「『二度と働けない体にしてやるぞ』と脅されてしまい……わたしにも養わなければならない家族がいると思うと、言い出せず」
ハインリヒはうなだれた顔のまま、頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした」
静かな怒りが、部屋に落ちる。
「誰に言われた?」
「……徴税官殿です」
ロルフは眉を吊り上げ、殺気すら含んだ表情を見せる。
「あんたの身柄はグラナート家が責任を持って保護する。これからは安心して、働いてくれ」
「ありがとう、ございます」
ハインリヒは、絞り出したようなしゃがれた声で謝意を述べる。その表情は安堵に満ちているが、私にはそれが庇護下に入った事よりも罪悪感から解放された故のように感じられた。
「ありがとうございます。この記録は、大切に扱います」
私はハインリヒが退出するのを見届けると、さっそく帳面を開く。
「入荷量が帳簿より少ない」
すかさずロルフが尋ねてくる。
「差分は、どこに行ったんだ」
私は視線を上げる。
「おそらく、中抜きしてるのではないでしょうか」
ロルフは椅子にもたれた。
「徴税官と、他に誰が関わっている」
「分かりません。1人かもしれないし、役人全員かもしれない。ただ、関わっていない人がいたとしても見逃していたことは確かです」
帳簿を預かるものとして、差分に気付かぬはずがない。だとすれば、罪の大小はあれど不正には全員関わっていたことになる。
「父上は、あいつらを信頼している」
「信頼は悪くありません」
私は言葉を重ねる。
「ですが、仕組みがなければ信頼は腐ります」
その言葉に、ロルフは少しだけ苦笑した。
「……あんたは、本当に王都の人間か?」
「元、です」
言いながら、自分の胸が少しだけ痛む。
王都。追い出された場所。
「王都では、こういうことは珍しくありませんでした」
「腐敗か」
「ええ」
私はペンを置いた。
「だからこそ、仕組みを作ります」
「仕組み?」
「ハインリヒさんを役人の1人に据えます」
「いきなりか」
「現場を知り、記録をつけられる人材は貴重です」
私はロルフを見る。
「いずれは役人をすべて交代させます。腐敗の心配がない、信頼できる人間に。そのうえで監視役を設置します。最初は私が務めますが……少なからず反発も出るでしょう」
「当然だ」
「だから、あなたの後押しが必要です」
ロルフは一瞬迷った後、頷いた。
「分かった」
その短い言葉には、重みがあった。
私は少しだけ、肩の力を抜く。だが、その瞬間だった。廊下の向こうで、かすかな声が聞こえる。
「……勝手な真似を」
囁き。誰かが立ち聞きしている。
すかさずロルフが扉へ向かうが、廊下には既に誰の影も見えない。私は帳簿を閉じた。
「相手も動きます」
「そうかもな」
腐敗の味を覚えた人間は、利を害されまいと反撃する。
それは王都で何度も見た。
♢
同じ頃、城の一角で密談している影が二つ。
「徴税官殿。……あの女、侮れません」
「放っておけば良い。三ヶ月で破綻する」
「ですが、帳簿の矛盾に気付いたようです」
「ならば――」
彼はゆっくり笑う。
「潰せばいい」
その笑みは、冷たい。
♢
場所は戻り執務室。私は一人、灯りの下にいた。
指先が紙で少し切れている。小さな赤い線。痛みは、確かな感覚だ。
私は呟く。
「必ず、流れを掴んでみせる」
窓の外は暗い。
だが、遠くの畑に灯りが一つだけ見えた。誰かが、まだ働いている。この領地は、まだ死んでいない。
ロルフが戻ってくる。
「護衛を付ける」
「必要ありません」
「必要だ」
彼の声は強い。
私は少し考え、頷いた。
「では、最低限だけ」
彼は苦笑する。
「本当に、可愛げがないな」
私は静かに返す。
「可愛げでは、穀物は増えません」
一瞬の沈黙。
そして、ロルフが小さく笑った。
「……そうだな」
その笑いは、最初に会った時よりも柔らかい。
「では、俺が護衛を担当しよう」
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