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最終話 結婚式

 グラナート領へ向かう馬車が、城の正門前で準備を整えている。車輪が石畳を踏む音、馬の息遣い、御者の低い指示。


 彼らの準備が終えるのを待っていると、何やら見覚えのある人影がやってくるのが見える。リーゼだ。


 どうやら彼女はお見送りに来てくれたらしい。彼女のその真心に胸の奥が熱くなる。

 リーゼと友人になれて、本当によかった。


 殿下はあれから諸々の後処理に追われているとのことで、ここには来られないらしい。 

 国の官僚が捕縛されたのだ。仕方ない。むしろ、これからが本番と言っていいだろう。にも関わらず、手伝いひとつできないままグラナート領へ帰ってしまうことに、胸の片隅で小さな罪悪感が燻った。


 そんな内心を読んだのか、リーゼが柔らかく首を振る。


「リュシア、あなたが責任を感じる必要は微塵もありませんわ。リチャード財務長官をここまでのさばらせてしまったのは、ひとえに王家の責任ですもの。殿下は王族としての責務を果たしているに過ぎません。殿下との婚約は解消されたのですから、重荷に感じることはないのです」


 穏やかな声音が、朝の空気に溶けていく。その言葉がゆっくりと胸へ降りてきて、こわばっていた何かがほどけるのを感じた。


「ありがとうございます、リーゼ。あなたと出会って……辛苦ばかりの王都での思い出が、一気に華やかに変わりました。あなたと友人になれて、本当によかったです」


 我ながら、少し照れくさい言葉だと思う。それでも、嘘偽りのない気持ちだった。


 するとその言葉を聞いたリーゼの瞳が、みるみる潤んでいく。次の瞬間、彼女は何も言わずに私の肩へ腕を回してきた。


「私もですわ、リュシア。あなたと友人になれたこと、本当に誇りに思います」


 震える声が、耳の近くで囁かれる。釣られるように、自分の目も熱くなってきた。

 こらえようとしても、うまくいかない。そのまましばらく、二人で黙って抱き合っていた。


 馬車への乗り込みを告げられて、ようやく腕をほどく。踏み台に足をかけたところで、背後からリーゼの声が届いた。


「そのうち必ずグラナート領に、リュシアの家へお邪魔しますわ」


 振り返ると、彼女はもう笑っていた。涙の跡を残したまま、それでも満開の笑顔で。私も同じように笑い返す。


「ええ、待ってます!」



 ♢



 場所は移り、王城の一室。


 ユリウス殿下の私室には、リーゼと殿下だけが残されていた。庭木を揺らす風の音だけが、静かな部屋にかすかに響いている。


「別れの挨拶はできたのか?」


「ええ、とても感動的な別れでしたわ」


「そうか」


 殿下が短く答える。リーゼは小さく溜息をついた。


「よろしかったのですか、何も言わずに行かせてしまって」


 殿下は無表情を装いながら呟く。


「構わない」


 けれどその表情は、どこか微妙にこわばっていたようにリーゼは感じた。何種類もの感情が渦を巻いているだろうことを、彼女は長い付き合いから察していたのだ。


 本当に、難儀な方ですわね。


「そんなことで、ちゃんと吹っ切れますの?」


 余計なことを言うなと殿下が一瞥を向けてくる。しかしリーゼはひらりとそれをかわす。


「結果が分かっていたとしても、想いを吐露するくらいはしてもよかったのではないですか?」


 きっと、リュシアは戸惑うでしょう。それでも、不快には思わないはずですわ。だってずっと嫌われていたと知るより、ずっと想われていたと知る方が、きっと温かな思い出として残るのだから。


「……俺に、そんな資格はないだろう」


 複雑そうに紡がれたその言葉を受けて、リーゼは溜息まじりに呟いた。


「難儀な人ですわね」



 ♢



 馬車は王都の石畳を離れ、やがて土の道へと移っていく。窓の外では、見慣れた灰色の街並みが少しずつ遠ざかり、代わりに木々の緑が増えていった。


 向かいの座席にはロルフがいる。感動の再会を果たしたはずなのに、二人の間にはどこか気まずい沈黙が流れていた。


 言いたいことは山ほどある。けれど、いざ顔を合わせると言葉が出てこない。それに——馬車へ乗り込む前、抱擁を二度も交わしてしまった。

 流れのままのことだったとはいえ、冷静になって思い返すとやはり恥ずかしい。今もまともに彼の顔を見ることができなかった。


 それでも、この生ぬるい沈黙が不思議と愛おしい。帰ってきたのだと。ようやく戻ってこられたのだと、そう実感できる気がして。


 そんな静寂を破ったのは、ロルフの方からであった。


「守れなくて、すまなかった」


 罪悪感に押しつぶされそうな瞳で、彼は言う。その言葉を聞いた瞬間、私は考えるより先に声が出ていた。


「そんなことないです!」


 自分でも驚くほど大きな声だった。ロルフがびくりと肩を揺らし、私は慌てて口元を押さえる。けれど、もう止まれなかった。


「私が落ち込んでいた時も、命を脅かされた時も、それでも前に進みたいと思えた時も——全部、助けてくれたのはロルフです」


 それは本心からの言葉。グラナート領へ帰りたいという想いが。ロルフに会いたいという願いが。あの長い王都での日々を、歩かせてくれたのだ。

 彼がいなければ、今の私はここにいない。


 彼女のその真っ直ぐな想いをぶつけられたのが照れくさかったのか、ロルフはわずかに視線を逸らす。


「そう、かもしれないが……すまない、言い方を間違えた」


 こほんと小さく咳払いをしてから、ロルフは改めて真摯な眼差しを向けてくる。


「今回、リュシアをむざむざ敵の手に渡してしまったのは俺の非力さ故だ。それにリュシアとの関係性に、公的な説得力を持たせていなかったからでもある」


 そこまで言って、ロルフは言葉を切った。頬にうっすらと赤みが差し、口をもごもごと動かしている。

 こんなふうに言葉を迷う彼を見るのは初めてで、なんだか胸の奥がむず痒くなった。


 しばらく沈黙が落ちる。やがて覚悟を決めたように、ロルフは口を開いた。


「改めて言うのも、その……正直、かなり恥ずかしいんだが」


 ロルフは一度だけ深く息を吸ってから、続ける。


「グラナートの姓を名乗ってくれないか、リュシア。父上に頼んで、式典が明日にでも開けるよう手配してある」


 言い終えると同時に、ロルフは片膝をついた。そして小さな箱を取り出し、蓋を開く。そこには指輪が一つ、静かに収まっていた。


「これから先、何があろうと俺の隣にいてほしい。リュシア——結婚してくれ」


 ロルフの瞳が、声が、言葉が、胸の奥へ真っすぐに届いてくる。その瞬間、この世の喜びが全部一度に自分の中へ流れ込んできたのかと思うような、そんな高揚に全身が包まれた。


 たったこれだけの言葉で、これまでの苦行が、絶望が、まるではじめからなかったかのように遠ざかっていく。

 ああ。きっと私の人生は、ここまでの道のり全てがここへ繋がるためにあったのだと、そう思わずにいられない。ずるい人だ。本当に。


 こんな幸せを知ってしまったら、もう戻れない。ロルフがいない場所を、これ以上は想像できない。それほどまでに、この人を愛してしまったのだ。


 けれど、それでいいとも思う。この先の人生がどれほど続くか分からないけれど、それでも最後の瞬間きっと私は「良い人生だった」と笑える。そういう確信が、静かに胸の底へ根を張っていた。


 あまりの喜びに我を忘れてそんなことをぐるぐると考えていると、片膝をついたままのロルフが不安そうにこちらを覗き込んでいるのが見えた。


 その顔がおかしくて、申し訳なくて、愛おしい。私は柔らかく微笑みながら、指輪を自分の指にはめた。


「末長くよろしくお願いしますね、ロルフ」


 歓喜をたっぷりと声に乗せながら言葉を紡ぐ。するとロルフも、同じように喜びを滲ませながら答えてくれた。


「ああ!」


 車窓の外では、緑がずっと続いていた。グラナート領へ向かう道は、まだ長い。でも今は、この揺れも、この光も、向かいに座るこの人の存在も、全てが愛おしかった。



 ♢



 それからしばらくの時が流れた。


 柔らかな陽光が差し込む大聖堂には、静かな祝福の空気が満ちている。

 前列にはレイトやハインケルたちの姿があり、その後方にはリーゼや殿下をはじめとした王都の面々が並んでいた。皆、どこか感慨深げに――そして少しだけ、生暖かい目で新郎新婦を見守っている。


 祭壇の前。純白の衣装に身を包んだ私は、隣に立つロルフの存在を強く感じながら、緊張で胸をいっぱいにしていた。

 そうして厳かな声が聖堂に響く。


「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも――これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


 神父を務めるユリウス伯は、まずロルフへと視線を向ける。

 ロルフはいつものように落ち着いた様子で、しかしどこか優しい声音で答えた。


「誓います」


 短い言葉なのに、その一言だけでなんだか胸の奥が熱くなる。

 続いて、伯爵の視線が私へ向けられた。一度小さく息を吸い、私は頷く。


「誓います」


 ユリウス伯は目を細め、満足そうに微笑む。そして軽く咳払いをすると、穏やかな口調で告げた。


「よろしい。では――誓いのキスを」


 その言葉に、一気に心臓が跳ね上がる。


 私はゆっくりとまぶたを閉じ、ロルフのほうへ顔を寄せた。


 胸の鼓動がうるさいくらいに鳴っている。

 こんなに緊張しているって伝わってしまわないだろうか?臭くはないだろうか?顔に何か変なものは

 付いてないだろうか?

 そんな考えがぐるぐると頭の中を回っていると――ふわり、と唇に柔らかな感触が触れた。


 その瞬間。世界から、音が消えた。


 周囲の視線も、ざわめきも、祝福の空気さえ遠くなる。

 ただ、唇に触れる温かな感触だけが、確かなものとして残っていた。

 触れた場所から、淡い熱がじんわりと広がっていく。


 ほんの一瞬だったはずなのに、その時間は永遠みたいに長く感じられた。


 やがて唇が離れていく。名残惜しさにぼうっとしていると、不意にロルフがくすりと笑った。


「その顔が見れただけでも、結婚した甲斐があったな」


「……っ」


 からかうような声音に、私は思わず頬を膨らませる。


 本当に、この人は。

 呆れ半分、照れ半分で小さく息を吐いてから、私は改めてロルフの紫紺の瞳を見つめた。


「改めて、末永くよろしくお願いしますね。ロルフ」


 一瞬だけ目を見開いたロルフは、すぐに穏やかに目を細める。


「ああ。こちらこそよろしく頼む、リュシア」


 そうして私たちは顔を見合わせ、自然と笑い合った。


 これまで歩んできた道のりを想いながら。

 そして――これから二人で歩んでいく、長い旅路を祝福するように

最後までお読み頂きありがとうございました!

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