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31話 意外な救世主

「この裁判、王家の名の下に差し止めを命じる」


 凛と張り渡った声音が、石造りの法廷の奥まで響いていく。私は条件反射のように顔を向けた。

 傍聴席の一角にとある男が立っていた。煌めく金色の髪をたなびかせ、真昼の光を受けてどこか燃えているように見える。背筋は一本の線を引いたように伸び、その眼差しは裁判官の席をまっすぐに射抜いていた。


 ――レオニス殿下。私はその名前を頭の中で転がし、それでも上手く処理できないまま、ただ彼の顔を見ていた。


 法廷が凍り付く。傍聴席のざわめきが一拍遅れて来て、波のように広がっていく。検察官が椅子を蹴り立ち上がり、裁判官は立ちかけた体を、どうしたものかという様子で宙吊りにしていた。


 そんな中、リチャードだけが動かなかった。ただ、浮かべていた薄ら笑いが少しだけ形を変えたように見える。笑みというより、値踏みするような顔に。


「彼女の提示した証拠は、どれも一見の価値のあるものだった。なぜ、それを見すらしない」


 責めるような瞳で、裁判官を見る殿下。

 私はその光景を、唖然とした様子で眺めていた。かつて婚約者だった彼が私を庇っている。その光景が、ひどく現実離れしたもののように感じられたからだ。


 裁判官は額に汗を浮かべながら、気まずそうに視線を泳がせていた。そして似たような表情を浮かべる者がもう一人。検察官だ。欄外の役者が登壇し、シナリオが崩れてしまった演劇のような顔を、彼らは揃えて浮かべていた。


「王家がそのような横暴をしてよろしいのですかな」


 突如、ねっとりとした声が裁判所全体に響き渡る。彼らに助け舟を出したのは他でもない、財務長官のリチャードだった。


「横暴というなら、この裁判そのものだろう。それとも、貴殿にはこの裁判が止められて困ることでもあるのか」


 毅然と言い放つ王太子の声に、私の背筋に何かが走った。怖気ではない。もっと別の、冷たい驚きのような感覚だ。

 財務府だけでなく、国土府、防衛府、司法までもが今やリチャードや彼を中心とする血族の手に落ちている。この男に逆らうということは、この国を敵に回すということ。王家といえど、それは例外ではないはずだ。国を分断しかねない問答が、今この場で繰り広げられていた。


「いえ何も。ですが、よろしいのですか」


「何がだ」


「そこの娘のために王家の威信を利用してしまっては、貴方や父君の信用にも傷が付いてしまうでしょう。それで、本当にいいのですか?」


 薄ら笑いを浮かべながらリチャードが問う。私と敵対して、本当にいいのかと。

 殿下とリチャードの間に少しの間が空く。逡巡というにはあまりにも短い沈黙だったかもしれない。それでも王太子は、さらりと言い切った。


「構わない」


 リュシアの口は先ほどから開きっぱなしだった。いや、彼女だけではない。この場にいる者全てが、茫然自失といった様子で彼らの応酬を眺めている。


 何が起きているのか分からない。理解が追いつかない。

 有罪を言い渡されると思った瞬間に王子が現れ、裁判を止めたかと思えば今度は財務長官と真正面からぶつかっている。なぜこんなことになっているのか、見当もつかない。そもそも王太子殿下は私を嫌っていたはずだ。追放したのも彼だ。どちらかといえば敵の側にいると思っていたのに、今は王家の威信を賭けて守ろうとしている。

 では実は味方だったのだろうか。何か事情があって王都を追い出したとか。……いや、でも彼が私を嫌っていたのは事実のはずだ。私の提案は全て跳ね除けられ、会話らしい会話もなかった。嫌悪を感じていない相手に、あんな態度はとらない。ならばなぜ今、庇ってくれているのだろう。

 自分の良心か、はたまた国の秩序のためか。どちらも、ぴったりとは当てはまらない気がする。……分からない。でも今は、目の前で起きていることから目を背けてはいけない。それだけは確かだと感じた。

 私は視線を王太子に戻し、その光景を見守り続ける。


「貴方の意思は分かりました。では、どうすると?」


 リチャードはあくまで穏やかに問いかける。しかしその瞳の奥には、凍えるような悪意が篭っていた。


「この裁判は俺が預かる。つまり、延期だ。具体的な日程、場所、そして裁判官はこちらが決める」


 やれやれとばかりに肩を竦めるリチャード。


「それは少し横暴というものではないですか?」


 どの口が言うのだ、と思わず口から出そうになった言葉を、私は何とか押し留める。


「王家を信用できないと?」


「いえ、そこまでは」


 王太子の鋭い視線に、おどけるように言ってのける財務長官。


「ともかく、これは決定事項だ。異議は何人たりとも認めん」


 そう言い終えると、王太子は傍聴席を抜けて私の元へ歩み寄った。そして手首を掴む。


「えっ?」


 困惑する私を他所に、王太子は迷いなく進んでいく。そうして彼は、私をこの裁判所から連れ出した。


「えっ、ちょっ、どこへ行くのですか!?」


 思わず声を上げる私を無視して、彼はどんどんと廊下を歩いていく。石造りの壁が両側を流れ、出口の光が近づいてくる。

 振り乱す金髪とは裏腹に、殿下の呼吸は一切乱れていなかった。あれだけの騒動があったはずなのに、表情はまるで崩れていない。掴まれた手首から伝わる体温だけが、この状況の現実感を辛うじて保っていた。


 私はその人形のような美貌を横目に見ながら、胸の奥に微かな恐怖が滲んでくるのを感じていた。

 そうだ、この人はこういう人だった。口数が少なくて、迷いがなくて、何を考えているのか分からない。随分と長い時間を一緒に過ごしたはずなのに、彼の胸の内は最後まで予想がつかなかった。それがひどく恐ろしいもののように感じる。

 婚約者として隣に立っていた頃も、帳簿を開けば向こうはすでに部屋を出ていて、会議の席では私の提言を一顧だにしないで次の議題に進んでしまっていた。嫌われているとは感じていた。だが、どうして嫌われているのかは分からなかった。そして理由も告げずに切り捨てられ、行き先も告げずに辺境へ追いやられた。

 それが今、同じ手で私の腕を引いて歩いている。この人は、本当にいったい何を考えているのだろう。


 出口の扉を押し開けると、外の空気が一気に流れ込んできた。裁判所の石壁の中とは違う、街の匂い。土と風と、遠くの市場の喧騒。その全てが、さっきまでとは別の世界のように感じられた。

 しかし殿下は立ち止まらない。私の手首を引いたまま、王城のある方向へ向かっていく。


 問い返したい言葉は幾つもある。なぜここに来たのか。なぜ庇うのか。あなたが私を追いやったのではないのかと。でも喉の奥で全部が詰まって、うまく出てこない。

 そんな複雑極まる胸の中、微かな希望が灯るのを感じる。まだ、終わりじゃない。もしかしたら、続きがあるのかもしれない。

 微かな、風邪に吹かれれば消えてしまいそうな小さな明かり。その灯が原動力となり、今の私を動かしていた。

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