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30話 有罪ありきの裁判

 私は小さく息を吐き、いくつかの資料をまとめる。


 これで王都の資料とグラナート領の比較資料と帳簿の項目の推移、さらに奥の手として財務長官リカードがどれほどの領の補助金を横領しているのかを示す資料、各領の役人と通じ不正に加担していたと思われる資料も作れた。

 この資料で無罪が証明できるかは分からない。でも、審議を遅延できる程の資料は作れたはず。そして再度の審議までにはきっと綿密な調査がされるだろう。そうなれば、無実は証明されたも同然。

 今一度気を引き締め、私は目の前の紙を読み込む。



 ♢



 裁判当日。私は刑務官であるギリウスに連れられ、裁判所に移動させれる。

 散々準備を重ねたとはいえ、正直に言うとやはり怖い。震えそうになる体をなんとか堪え、一歩一歩歩いていく。

 そんな様子を見かねたのか、ギリウスが水を手渡してくれた。冷たい感触を喉に味合わせ、心を落ち着ける。


「ありがとうございます」


 水をギリウスに返すと、彼は怖い顔をしながら目の前の裁判所を睨んでいた。


 扉が開き、エントランスを抜け法廷に辿り着く。歩く度にギリウスの顔は歪んいったが、法廷に入った途端怒りを含んだ顔になった。

 つられて私も法廷を見る。すると確かに何か違和感を抱いた。いるべき場所に、いるべき人がいない。裁判官、検察官、傍聴席の人々、そして被告人である私。そう、この場には弁護士がいなかった。

 そうだ。そもそも裁判前に私は弁護士と話をしていない。そんな状態で裁判が開かれるなど、ありえない。あまりにも、異質だ。


 そんな不安を押さえつけるように、ただ遅れているだけだろ自分に言い聞かせる。しかしそんなか細い希望を打ち砕くように、裁判官は開廷の合図を鳴らした。


「……っ!」


 思わず動揺が漏れる。仕方がない。こうなったら、自分で自分の弁護をする。それしか方法はない。

 そう決意し、私は裁判官、検察官を見る。彼らは表情を一切変えず裁判を進行していた。まるでそれが既定路線であるかのように、淡々と粛々と進めている。


 検察官が私の罪状を述べる。


「グラナート領補佐のリュシア・エーベルハルト。彼女は赴任期間の間に粉飾決算に加担し、差分を懐に入れた疑いがあります。証拠はこちらに」


 そう言い、彼は裁判官にいくつかの紙束を提出する。検察官いわく、証拠品として提出されたそれは、グラナート領の帳簿と王都に提出された帳簿との差分、そして私の口座残高の推移と商会の取引名簿らしかった。

 それも私の記憶にない数字ばかり並んでいる。明らかに改竄されていた。それに、彼が私が裏取引として扱っていたとして提出されたマリトッゾ商会の取引名簿。この国の商会の名称は全て把握しているが、そんな名前の商会などない。見るまでもなく改竄は明らかだ。しかし私はそのおざなりな証拠を見て、安心感よりも不安を覚えていた。こんなお粗末な証拠、すぐに看破されてしまうだろう。ならば何故作ったのか。単に時間がなかったのか、それとも……


 裁判官は提出された証拠を神妙な面持ちで眺めながら呟いた。


「確かに。そこのリュシア嬢が犯人の可能性は非常に高いようだ」


「っ!待ってください!マリトッゾ商会なんて商会はこの国にはありません!それに、粉飾を行っていたのは私ではなく徴税官です。証拠ならばここに」


 そう言って、私は作成した資料を裁判官に渡す。

 それから私はそれらの資料の説明を始めた。一つずつ淡々と、丁寧に。そしてこう結論付ける。


「資料をご覧頂ければ分かる通り、不正が顕著になり始めたのは十年前よりです。私が関わる余地はありません」


 これできっと分かってくれるはずだ。私が犯人ではないと。徴税官こそが犯人であると。そしてこの場を開いた財務長官こそが黒幕であると。

 しかし、私は裁判官の手元を見て驚愕する。私が提出した資料は提出時のまま姿を変えておらず、裁判官が見ていたのは検察の資料。

 私の説明中、ずっと検察を資料を見ていたのか?何のために。いや、私の資料なんて見る必要がなかった……?

 僅かに抱いた絶望を、首を振り否定する。しかし、裁判官の次の台詞が、その絶望を肯定した。


「被告人の弁明はありませんか?ならば、判決に入ります」


「待ってください!先ほども申し上げたた通り、不正が始まったのは十年前です!その資料を見て頂ければ分かります!」


 しかし、裁判官は構わず続ける。


「では、判決に入ります」


 一向に資料を手に掛けず、私にすら目を向けない。そんな裁判官に私は溜まらず奥の手を使う。


「その資料には、財務長官リチャード様の補助金不正受給、そして徴税官や各領の役人の不正に加担したと思わる証拠もあります」


 そう発言した瞬間、裁判官は私の提出した資料をびりびりに破いた。そして始めてこちらを向く。その瞳には「余計なことを言うな」と書いてあった。


 そして彼の視線は傍聴席に向かう。視線の先にはふくよかな体型の中年男性。薄汚れた金髪を振り乱し、瞳にはこの世全ての汚泥を煮詰めたような歪んだ欲望が詰まっていた。彼は顔を歪めにたっと笑う。その顔はまるで悪魔が微笑んでいるようであり、この世のものではない化け物のように思えた。彼の名前はリチャード・アルタープ。この国の財務長官である。


 ああ、そうだ。やっぱりそうなんだ。これは有罪ありきの裁判。初めから、結末は決まっていたんだ。

 なら、仕方がない。むしろよく頑張ったと思う。帳簿を一生懸命書き写して、説明して。

 ロルフと会えないことは残念だけど、でももうどうしようもない。だって、ここが終点。道はもうどこにも繋がっていないのだから。


 ふと後ろを見ると、刑務官ギリウスが絶望の表情のまま立ち尽くしていた。


 彼には悪い事をしてしまった。せっかく協力してくれたのに、その労力を無駄にさせてしまったのだから。罪が執行される前に、せめて謝ろう。そう決めた。

 世界が静かになり、周りの息すら聞こえない。ああ、とても穏やかだ。


 そして裁判官の声が響く。


「リュシア・エーベルハルト、罪状公文書偽造」


 この先どこに行くのだろうか。何をするのだろうか。何も分からない。ただ一つ確かなことは、もう二度とロルフの元には戻れないということ。

 彼は私を忘れてしまうだろうか。もっと良い人を見つけてしまうだろうか。彼が幸せなら、それでも構わない。でも、私が彼を忘れてしまうことだけは嫌だ。だから、日記を綴ろう。あの大変だけど充実していて、優しい人達に囲まれていたあの幸福な日々を。


「判決……」


 私は覚悟を決め、言葉を待つ。しかし、響いてきたのは想定とは別の言葉だった。


「この裁判、王家の名の元差し止めを命じる!」


 思わず声のした傍聴席を見る。そこにいたのは、かつて自分をこの王都から追い出した元婚約者。王太子殿下その顔人だった。

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