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27話 問答

 庭から場所は移り、大広間。

 広間には主人公、ロルフ、ユリウス伯、それから馬車でやってきた王都からの役人が三人、計六人が集まっていた。


 充分な広さがあるはずなのに、場の空気は刃のように張り詰めていた。ロルフの首筋には太い血管が浮き出て、かろうじて抑え込まれた怒りが全身から溢れ出ている。拳を握る手が、かすかに震えていた。


「改めて問いましょう。リュシア殿をどうすると?」


 静かにユリウス伯が問う。口調はいつもと変わらず穏やかだが、全身から滲み出る威圧感は尋問者のそれだった。普通の人間ならばとっくに逃げ帰っているほどの圧。事実、役人の二人は額に汗を浮かべてがたがたと震えている。しかし、代表らしき年配の男は顎を上げたまま怯まなかった。


「逮捕する、とそう言ったんだ」


 ロルフが鬼の形相で年配の役人を睨む。


「公文書偽造と言ったな。それをやったのは徴税官だったはずだ。調査書にもそう記述した。それに奴が偽造し始めたのは十年以上前から。どうやってもリュシアには不可能だと思うが?」


 役人はわざとらしく溜息を吐く。そして一瞥をくれてから、呆れたように肩をすくめた。


「我々の調査では、偽造されたのはリュシア・エーベルハルトが赴任された去年からの帳簿のみという結果が出た」


 目を細め煩わしそうに私を見る役人。その表情は疑っているというより、私が犯人だと断定しているようだった。

 そんな役人の言葉にロルフは不快感を露わにしながら、前へと足を踏み出す。


「お前達が何を調査したのか知らないが、彼女は不正を暴こうと奔走し、飢餓を防ごうと死力を尽くし、近領まで救ってみせた。そんな人間が、偽造などするわけないだろ。そんなことも分からないのか、お前達は」


 殺意にも似た怒り。それを隠そうともせずロルフは言い放つ。


 彼が怒っているのはきっと私のため。それは凄く嬉しいし、胸が熱くなる。しかし同時に不安にもなる。役人が動くということは、きっと背後にはとてるもなく大きな存在がいる。例えば、この国の人事権を全て掌握しているような存在が。


「貴様らのような能無しがいくら騒いだところで無駄なことだ。これは決定事項であり、選択権はない」


 バカにしたような目で、主人公、ロルフ、伯を一巡りする役人。


「いいか? 粉飾があった時には、第三者委員会が設置されるのが常だ。今回の場合は財務長官殿が立ち上げてくださった。その調査委員会が調べた結果、そこのリュシアとかいう女が犯人だと判明したんだ」


 肩の埃を払うような手つきで続ける。


「この決定に逆らうということは、すなわち財務長官殿を敵に回すということ。分かったなら、さっさと引き渡せ」


 私は思考を回しながら、役人の言葉を聞いていた。


 第三者委員会が個人で設立されることはない。少なくともこの国では。通常であれば王家が開くはずである。それに逮捕までには資料の精査から関係者への聞き取りまで、入念な調査が必要となる。グラナート家への聞き取りもなしに、いきなり逮捕などありえないはずだ。


 そうなると、財務長官が無理やり今回の逮捕を決めたということになるのだが……

 でも、何のために。補助金の隠蔽のためなら、徴税官を捕らえられた辺りで動くはず。しかし実際には、徴税官の一件から一年近く経過している。ならば別件だろうか。しかし補助金以外で心当たりはない。


 思考を深めていると、ロルフの一際怒気を含んだ声が響いてきた。


「そんな横暴が、本気で通ると思っているのか」


 やれやれと言わんばかりに肩をすくめ、呆れたように答える役人。


「繰り返すがこれは、既に決まったことだ。下らんことを騒いでないで、そこの犯罪者をさっさと渡せ」


 主人公を指差しながら、役人は言い放つ。ロルフの纏う空気が、みるみる濃くなっていく。一触即発、そんな空気が広間に立ち込める。それでもロルフは大きく息を吸い込み、吐き出すと、どんどんと前に出ていき役人の目の前に立った。


「お前も、財務長官とやらも、バカだな。呆れを通り越して軽蔑すら抱く」


 鼻で笑うロルフ。対して役人は目端を吊り上げ、ロルフを真っ向から睨み返した。


「私だけでなく、財務長官まで侮辱したな。誰を敵にしたか、分かってるんだろうな。……ただで済むと、思うなよ」


 指でこつんとロルフの胸を突く役人。声、表情、醸し出す全てから怒りが滲み出ていた。

 それでも、ロルフは一歩も引かなかった。いや、むしろ対抗するようにロルフから軍人特有の威圧感が、溢れ出る。


「お前達こそ、誰を敵にしたか分かっているのか。王都の連中がぬくぬくと紅茶を飲んでいる間、俺達は体を鍛え、剣を振り、命のやりとりを勝ち抜いてきた」


 言い終えるより先に、ロルフの手が役人の襟を掴む。


「やれるものなら、やってみろ」


 開いた瞳孔が役人の目を捉える。殺される。そう思ったのか役人はがたがたと震え始めた。それでも目を逸らさず、叫ぶように言い返す。


「ば、バカが! 俺が言いつければ、国からこの領に制裁が下る! お前が敵にしようとしてるのは、国家だぞ!!」


 その言葉が、ロルフの中で何かを冷やした。


 領を巻き込んでしまう——その懸念が、彼の烈火のような怒りに水を差したのだ。掴んでいた襟を離すロルフ。


「や、やっと理解できたみたいだな。間抜けが」


 声が上擦りながら、役人が吐き捨てる。


 ロルフはしばらく動かなかった。領かリュシアか、どちらを優先させるべきか、その瞳の奥で何かが激しく揺れているのが分かる。数秒、数分、ロルフは微動だにせずその場に立ち尽くす。


 ロルフと、領、私だったらどちらを選ぶだろうか。……分からない。考えたくもない。それほど、ロルフは私の中で大きな存在になっていた。それでも、と思う。それでも、ロルフには領を選んで欲しい。彼が抱いた夢を、愛する街を、妨げる存在ではあるたくない。


 ロルフはやがて覚悟を決めたように大きく息を吐くと、再び役人の襟に手を伸ばした。


「父上。あとのことは頼みます」


 そう言い残し、ロルフは役人を引きずるように広間の扉へと向かう。


「な、なにを、する……」


 苦しそうな声を上げる役人。


「お前と話をしていても埒が明かない。親玉のところへ案内してもらうぞ」


 このままでは大惨事になる。取返しの付かない事態になってしまう。そう感じた私は急いでロルフの前に立ちはだかった。


「だめですロルフ! 彼を離してください!」


 一瞬、足が緩む。しかしロルフはその言葉を振り払い、前へ進もうとする。私は再度彼の前に立つ。


「どいてくれ」


「どきません」


 にらみ合う二人。ロルフの目には、殺意にも似た何かが宿っていた。それが恐ろしくて、思わず一歩引きそうになる。でも唇をぐっと噛み締め、それを押しとどめた。


 逮捕するということは、たとえ証拠が偽造されたものだとしても、私を有罪にするだけの準備が整っているということ。このまま連行されれば高い確率で罪を着せられるだろう。それでも、ロルフを犯罪者にするよりはずっとましだ。大切な人に、そんな重荷を背負わせたくない。


 ロルフの瞳に、もう一つの感情が滲む。切なさと諦観を混ぜ合わせたような、そんな感情が。


「どいてくれ」


 声音が揺れている。それでも私は、かぶりを振った。


「どきません」


 しばらく睨み合い、やがてロルフが小さく息を吐くと「悪い」と呟き、私を押しのけて歩き出した。押しのけられた衝撃で尻もちをつく。それでも私は立ち上がり、また前に立ちはだかる。押しのけられては立ち上がり、立ちはだかってはまた押しのけられる。何度それを繰り返しただろう。気づけば私はロルフの足にしがみついていた。


「離してくれ」


「離しませんっ」


 ロルフは足に絡んだ手をほどこうと手を伸ばす。しかし私も必死で、なかなかほどけない。そしてついにロルフは苛立ちに耐えられなくなり、叫んだ。


「このままじゃリュシアは捕まるんだぞ!それでいいのか!!」


「いいわけないじゃないですか!!」


 自分の口から、こんなにも大きな声が出るとは思ってもみなかった。驚く暇もなく、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。声は次第にしゃがれ、かすれていった。


「いいわけ、ないです。私もロルフといたい。ずっとこの領で、変わらない日常を過ごしていけたらって。そう思ってます」


「なら!」


「でも、でも……ロルフが犯罪者になってしまうのは、もっと嫌なんです」


 私だって、王都になんか行きたくない。財務長官も、それを許容している王家も、全てが怖い。何より、ロルフと離れてしまうことが何より恐ろしい。もう二度と会えないんじゃないかという不安が、胸いっぱいに広がっている。できることなら、ロルフと一緒に逃げ出してしまいたい。でも——


「言ってくれたじゃないですか。笑顔で溢れる領にしたいって。その夢も、捨ててしまうんですか?」


 優しさと切なさを同時に抱えながら、声が震えるのを精一杯堪えて言う。


 ロルフと離れてしまうことよりも、ロルフの邪魔になってしまうことが何より嫌だ。たとえ私がいなくても、ロルフには領主になってこの領を守っていってほしい。この場で逃げるよりも、その方がきっとロルフの笑顔につながると思うから。


 どうすればいいのか分からなくなったのか、ロルフは苦い顔で何かを言いかけては黙ることを繰り返す。やがて悲しそうな顔で私を見て「それでも俺は……」と呟き、歩き出そうとした——その時、伯が現れた。


「少し落ち着け、ロルフ」


「父上……」


 少し気まずそうに目を背けるロルフ。


「ロルフ。今お前がやるべきことは駄駄をこねることじゃない。リュシア殿の無実の証拠を集めることだ。違うか?」


 難しい顔をするロルフ。


「それはっ……そうですが」


 視線をしばらくさまよわせてから、伯と目を合わせる。


「だからといって、このまま連れ去られるのを黙って見ていろと言うのですか!彼女がこの先どんな目に遭うかも分からないのに。そんな腰抜けになるくらいなら、俺は……」


「ロルフ!」


 私は自分から発せられた声の大きさに、またも思わず驚いてしまう。でももしここで声を出さなければ、取り返しのつかないことになる気がした。大好きなこの風景が、日常が、もう戻らなくなる気がした。


「私は、ロルフを信じています」


 精一杯の力を振り絞って言葉を押し出す。


「ここを乗り越えたら、また街を散策しましょう。レストランに入ったり、甘い物を食べたり……そうだ、アイスクリームをまだ買ってもらっていませんでしたよね。それに、見ていない景色もたくさん……」


 涙が一筋、また一筋と流れていく。


「まだやりたいことがたくさんあります。それを全部叶えるために……今度も、二人で乗り越えましょう」


 まっすぐにロルフの目を見る。ロルフも同じように私の目を見返す。その瞳はどこか潤んでいて、怒り、悲しみ、色んな感情が渦巻いているようだった。


「私達なら、きっとできるはずです」


 確証なんてない。相手は国家と同等の力を持つ相手なのだから、当然だ。それでも、こうでも言わなければロルフは引いてくれない。それに私も虚勢で覆い尽くさなければ、大声で泣き崩れてしまいそうだった。


 ロルフの手が、ゆっくりと役人の衿から離れた。途端、逃げるように役人たちが馬車へと乗り込んでいく。


 ロルフは覚悟を決めた様子で、真っすぐに私を見た。


「必ず救ってみせる。どんな手を使っても、必ず」


 静かな声音で言い、大きな手がそっと私の頭に乗せられる。


「だから、もう泣かなくていい。リュシアの言う通りきっと乗り越えられる、大丈夫だ」


 堰き止めていたものが、嗚咽と共に溢れ出した。ぽっかりと空いていた穴が塞がるように、胸の奥に熱が戻っていく。彼の言葉が、あの優しそうな表情が、暗がりで俯いていた心を掬い上げ、眩いほどの光を灯してくれた。ロルフにはもらってばかりだ。それがすごく大切で、尊くて、少しだけ苦しい。


「……ありがとうございます」


 そんな言葉を吐き、私は馬車に乗り込んだ。


 馬車が走り出すと、扉の外から屋敷が遠ざかっていく。窓の端に見えたロルフの姿が、じわじわと小さくなっていく。彼はずっとそこに立ったまま、馬車が見えなくなるまで目で追い続けていた。その表情まではもう見えなかったが、覚悟と誓いを確かめるように、ただじっとこちらを見ていた。


 道なりに馬車は走っていく。騒がしい街並みから移り変わり、外には木々と静かな星空が映し出されていた。窓から目を離し、私はそっと背もたれへ体を預ける。車輪の音が規則的に揺れ、体ごと前後に揺さぶられる。向かいの席には役人が二人、うとうとしながら座っていた。代表の年配の男は腕を組んで目を閉じている。誰も、私に話しかけようとはしない。


 静かな車内で、私はロルフの言葉を思い出す。


 『必ず救ってみせる。どんな手を使っても、必ず』


 あの声音と、頭に乗せられた手の重みと。その度に胸が温かくなり、しかしずきっとした痛みが続く。


 私と出会わなければ、ロルフはこんなことに巻き込まれずに済んだかもしれない。その考えが頭をよぎるたびに、胸の奥が重くなる。

 こんなことに巻き込まれず、私ではない誰かと出会い、危機を乗り越え誰もが笑い合える。そんな景色を描けていたのではないか。夢と何かを天秤に掛けるような残酷な選択を、迫ることはなかったではないか。

分かってる。私はただ罪悪感を自己嫌悪で消しているだけ。それでも、少なくともこの馬車にいる間はこのどうしようもない思考を、止めることはできそうになかった。





 グラナート領の屋敷に残ったロルフは、馬車が完全に見えなくなった後も、しばらくそこに立っていた。


 冷たい夜風が首筋を撫でる。庭の木々が揺れ、遠くで何かの鳴き声がする。屋敷の玄関灯がオレンジ色の輪を足元に落としているが、その光が今は遠く感じられた。


「……」


 無言のまま拳を握り、緩め、また握る。それを何度か繰り返す。頭の中には先ほどの光景がまだ残っていた。尻もちをつきながらも何度でも立ち上がって前に立ちはだかり、震えながらも自分の言葉を押し出し続けたリュシアの姿。


 あのまま行かせてしまってよかったのか、俺が行くべきだったんじゃないのかという問いが、今さらになって頭をもたげてくる。

 だがあのまま乗り込んでいっていたとしたら、今頃自分は財務長官の元に出向きそのまま殴り飛ばしていただろう。もしかしたら、首を撥ね飛ばしてしたかもしれない。そして国を敵に回し、領を巻き込んで——。リュシアの言った通り、その先にきっと笑顔の領はない。


 彼女は正しかった。頭では分かっている。それでも胸の中の荒れた感情はまだ収まらず、歯を食いしばって夜空を仰ぐ。


 雲の切れ目から、星がいくつか覗いていた。先日、二人で眺めた満天の星とは違う。薄く、散らばっている。それでも確かにそこにあり、それが酷く残酷なことのように思えた。


「ロルフ」


 背後から伯の声がした。振り返らずに答える。


「……分かっています。すぐに動きます」


「そうではない」


 草を踏む音が近づき、隣に立つ気配がした。ロルフはそこで初めて横を向く。伯は夜空を仰ぎ、静かな顔をしていた。


「お前は今夜、選択を誤った。そう思うか?」


 すぐに答えは返せず、ロルフは押し黙ってしまう。口を開いては閉じ開いては閉じ、それでも言葉は出てこない。

 伯はその様子を見て、満足そうに頷いた。


「それでいい。答えを急ぐような奴は、いずれ間違える」


 しばらく、二人は並んで星を見ていた。


「……父上」


 やがてロルフが口を開く。


「俺は、リュシアに何があっても側にいると伝えた。それなのに守れなかった」


 悔恨を吐き出すように、ロルフは言った。その表情には、やり切れなさが浮かんでいる。

 そんな息子の顔を見て、伯は即座に、しかし責めることなく答えた。


「だがお前の話はここで終わらないだろう。違うか」


 ロルフは少しの間があってから、静かに息を吐いた。


「違いません」


「ならば考え続けろ。対策を、やるべき行動を。悔やむ時間は、勝ってからいくらでもある」


 伯の手がロルフの肩に一度だけ乗り、すぐに離れた。それだけだった。それだけだったが、不思議と背筋が伸びる気がした。


「……はい」


 ロルフは踵を返し、屋敷の中へと歩き出す。執務室の机の上には積み上げた書類がある。財務省の記録、徴税官の調書、そしてリュシアが残した几帳面な字の分析書。

 一つずつ、紐解いていく。必ず、綻びはあるはずだ。いや、なくとも必ず見つけてみせる。


 暗闇が支配する夜闇の中、灯りが一つ執務室の窓に灯った。

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